第11話



「実はですな。儂が離婚を決断した文書を書いておった事……それが妻にバレたのです。儂の死の日の夕刻でしょうな、儂が夕食を摂っておった際に、儂のパソコンの中身が妻に見られておったのです」


 喜屋武さんが自身の物語の種明かしを語り始めました。アタシとコムさんはソファの両端に姿勢を正して座ると、喜屋武さんの物語に傾聴します。


「ご一緒に夕食は摂られなかったのですか?」


「妻はスマホをいじっておると、なかなか食事に行かんからの。儂はそんな妻を放って、先に別室で夕食を摂ったのです」


 集中している中でも、コムさんは疑問に思った事は口に出して尋ねる方針みたいですね。アタシもそれに習いましょう。


「その時に、奥さんがパソコンの中身を覗いたって事なんですね?」


「うむ。だが、くだんの離婚決意文は普段の執筆のフォルダとは別に保存しておったはずなのに……それでもバレてしまいましたな」


「何処に保存してたんです?」


アタシの質問に、喜屋武さんは答えてくれます。


「マイドキュメントと言う場所ですな」


 そりゃバレますって。


 そもそも奥さんは喜屋武さんのスマートフォンを勝手に使っているみたいですし、パソコンを覗いたとしてもおかしくはないです。さらには、その延長線で拡張子検索したり、夫のPCのマイドキュメントを探ったりなんてのは……ざらにあることですよね。いえいえ、あーしはそんな事……したことはないですよ。


 あーしは内心で思った事が表情に出ないよう……細心の注意を払いながら、喜屋武さんの話の続きを待ちます。


「そして、儂が離婚を決意しているのだと……妻はそう誤解したのです。妻は社会的地位に固執するタイプでしたのでな、離婚を言い渡されるのには耐えられなかったのでしょう。妻は離婚を告げられる前に、毒物を利用し儂を殺害しようと考え……そして離婚決意文を改竄したのです」


 そっかそっか。奥さんの動機が遺産目当てじゃないかと考えていましたけど、それなら離婚の慰謝料を貰えばいいだけですし、喜屋武さんを殺す必要はないですもんね。それに社会貢献活動の目的が社会的地位を欲してのことだったとすれば……まあ、筋は通るのでしょう。




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「事件当日の夜、儂は普段通りに執筆を行っておりました。その日は珍しく妻がワインを用意してくれましてな。上機嫌でキーボードを叩いておったのです。その時ですな、ふと【最近使ったファイル】という欄が目に付きましてな……その上部に儂が以前に書きあげた、例の離婚を決意したファイル名が表示されておったのです」


 物語の山場に達したのでしょう。喜屋武さんは、まるで語り部かのように自身の物語を流暢に語り続けています。


「過去に書いたはずの趣味の悪い文章が、なぜか最近になって使われていたのですから……儂は驚愕の思いでしたな」


 黒歴史が時を経て……地雷となって爆発したんですね。わかります。


「そして、儂は動揺を隠せないまま……そのファイルを開いたのです。すると、そこには以前とは異なる文面。つまり、儂が自殺を決意したかのような文章が現れたのですな。儂は察しました。ああ、この文章は妻が改竄したのだと……」


 事件の真相を前に、アタシとコムさんは黙って息を飲むしかありません。


「離婚を決意した文面が自殺を決意した文面へと改竄された理由には、即座に気が付きました。妻は儂を自殺に見せかけて殺害しようとしているのだと……。そして、その時にかたわらに置かれていたワインが目に入ったのです。確信とまでは至りませんでしたが、そこに毒が入っているのではないかと。その時には……そう思ったのです。珍しく妻が用意してくれた物なのですから……尚更ですな」


「もはや儂の頭の中は混乱を極めた状態でありました。いったいどのようにすれば、今の苦境から逃れられるのだろうか……。それを考えるも、妻に文章を発見され、改竄され、そして命を狙われているかもしれない状況に、平静を欠いた儂の乏しい知恵では答えを得ることも叶いません。とりあえずは動転した気を鎮める為にも、時を稼ぐ為にも、儂は目前の改竄された文章を元に戻したのです。震える手ではキーボードを打つこともままならず、たかが二箇所を訂正するのに、どれほどの時を要したのかさえ、わからぬ程でありました」


 喜屋武さんの物語は佳境を迎えました。


「儂は自身が自殺を望んでいると読み取れる文章を直すと、次に️為すべきことを思案しました。何より妻の誤解を解かねばなりません。妻が発見したであろう文章は、儂が気を病んだ時に作成された文章であって、今はそのような事は考えていないと伝えなくては……。しかし、それを説明しようにも、過去に離婚を決意していたと知れば、それも妻の気を損ねてしまうであろう。気が重い、先程から頭はパンク状態だ。喉も乾く」


