第12話



 喜屋武さんの物語は【なるほど】と思わせるような要素があれば、【馬鹿ばかしい】と思わせる死亡原因もあり、さらには【いんちき】と思わせる構成があったりしながらも、遂にはその締め括りを迎えたようです。色々あった物語でしたが……今思えば【面白い】ものでした。何より……それに思考を巡らす事は、大量の時を消費するようなものでして、アタシ達のような、こちらの世界の住人にとっては最大の愉しみとなるのです。


 その後……映画を見終わった後のクレジットロールをただ見つめるかのような、誰もが何も言葉を発しない時間が過ぎました。それから……アタシとコムさんは、その物語への質問や感想を喜屋武さんを交えて話し始めるのです。


「その後、奥様はどうなったのでしょうか? 逮捕されたのですか?」


「結局のところ、喜屋武さんの離婚する気がなかった事が奥さんに伝わらないままだったのは……少し、悲しいですね」


 コムさんはその後の事が気になったのでしょう、奥さんがどうなったかを聞きました。そしてアタシは、喜屋武さんの届かなかった想いに物悲しさを覚えた事を伝えます。


 それを静かに聞いていた喜屋武さん。聞き終わると静かに口を開きました。


「さあ……逮捕されたかどうかは現世の警察の仕事ですし、わかりません。そもそも毒を飲んでしまったのは、事故と言った方が適切にも思えますしな。それに、妻と別れる気がなかったと伝わらなかった事も、今となってはどうでも良いものなのでしょう。言わば……知らなくても良い事は知らない方が良いのです」


 少し物悲しげに語る喜屋武さん。更に彼は話を続けます。


「実はですな、もう一つだけ残された謎掛けがあったのですが……お気づきになられましたかな?」


「えっと……他に何かありましたっけ?」


「僕も、ちょっとわからないですね」


 アタシとコムさん。両者で一度は幕が閉じられた物語を振り返りました。でも、思い当たる節はありません。


 その様子を見た喜屋武さんは、おそらくは最後であろう……その謎掛けについて語り始めます。


「文章の改竄の件でレ点の話がありましたが、それが残されていた位置は覚えておられますかな?」


アタシ、覚えてますよ。デスク上のディスプレイですよね」


「その通りですが……そのレ点はディスプレイのどの辺りに残されておりましたかな?」


「画面上部にでしたね」


 アタシの回答では不十分だったみたいですね。そこを補うよう質問を追加した喜屋武さんと、それに回答したコムさん。


 いったい何が語られるのでしょうか。一度は終えたと思った物語に、最後の謎が残っていたというのは興味をそそられます。


 アタシは一旦オフにした思考のスイッチに活を入れると、再び……そのスイッチをオンにしました。




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「それでは語りましょうか。上部に残されたレ点について……そこに残された意味をですな」


 アタシがその問に対しての明確な答えを用意できないうちに、喜屋武さんは最後の謎について語り始めました。


「これはいたって単純な事なのです。そう、上部に付けられたレ点はですな……文面の上部だけをひっくり返して、元に戻したかったと……ただそれだけのことなのです」


 どういう事でしょうか。えっと、上だけをひっくり返して、元に戻したら……




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我、齢にして六十を過ぐまで仕事にばかり専心するのみの生であったものの


恥づべきことに、老いさらばえてから人生の伴侶を得たものである。


だが今を迎え、七十を越す身体は当然のことであるが


精神の老いは想像を絶するほどで、我が心を蝕む不治の病であったのだ。


もはや命生とは長く持たないに違いない。


その事を考えれば考えるほどに鬱屈した精神は衰弱し、その毒は身体を害していく。


まるで糸が解れるかの如く、毎日毎日の摩耗の繰り返しが解れほつれを深刻にする。


そしていつの日にか、その糸は切れるのである。


もはや終焉は間近なのだ。


だが、その時を座して待つほどに、我が身体に時間は残されてはいない。


ならば、摩耗を続け、精神を病み、身体を侵されていく所以ゆえん


その因果となる糸を、自ら切る事こそに意味を求めるのだ。


褒められる事ではないのは百も承知である、しかし最後は自分で決したいと思うものだ。


せめて、全てからの解放、それをこそ望むのである。


つまり、心の平穏を保つためにも、私は生命の幕引きをしようと思う。それこそ唯一の落着となるのだ。


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「このようにすれば……この文面は、またも印象が変わりますな。つまりは……妻を愛しながらも己の余命を憂いて自殺する、哀れで愚かな男であったのだと……儂はそう残したかった。たったそれだけの事に……儂は最後の力を振り絞ると、画面の上部にレ点の血文字を残したのです」




