第三話「心に秘めたもの」

 砦の中は大きさの割にガランとしていて、全く人と会う事は無かった。

 所々に穴が空いていて、こうして歩き回ってみるとただの廃墟のようにも見える。

 一定間隔で並んでいる窓の向こうにはやはり青空が平がっていて、その奥には深い渓谷が見えていた。

 スマホでその光景を撮りながら、あの先に敵軍が居るんだろうかと益体も無い事を考え、頭を振って螺旋階段を昇る。

 敵が居るから何だって言うんだ。ただの役立たずが何を考えても意味が無いだろうが。

 さっきから心にモヤモヤしたものが溜まっていくばかりで何とも言えない気分になっていると、視線の先にドアが半開きになっている部屋を見つけた。

 ここは人が使ってるんだろうか。爺さんとお姫様以外誰とも遭遇してないしけど住んではいるはずだし。

 特に深い考えも無くひょいと中を覗き込む。


 そこには、全裸のスノウの姿があった。


 小柄な身体。黒く長いストレートヘアに瑞々しい肌色の背中。細くてくびれた腰の下には小ぶりで丸いお尻。そこから伸びる足は華奢なのに、太ももは弾力がありそうだ。

 まるで芸術品のように整えられたプロポーション。水を弾いている肌は透明感があって、採れたての果実のようにも見える。

 迂闊に触れたら壊れてしまいそうに繊細で、しかし躍動感に溢れた姿を見て。

 いやらしさよりも先に、美しいと。そう思ってしまった。

 そんな彼女がゆっくりと振り返る。


「やっと来たわね。寒いんだから早く着替えを寄越しなさ――」 

 

