第10話
コムさんはディスプレイに映された喜屋武さんの遺書を、一言一句違わぬまま写し上げた紙を具現化すると、それを手に持ち……
「じゃあ、この文章に含まれる生命をね……命生にひっくり返してみるよ」
そう言うと、文章の該当箇所はひっくり返しにされました。その結果、どう変わったのかと言うと……
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我、齢にして六十を過ぐまで仕事にばかり専心するのみの生であったものの
恥づべきことに、老いさらばえてから人生の伴侶を得たものである。
だが今を迎え、七十を越す身体は当然のことであるが
精神の老いは想像を絶するほどで、我が心を蝕む不治の病であったのだ。
もはや命生は長く持たないに違いない。
その事を考えれば考えるほどに鬱屈した精神は衰弱し、その毒は身体を害していく。
まるで糸が解れるかの如く、毎日毎日の摩耗の繰り返しが
そしていつの日にか、その糸は切れるのである。
もはや終焉は間近なのだ。
だが、その時を座して待つほどに、我が身体に時間は残されてはいない。
ならば、摩耗を続け、精神を病み、身体を侵されていく
その因果となる糸を、自ら切る事こそに意味を求めるのだ。
褒められる事ではないのは百も承知である、しかし最後は自分で決したいと思うものだ。
せめて、全てからの解放、それをこそ望むのである。
つまり、心の平穏を保つためにも、私は命生の幕引きをしようと思う。それこそ唯一の落着となるのだ。
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「これだと少し意味がわからない文章だよね。唐突に命生さんの命が長くないだとか、命生の幕引きをしようだとか書かれていて……まるで殺人犯の告白のようにも読めるんだけど……」
コムさんの言う通りで、文章中に2回出てくる命生さん部分がしっくりこないですね。読み方によっては、命生さんを殺害する意思を示した文章と解釈できるかもしれませんが……やはり前半部分に
何か他の解釈をすることは出来ないでしょうか。例えばですね……実は命生さんは病弱で余命短く、喜屋武さんは自身の寿命が尽きる前に命生さんを楽にしてあげようと思ったとか。でも……物語で語られていた命生さんからは、そのような印象を抱くことはできませんでしたし……うーん、謎ですね。
「トイレ」
「え? あ……どうぞどうぞ」
コムさんは唐突にトイレと発しました。まったく意味がわからないです。とりあえずトイレに行きたいのなら行けばいいのにって思って、『どうぞ』と答えたんですが……そもそも、こちらの世界の住人には排泄の必要はありませんね。
「違う違う。えっと……喜屋武さんはね、この問題が難しいと思ったのか理不尽だと思ったのかはわからないけど、ヒントを出してくれていたんだ」
そう言うと、コムさんは喜屋武さんを見やりました。喜屋武さんはその視線に苦笑を返すと、口を開きます。
「いや、理不尽といいますか……こちらの世界に来てから後悔しただけなのです。何故、儂は厠まで行って死ななんだのかと。それさえ出来ておれば、より完成度の高い物語となっておったと言うのに。いやはや……後付けのようになってしまい申し訳ないですな」
「いえいえ。服毒なされた後のお話を伺うに、その状態でトイレまで駆け込むのは至難の業でしょうから……仕方ありませんよ。レ点を残されただけでも、ご立派だと思います」
コムさんは喜屋武さんの謝罪にフォローを返しました。で……トイレにいったい何の意味があるの?
「喜屋武さんは厠《カワヤ》で死ぬことが出来れば良かった的な事を言っていたよね。厠というのはトイレの事なんだけど……」
そんな事くらいは知ってます。表情で続きを促す
「トイレ……つまり、【と】という文字を【入れ】るんだよ。そうすると……こうなるんだ」
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我、齢にして六十を過ぐまで仕事にばかり専心するのみの生であったものの
恥づべきことに、老いさらばえてから人生の伴侶を得たものである。
だが今を迎え、七十を越す身体は当然のことであるが
精神の老いは想像を絶するほどで、我が心を蝕む不治の病であったのだ。
もはや命生とは長く持たないに違いない。
その事を考えれば考えるほどに鬱屈した精神は衰弱し、その毒は身体を害していく。
まるで糸が解れるかの如く、毎日毎日の摩耗の繰り返しが
そしていつの日にか、その糸は切れるのである。
もはや終焉は間近なのだ。
だが、その時を座して待つほどに、我が身体に時間は残されてはいない。
ならば、摩耗を続け、精神を病み、身体を侵されていく
その因果となる糸を、自ら切る事こそに意味を求めるのだ。
褒められる事ではないのは百も承知である、しかし最後は自分で決したいと思うものだ。
せめて、全てからの解放、それをこそ望むのである。
つまり、心の平穏を保つためにも、私は命生との幕引きをしようと思う。それこそ唯一の落着となるのだ。
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レ点が暗示していた【命生】と【生命】のひっくり返し。さらに【と】という文字を【入れ】ると……先程の文章は様変わりして見えます。
「これは……命生さんとの離婚を決意する文章なんでしょうか?」
「いやはや、お恥ずかしい。確かに……これこそが儂の書いた本来の文面なのです」
「おそらくは……奥様が社会貢献で海外へ出て、不在が続いていた頃に書かれたんじゃないかな」
コムさんが、この文章が書かれた時の状況の補足をしてくれました。
「でも……これが書かれた後には奥様との仲は改善していたんですよね」
文面の変化には納得がいったのですが、
「じゃあ、なんで喜屋武さんの死の時に……これと違った文章。要は、最初に見せられた文がディスプレイに表示されていたんですか?」
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「ふむ、これ以上はなかなか推理できる代物とは言えませんので……そろそろ頃合いといったところでしょうな」
喜屋武さんは姿勢を正し、そう切り出すと……加えて口を開きます。
「では語りましょうか。儂の死という……それはそれは滑稽な物語を……」
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