第七話「取引」


 前には犬の獣人が二人。門番の青年と後から来た女性、それぞれが革鎧で武装していて真剣な表情をしている。

 隣にはフードを目深にかぶってビクついているスノウの姿。基本的に勝気な性格だが今は涙目になっている。

 まぁ無理もない。敵国の首都、それも王城にたった二人で乗り込んでいるのだ。泣きたくなる気持ちも分かる。

 しかし、広い城だな。ただの廊下なのに馬車がすれ違える程に広いし、床には毛並みが長い絨毯が敷かれている。

 壁は石材だが白くて光沢があり、俺には何製なのかすら判断が付かない。

 一つだけ分かっている事と言えば、かなり金がかかっているだろう事だ。

 王族なんてものは見栄を張るのも仕事、だなんてラノベか何かで読んだ事があるが、まさにそれを体現している場所と言える。

 お偉いさんはお偉いさんで大変なんだろうな。


「着いたぞ。先に言っておくが、妙な真似をすればその頭が胴体から離れると思え」


 門番の青年が豪奢なドアの前に立ちこちらを睨みつける。

 耳がピンと立っているのは警戒しているからだろう。分かりやすくて何よりだ。

 このくらいで警戒してくれた方が丁度良い。そもそもの話、見知らぬ人物の情報提供を頭から信じるような間抜けな奴らに取引を持ち掛けようなんて思わないし。


「これは怖いな。俺は話をしに来ただけだ」

「どうだかな……陛下、失礼します。例の者を連れて参りました。」


 青年がドアに向かって声を掛ける。ドアの向こう側からは見えていないだろうに、丁寧に深々とお辞儀まで付けて、だ。

 国民から慕われているのか、恐怖政治を行っているのか、或いは両方か。

 何にせよ、この先に居るのが俺の最優先目標で間違いないようだ。


「入りたまえ」


 男性の重低音な声が入室の許可を出した。それに合わせて見張りの二人がドアの脇に立ち、俺はゆっくりとドアノブを捻った。

 ドアを押し開くと漂って来たのは甘い花の香りと香ばしい焙煎の香り。次いで、大柄な人影が仁王立ちしているのが見えた。

 獅子の獣人。顔の周りに立派なタテガミを持ち、笑う口元からは肉食獣の鋭い牙が覗いている。

 背が高く体格も良い。まるでプロレスラーのようだが、実際にはそれより二回りほど大きいのではないだろうか。

 胸の前で組まれた両腕は筋骨隆々で、着ているスーツが今にもはち切れそうな程盛り上がっている。

 そう。目の前に居るのは、スーツを着たライオンだ。

 知識として知ってはいたが、実際に目にすると感動が凄いな。


 さすが百獣の王。超格好良いじゃないか。後で握手してくれないか頼んでみるか。

 ……まぁ、ちゃんと生きて交渉を終えられたら、だけど。


「客人よ。丁度珈琲を淹れた所だが、飲むかね?」


 見た目に反してとても丁寧な口調で語り掛けて来るライオン。何かギャップが凄いんだが。

 正体が分からない俺達を侮らないのはさすがと言えるが、対応が紳士的過ぎて笑いが込み上げてきそうだ。


「それはありがたい。連れの分は甘くしてくれると助かるんだが」

「ちょっ!?」


 スノウが凄い勢いで顔を跳ね上げて睨みつけて来るが知った事ではない。

 実際に珈琲が飲めるかなんてこの際どうでも良い。問題は、だ。


「ほう、そちらは幼子であったか。ミルクは必要か?」

「そうしてくれ」


 互いに笑いながら交わす会話。しかし既に戦いは始まっている。

 飲み物を出す。それを受け入れる。この時点で互いの思惑はある程度理解できる。

 相手は入れ物が共有である飲み物を提供する事で毒が入っていない――敵意が無い旨を伝え、俺はそれを理解した上でこちらの要望を伝える。

 実際はカップに毒を仕込まれる可能性もあるだろうが、これは文化的な挨拶の一種だ。その対応で相手の文明レベルがある程度把握できる。

 ついでに言えば、嗜好品である珈琲の存在を俺が知っているかどうか、という所まで見られているのだろう。

 この世界の文明水準は地球でいう所の中世に近い。珈琲と砂糖、そのどちらも非常に高価なものだ。

 にも関わらず俺の注文を難色無く受け入れ、更にミルクまで用意してくれる、と。


 理解はしていたがここまで国の財力に差があるとなると、正面切って戦っても人族は確実に負けるだろうなぁ。

 

「既に知っているとは思うが自己紹介をしておこう。私は『ビースター』の王、ラオウだ」


 うん知ってる。それ聞いた瞬間に飲みかけてた水を噴き出したもん、俺。

 だってラオウだぞ。よりにもよって身体能力特化の獣人の王様がラオウって、どこの拳王かよ。

 見た目としてはあまり違和感が無いんだけどな。こいつの二人称が「うぬ」じゃ無くて良かったわ。


「ご丁寧にどうも。そうだな、俺の事はケンシロウとでも呼んでくれ」

「ほう、我が国に寄せたか。偽名にしては気が利いているではないか」

「お褒め頂き恐悦至極ってな。隣のこいつはユリアでいい」

「ケンシロウにユリアか。覚えておこう」


 大真面目に頷くラオウにニヤリと笑い返す。

 この笑いを共有できるやつが居て欲しかったなぁ。この世界じゃ絶対有り得ないけど。

 一応、スノウは人族の姫だし名前をそのまま伝える訳にもいかないという理由がある。決してふざけている訳ではないのだ。

 だからそんなに睨むなって、スノウ。威嚇してる小動物みたいで可愛いけど、今は目の前の獣人に集中したい。


 ラオウは優雅な手付きで珈琲を三人分に注ぐと、シュガーポットとミルクポットを添えてテーブルまで持って行った。

 そこで気が付いたが、足音が一切ない。訓練された武術家は足音を立てないとか聞いたことがあるが、その類なのだろうか。

 革靴を履いてるから肉球は関係ないと思うのだが。


「さて。本題だが君は私に伝えたい事があると聞いたのだが」


 一番大きな椅子に腰かけながらラオウが切り出して来た。

 指を揃えて向かいのソファを指して来たので遠慮なく座ると、スノウが慌ててその隣に座る。


 さぁここからが正念場だ。相手の全ての動作を見逃すな。

 顔色は分かりにくいが仕草と声は伝わってくる。そこから真意を探れ。考えろ。

 集中しながらも、表情は笑顔。愉快に、痛快に、楽しそうに。余裕の笑みを浮かべ、俺は最初の切り札を切った。


「はは、じゃあ始めようか。公正な取引ってやつを」


 俺の言葉に、獅子は面白そうに口の端を吊り上げた。

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