きみに傷がつくくらいなら 1




 渡辺わたなべ月子つきこは一人、ロケバスの中で台本を読んでいた。


 近いうちにドラマと映画の出演が控えている。静かに台本を読みつつ、口を動かしながら、必死にセリフを覚えていた。


「月子ちゃん」


 ロケバスに入った純が、月子の隣に座る。その腕には小包が二つ抱えられていた。


 月子は硬い表情で純を見ると、台本を閉じる。


「あ、ごめんね月子ちゃん。セリフ覚える邪魔しちゃって」


「別に大丈夫。それでなんの用?」


 足元で開いていたカバンに台本を入れ、純に向きなおる。


「平山さんとはどう? うまく、やれてる?」


 月子は答えない。感情を読ませるつもりのない無表情だ。


 しかし純は、会話を続けるような口調で言う。


「大丈夫だよ、月子ちゃん。今後、平山さんが月子ちゃんを傷つけるようなことは、しない。平山さんは優秀だよ。月子ちゃんだってわかってるでしょ。たまにうざったいときもあるだろうけど」


「平山になにか言われたの?」


 ずっと向けられた冷たい瞳に、首をふった。


「平山さんは、ちゃんと月子ちゃんのことを考えられる人だよ。ちょっと行き過ぎるときもあるけど。月子ちゃんのマネージャーとしての能力は、過不足ないと思う」


 大きなため息が返ってくる。月子は否定も肯定もしない。しわが寄る眉間に手を当てる。


「用はそれだけ?」


「ううん。どうしても渡したいものがあって。……またしばらく会えなくなりそうだし」


 小包の一つを月子に差しだす。ラベンダー色の袋がリボンで閉まっており、中身は平べったい長方形のようだ。


「はい。誕生日プレゼント」


 月子は視線を小包に移した。目を見開き、おそるおそる受け取る。


「私に?」


「他に誰がいるの?」


 小包を持つ月子は、ぎこちない声を出す。


「ありがとう。まさか、もらえるとは思ってなかったから……」


「中、開けてみてよ」


「あ……うん」


 丁寧に包装を取っていく。取り出した中身は、少し値が張る文房具ブランドのセットだった。


 ペンケースに、ペン、多機能ペン、シャーペン、消しゴム、そしてノートが数冊。


 すべてがラベンダーカラーでまとめられている。


 月子は眉尻を下げ、小さく声を出した。


「……ありがとう。ちょうど、欲しかったの」


 月子の私物は、嫌がらせのせいでズタボロになっている。忙しい中買いに行くこともままならない。


 高いプライドのせいで、親に新しく買いなおしたいと言うことも難しい。


 月子の反応は薄かったが、入っているものを一つずつ丁寧に触っていた。


「薄い紫って、月子ちゃんにぴったりの色だよね。きれいだけどミステリアスな色。ファングッズもこの色で統一してるんでしょ?」


「そう。私の、好きな色」


 プレゼントを見つめる月子は、ずっと反応に困っている。純はあえて触れようとせず、話を続けた。


「月子ちゃんは、来年受験生でしょ? 受験、するよね? 月子ちゃんは賢いから、しなきゃもったいないよ」


 純を見上げた月子の顔は、暗かった。純に対して何か言おうとしているが、ためらっている。


「受験期間は休めばいいよ。事務所がちゃんとフォローしてくれるだろうから。月子ちゃんはきっと、大学まで行けるよ」


 そこまででやっと、月子は反応を返してくれた。短く息をつき、薄く笑う。


「……事務所のフォローって、そう簡単にしてくれるものじゃないんだよ? 受験に集中するって言ったらあからさまに嫌な顔するスタッフだって」


「でも俺たち会長のスカウトでしょ?」


 言い切った純に、月子は目をぱちくりとさせる。すぐに吹き出し、うなずいた。


「そうね。そうだった。頼めば聞いてくれるよね。純ちゃんだってそうだったもんね。……ありがとう、純ちゃん」


 月子はもらったものをカバンの中に入れる。純の膝に置かれているもう一つの小包に、視線を向けた。


「それも、もしかして私に?」


「そう! 開けてみて!」


 純はふわふわとした笑みで、小包を差し出した。先ほどよりも大きく、円形の箱の形をして、包装紙に覆われている。


「ねえ、純ちゃん。私……」


「気にしないで。俺がしたくてしてることだから」


 月子の言葉を、さえぎった。月子は言いたかったことを飲み込んで、受け取った箱の包みを開けていく。


「あ……」


 中身は、チョコレートのアソートボックスだった。プラスチックの透明な箱に、さまざまな色をした包みのチョコレートがぎっしりと詰まっている。


 月子が以前、純にあげたあのチョコレートだ。


「このチョコ、すっごくおいしかった~。月子ちゃんが好きになるのもわかるよ」


 月子はほうけた顔で、箱をなでる。箱に詰まったチョコレートたちは、まるで宝石のようにキラキラしていた。


「ほんとうは食べ物をあげるっていうのは違うと思ったんだけどね。月子ちゃんは体型にも気を遣うだろうし」


「ううん、すごく、嬉しい。最近は買いにいくことも、できなかったから」


 月子は声色は喜んでいたものの、目を伏せて悲しげな声を出す。


「でも、今日はもう食べられないね。さっきケーキ食べちゃったから」


「別に今日食べなくてもいいじゃん? 明日から毎日一個ずつのほうが楽しいよ、きっと」


「どうかな? 私、欲張りだから。一度にたくさん食べて太っちゃうかも」


「ないない。月子ちゃんはちゃんと、大事に食べてくれるはず。一日を乗り切ったご褒美に食べて、がんばってきた自分をほめてあげたらいいよ」

 

 月子は薄い笑みで純を見すえ、いつもより低い声を出す。


「……純ちゃんって、ほんとうに。いつも、前向きで、優しいよね」


 純は細めたキツネ目で、見つめ返した。


 月子が考えていることも、抱えている感情も、今からなにを言おうとしているのかも、純にはお見通しだ。


「ごめんね、純ちゃん。わたし……」


「なんのこと?」


 気にしないようかけた言葉だったのに、月子の顔はゆがんだ。そこににじむのは、自責の念だ。


「私は、純ちゃんからこんなものをもらう資格なんて、ない……。純ちゃんのこと、たくさん傷つけちゃったから」


「大丈夫だよ。月子ちゃんが本当は優しいって、わかってるから」


「やめて。ちゃんと、わかってるの。純ちゃんは何も悪くない。私のわがままで、八つ当たりしただけだって……」


 月子の目に、涙がにじんでいく。


「ああ、だめね」


 こらえきれず、頬を伝って流れ落ちた。ごまかすように顔を背けてぬぐう。

 窓はカーテンが閉められ、外から顔を見られることはない。


「ほんと、だめだな、私……」


 一度流れてしまった涙は止まらない。ぼろぼろと落ちていく涙を指先でぬぐっていく。


「あのとき、誰かを自分以上に傷つけなくちゃ気が済まなかったの。最低なことだって、わかってるの。でも一番優しくて弱い純ちゃんを攻撃しちゃった……」


「……うん。大丈夫だよ。俺は、大丈夫だから」

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