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 かくして……喜屋武さんの死の物語には幕が降ろされました。その後、しばらく喜屋武さんと世間話を続けたりしたのですが……お別れの時が来てしまったようです。


「いやはや、楽しい時間を過ごさせていただきましたが……そろそろ暇乞いせざるを得なくなったようですな」


 きっとアタシ達のように、喜屋武さんの物語を聞きたがっている人達が他にもいるんでしょうね。アタシとコムさんは席を立つと……丁重なお礼を述べました。そして部屋の外、本当に何もない空間を行く喜屋武さんの背中が段々と小さくなっていくのを、共に見送りました。




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「面白い話でしたね」


 事件現場が具現化されたままの部屋に戻ったアタシは、コムさんに共感を求めるように話しかけました。


「うん。何というか……謎を推理するって言うより、喜屋武さんの心情に引き込まれていくかのような物語だったね」


 そうですよね。アタシも届いたかどうかわからない喜屋武さんの想いには感極まったものです。まあ、推理面においては老獪で狡猾な手法に思うところもありましたけど……。


「でも、離婚を決意した文の改竄が【最近使ったファイル】でバレちゃったりとか、毒を入れた奥さんが驚いて悲鳴をあげちゃったりとか……。推理としては、ちょっと卑怯なんじゃないかなって……そんな気持ちになりますよね」


 アタシは思った事を……そのまま発言しました。


「それは仕方ないんじゃないかな。そもそもがさ……現世において、そうそう完璧な犯罪者なんていないんだよ。みんながみんな小市民。そんなだからこそ、なれたとしても小悪党がせいぜいなんじゃないかな。そして……だからこそ面白いんだよ」


 コムさんは格好いいセリフを返答としましたが……それは不正解ですね。それは、なぜかって?




 それは……あーしは共感を求めて話しかけたんだから、それに乗ってくれるのが大正解だからですよ。




 ちょっと不機嫌になったあーしは、喜屋武さんのワイングラスが部屋に忘れられたまま残っているのを発見しました。喜屋武さんが物語を語りながら飲んでいた物ですね。そして、あーしは……そのワイングラスを傾けると、残されていた液体を一気に飲み干すのです。


「うん。やっぱりお金持ちの具現化するワインなだけあって、美味しい気がします」


 こうして、幼女がワインを飲むという図を最後に……


 この珍妙奇天烈な、喜屋武さんの死の物語には終止符が打たれました。




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 かつて聞いたエピソードを回顧し終わったアタシは目を開きます。その目に映る光景は……見覚えのある地味で殺風景なオフィスでした。


 今思い出すと恥ずかしくなりますね。なぜかと言えば……喜屋武さんの物語当時のアタシは、推理に関して何一つとして的を射ているような発言ができていなかったんですから……。でも、今は違います。その時から時は流れ……その間にも沢山の方々のお話を伺ってきましたからね。


 そう……以前のアタシに比べれば、今のアタシは賢くなっているはず。


 また次の機会があれば、あーしのインテリジェンス溢れる聡明かつ明哲なところを御覧いただきましょうか。




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 みなさんは死後の世界というものを知っていますか?


 この世界には【何でもある】けど、不足しているものもあるんです。


 それは【暇潰し】。


 皆さんも死んだ後に備えて、面白い話を十分に用意してきてくださいね。


 そうすれば……こちらの世界で人気者になれますよ。陽キャデビューできること請け合いです。




 第1話 『雁点』了


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