 正面から直視した。先ほどからは想像もできない程に呆けた顔。小さいながらもしっかりと主張している胸。すべすべのお腹には縦長の可愛らしいヘソ。そして。

 その下まで、ばっちり見てしまった。


「――殺すッ!」


 じっくりガン見していたのでその後のスノウの動きもはっきりと見えていた。

 すぐそばにあった陶器の水差しを素早く右手に取ると、左手で胸を隠しながら思いっきり振りかぶる。

 そしてそのまま、人を撲殺できそうな水差しを全力でぶん投げてきた。


「すみませんでしたァッ!」


 かつてない速さでドアを閉める。ドア越しに衝撃、陶器の割れる音。同時にバサリと布を振り回すような音が聞こえ、更にもう一度ドアに何かが激突する。


「開けろッ! お前、絶対に殺すッ! 殺して埋めて肥料にしてやるッ!」

「ごめんなさい本当にごめんなさい! マジで事故なんです許してくださいぃぃぃ!」


 ガンガンとドアに衝撃が走り、その度に硬い板がミシリと軋む。

 必死になって言い訳を考えながらドアを押されていたが、不意に衝撃が治まった。

 不思議に思ってドアから手を離す。耳を澄ませてみるが特に音は聞こえない。

 静寂。まさか怪我でもしたのかと不安に思いだした時、めちゃくちゃ不機嫌そうな声が聞こえてきた。


「……入りなさい。今回は許してやるから」


 その言葉を無視する訳にもいかず、かと言って怖いから入ることも出来ずにいると、三度ドアに重い衝撃。

 ビクリと全身を竦めた後、恐る恐る部屋のドアを少しだけ開けた。

 そこから中を覗き込むと、シーツを身体に巻き付けたスノウが正に射殺さんばかりの視線をこちらに向けている。


「その、本当にごめん。悪気があった訳じゃ無くて、その……」

「……もう良いわよ。よく考えたら怒っても意味が無いし。それより早く入りなさいよ」


 黒髪をふわりと背中に流しながら睨みつけて来るが、どうやら本当に危害を加えるつもりは無いようだ。

 スノウの顔色を窺いながら慎重に部屋の中に入ると、ドアの前に水差しだった破片が散乱していた。


「で、アンタ何してんの? てかまだ帰ってなかったの?」

「何か送還術式とやらの準備に時間がかかるらしくて、砦の中をぶらついてたんだ。だからその……悪かった」

「だからそれはもう良いってば」


 腕を組みながらベッドに腰かける。その様は堂々としていて様になっているが、全裸にシーツを巻き付けただけなので見ていて落ち着かない。

 いやまぁ、さっきばっちり見た後なんだけど。それでも何かこう、見えそうで見えないっていうのはかなり気になる訳で。

 しかしスノウはそんな事などお構いなしにベット脇の小さなタンスから手の平サイズの筒を取り出す。

 すると筒の先端にある半透明な赤い石が光り、風がスノウの髪を揺らし始めた。


「なんだそれ。ドライヤーか?」

「は? あぁ、アンタは知らないか。これは魔石を使った日用品で、火の属性と風の属性で温風を出せるの」

「……なるほど」


 サラサラと靡く黒髪が綺麗でつい見とれてしまう。本当に芸術品みたいだなこの子。


「魔石は分かる? 魔力を封じ込めた石の事で色々な属性があるの」

「へぇ。じゃあ火を出したりもできるのか?」

「そうよ。使い方を間違ったら爆発したりするけど、その時は私かシュバルツに言えば回復魔法で治してあげるから。即死しなければだけど」


 暴走したら即死する可能性があんのか。よくそんな物を平然と使えるな。

 いや、よく考えたら電化製品も似たようなものかもな。濡れた手で触って感電死とかニュースで見た事あるし。

 どんな道具でも使い方次第ってやつなんだろう。


「時間がかかるって言ってたわね。どのくらい?」

「二時間って言われたから、後一時間くらいだな」

「あっそう。変な物触って怪我とかしないようにね」


 あれ。言い方はキツイけど、これってもしかして心配してくれてんのか?

 相変わらずめっちゃ睨んできてるけど、実はすごく良い子なのかもしれない。

 そんな事を思い、ふと魔が差した。さっきから続いていたモヤモヤ。これをどうにか出来るかもしれないと思って。


「なぁ。さっき爺さんに聞いたんだけどさ……お前、敵軍に捕まりに行くんだって?」

「違うわ」


 問いに対して、ハッキリとした言葉が返って来た。

 大きな赤い目で俺を睨みながら、しかしどこか力無く。小さな子どもが泣くのを堪えている時と同じ顔で。


「私は殺されに行くのよ」


 そう断言した。


「……お前、怖くないのか?」

「はぁ? 馬鹿じゃ無いのアンタ。怖いに決まってるでしょうが」


 平然と答える声は震えていて。よく見ると、声だけではなく体全体も小刻みに震えている。


「アンタは幸運だったわね。こんな時じゃなかったらマジで殺してたから」

「……もしかして、さっき言ってた怒っても意味が無いって言葉」

「うん。どうせ私、死ぬから。もう見られたって構わないかなってね」


 諦めたような笑顔を浮かべるスノウに、胸がズキリと傷んだ。

 さっき知り合ったばかりでろくに知らない女の子だけど、スノウにはこんな表情は似合わない気がする。

 こんな顔をさせて良い訳が無い。でも。

 だからって、俺に何が出来るって言うんだ。馬鹿か俺は。

 俺如きが心配したからって何か変わる訳でもないだろ。

 何かを変えられる訳でもない、ただの平凡な一般人でしか無いんだから。


 それでも、これだけは聞いておきたい。


「スノウ。一つ頼みがあるんだが」

「様を付けなさいよ無礼者。私は一国の姫よ?」

「俺は異世界人だから関係無いだろ。だからさ、本音を聞かせてくれないか?」


 俺の言葉にピクリと眉を顰める。そして燃えるような赤い目で、また俺を睨みつけてきた。

 恨み、憎しみ、敵意、殺意。様々な感情が込められていて。けれど俺には、泣いているように見えた。

 そしてすぐに元の表情に戻る。諦めきったような、亡者のような表情に。


「そうね。部外者のアンタなら言っても良いかな。本当のところ、私はね」


 ベッドからすっと身を乗り出して小さな手で俺の襟首を掴む。

 強引に、でも、弱弱しく。縋るかのように。


「怖い。嫌だ、死にたくない! 逃げ出したい! 今すぐ空を飛んで誰も居ないところまで行きたい!」


 初めは淡々と。次第に熱が込められていく慟哭。

 宝石のような少女は俺の胸に額を当てて、叫ぶ。


「敵を殺してやりたい! 何もできない弱い自分も! ぶち殺してやりたい!」


 スノウの体温で胸元が熱い。シャツが濡れている感触がする。そして俺のブラウスの襟首を掴む手は、驚くくらいに小さくて。

 

「……本当は、助けて欲しい」


 神に祈るかのように、小さく呟いた。

 そして、トンと俺を突き放した時には、既に勝気な少女の姿に戻っていた。


「でも、アンタには関係ないから。部外者は部外者らしく、さっさと家に帰りなさい。良いわね?」


 じっと睨みつけてくる目元には涙の跡。しかし身体と声の震えは無くなっている。

 強い奴だ。腰抜けな俺なんかよりよっぽど強い。

 我が身を犠牲にしてまで他者を守ろうとする強い意志。俺には無い、いや、殆どの人が持っていないものだろう。

 でも。だからと言ってこの子に全てを丸投げにするなんて許されるはずが無い。

 この世界の誰しもが彼女の死を望むというのであれば。

 そんなワガママが通ると言うのであれば。


「スノウ。提案があるんだが」


 この世界の住人じゃない俺だって、何をやっても許されるだろう。

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