 アタシは感じるはずのない喉の渇きを感じるほどに、語りに没入していました。そして、喜屋武さんが次に口を開くのを待ちます。


 ですが……喜屋武さんはタメを作るかのようにして、なかなか口を開きません。そして少しばかりの静寂の後、ようやく口を開くのです。


「あまりの事態の深刻さに、儂の思考はもはや混沌としておりました。何を考えても、最終的に混沌に辿り着くのです。そして、それに疲れてしまった儂は……無意識に手元のグラスを手に取ると……一息に喉に流し込んでしまったのです」




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 予想の斜め下を行く超展開に……何を言うべきか戸惑うアタシ。コムさんですら、アタシと同様に動揺しているように見えます。


 ただ静寂が辺りを満たしている……そんな嫌な時間が続きました。これは何とかしないとですね。そうだ、とりあえず思いついた事を質問しましょう。


「え、えっとですね……前に聞いたお話では、毒を飲んだ時にはその文章はディスプレイに映っていなかったって言っていませんでしたか? でも、今の話では改竄されたのを修正したみたいですし、それがまだ残っているように思うんですけど……」


「ああ、それでしたら……しばし後に説明しますので、続きをよろしいですかな? ガハハ」


 まさかの展開に戸惑いを隠せかったアタシ達を見て愉悦に浸っていたのでしょうか。妙に上機嫌な喜屋武さんは、ミステイクで毒を一気飲みした後のことを語り始めます。


「入っておるだろうなと思った毒は、案の定に入っておったのです。度を越えた失態を犯した事を悔やむ思いは神経毒によって散らされ、臓器からこみ上げる血液を阻む事も出来ず、儂は吐血と共に頭を机に預けました。儂もこの毒性については知らなかったぐらいなのですから、妻も驚いたのでしょう。妻は悲鳴を上げましたが、すぐに儂の方へ近寄って来ました。遠くからは使用人が異変に気づいたのでしょう。こちらへ向かってくるような音も、かすかに聞こえておりました」


 喜屋武さんの独白は続きます。


「そして、消える意識の中で儂は見たのです。妻が文章の編集タブから置換を選ぶと、【命生と】の部分を【生命】と置き換えたのを……。儂は最後の力を振り絞ると、ディスプレイの上部にレ点を付けました。意図は先程の通りですな。そして、儂は絶息し……現場には遺書らしき文を前にした老人の自殺が残されたというわけです」


 えっと、まとめると……離婚決意文が発覚して、それに焦った奥さんは殺害を決意しました。しかし、喜屋武さんは例の文書が改竄されていた事に気づくと、それを直します。ですが、その事態は喜屋武さんの頭を混乱させるには十分でして………落ち着こうと思って飲んでしまったワインには、毒が入っていました。苦しみだした喜屋武さんに驚いた奥さんは、悲鳴を上げてしまいます。そして、その声に反応した使用人さんが来てしまう短い間に、置換を用いて喜屋武さんの自殺を示唆する文章に再改竄した……と言ったところでしょうか。


 アタシが喜屋武さんの話を頭の中でまとめていると、コムさんは手近にパソコンを具現化して何かを試しているようです。そして……


「うん。確かに置換なら早いね。僕もUSBメモリーに保管しておいた改竄後の文章をパソコンに移動して開いたんだろう、とか考えていたんだけど……間違いなく置換を使ったほうが早いね。それに文章作成がメモ帳を使っているみたいだから undo 機能で元に戻せるのは1手だし、その手も使えないみたいだ」


 コムさんは具現化されたパソコンで喜屋武さんの言った置換の再現を行っていたみたいですが……その手法が確認できたみたいです。




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「で……毒を飲んだ時にはディスプレイに文章が映されていなかったというのはどうなったんでしょう?」


 アタシ、しばらくは明かされた謎の余韻に浸っていたのですが、ふと思い出した話題を喜屋武さんに問い掛けました。


「文章が映されていなかったと言うのは適切ではありませんな。いいですかな……儂は『儂が死んだ瞬間にはディスプレイに映っておりましたぞ。ですがワインを飲んだ時点では、このような文面はありませんでしたがな』と、こう言ったのです」


 はい、覚えています。でも、それが何だって言うんでしょう……続きを待ちます。


「文面というのは、言わば文章全体の趣旨を意味するのです。そして、あくまでも儂が書いた文面は離婚決意であったのですが、死んだ時の文面は妻が改竄した偽造遺書ですからな。つまりは、毒を飲み下した時に表示されておった文面は離婚決意であったのに対して、死んだ時には偽造された遺書に変わっておったということです。補足するなら『儂が死んだ瞬間には(改竄済の遺書が)ディスプレイに映っておりましたぞ。ですがワインを飲んだ時点では、このような(改竄済の遺書の)文面はありませんでしたがな(なぜなら、ワインを飲んだ時点では離婚決意文面だったからなのです)』と、でも言えば伝わりますかな?」


 発言の意図を咀嚼し、飲み込むのには時間がかかりました。そして、ようやく意図を呑込む事ができたアタシは……その意図が、著しく消化の悪い物であった事に抗議の声を上げたのでした。


「それって、いんちきじゃないですかぁ……」




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