第9話



 苔のむす程の時間を経ました。アタシとコムさんは考えを巡らせては黙り、また考えるのを繰り返しています。喜屋武さんは、そんなアタシ達を満足そうに見ていました。回答者が考え……そして困っている姿を見るのは、出題者にとってとても愉快なものなのでしょう。喜屋武さんはとくに退屈するような仕草もなく、ただただアタシ達を見ては、愉悦に浸っていました。




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「喜屋武さん、奥様について伺いたい事があるのですが……」


 長い沈黙を破り、コムさんが喜屋武さんに問い掛けました。


「謎そのものに関してはお答えできませんが、何かありましたかな?」


 喜屋武さんは、そう返答します。謎に関しては答えてくれないのは当然でしょうね。もし答えてくれるんなら、とっくに聞いていますよ。


「奥様の名前を教えて頂けますか?」


「お話したように、喜屋武メイと申しますが……」


 長く思考を続けていて忘れちゃったのでしょうか? コムさんは喜屋武さんの奥さん……つまりはメイさんの名前を聞いています。何か意図があるのでしょうか? アタシは、コムさんと喜屋武さんの会話に注意深く耳を傾けました。


「いえ、そうではなくてですね。喜屋武さんは奥様の名前を説明された際に『社会活動家として国内では喜屋武メイ、海外では Can May と名乗りを併用し』と語っておられましたので、社会活動家ではない名前が存在するのではないかと、そう思いまして……」


「なるほど……鋭いですな」


 コムさんの指摘は的を射たものだったみたいです。喜屋武さんはそれを鋭いと評すると……ご本人の表情も鋭くなりました。そして……


「儂の妻の名前は喜屋武命生。命が生まれると書いて【めい】と読みます」


 そう答えるのでした。奥さんの喜屋武メイは命生と書くそうです。あまり見ない名前ではありますが……キラキラネームというほどでもないでしょう。でも、漢字がわかったからと言って、いったいそれが何だって言うんでしょう。


「漢字で命生と書くのが……いったい何を意味するんですか?」


 コムさんに名前の判明から、それに続く推理を求めるアタシ


「いや、意味があるかどうかは……ここから考えるんだよ」


 コムさんはそう言うと、再び思案に暮れはじめます。アタシも新しく得た情報から、何か再発見できないか考えることにしましょうか。


 少しばかり頭の中で考えを巡らせましたが、新情報は漢字が二文字だけなのです。当然、そこから何か思いつくことが出来るかと言えば難しいわけでして……


「うーん……名前が判明しただけでは、状況はひっくり返りませんね」


アタシは、そう独り言を漏らしました。




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 奥さんの名前の漢字表記が判明してから、どれくらい考えた時でしょうか。こちらの世界の住人となってからは、時間の感覚が現世の時とは変わっているので正確にはわからないのですが、それでもかなりの時間が経過した……その時です。


「ひっくり返ったかもしれない」


 コムさんは何かに気づいたのでしょうか。大きく頭を上げると……そう発しました。


「……何か、分かったんですか?」


アタシはコムさんに『ひっくり返った』発言の意図を問いました。


「おゆきさんの言ったとおりだよ。ひっくり返す……それが答えなのかもしれない」


「ほえ? あーし、何か言いましたっけ?」


 そう言いながら……自身の発言を思い返しました。ええと……確か『名前が判明しただけでは、状況はひっくり返りませんね』と言ったような気がしますけど、それが答えってどういう事なんでしょうか。アタシは首を捻りました。するとコムさんが続けます。

 

「それはね……名前が判明したから、状況がひっくり返るんじゃないんだ。つまり、状況をひっくり返すには……名前がひっくり返ればいい」


「名前がひっくり変える?」


 よく理解できません。コムさんの言う【名前がひっくり返る】とは、いったいどういう意味なんでしょう。例えば、日本で言う姓と名……英語で言うファーストネーム・ファミリーネームの入れ替えならば、 Can May は May Can になりますね。はい、5月が目的語から主語になりました。


 だからどうした……そう思った時に、アタシも気づいたのです。


「それって、【命生】さんなら……【生命】になるって事でしょうか?」


「そう、その通り」


 珍しくコムさんはアタシの意見を肯定してくれました。なかなか褒めてくれない人なので、ちょっと嬉しいですね。でも、ひっくり返った後には……いったい何があると言うんでしょう。


「命生がひっくり返ると生命になる。多分だけど……これは喜屋武さんの最後のメッセージなんだ」


「え……メッセージ?」


 コムさんが何を伝えようとしているのか、アタシにはまだ理解できません。ですから、発言をオウム返しすることで続きを促します。喜屋武さんは静かに、ただアタシ達を見守っていました。


「そう、メッセージ。これはね、喜屋武さんが最後に残したダイイング・メッセージだったんだよ。ほら、ディスプレイに血の跡が残されていたのって覚えてるかな?」


「そりゃもう、覚えてるに決まってるじゃないですか。ディスプレイの上の方にチェックマークみたいな跡がついていましたよね」


 アタシもですね、その跡に意味があるんじゃないかなぁと考えてみたことはあったんです。ですが、なかなか良い考えが浮かばなかったんですよね。結局は、毒に苦しんでいた喜屋武さんが手を伸ばし、その先にあったディスプレイに触れてしまっただけの跡だと思うことにしちゃいましたけど……


「チェックマークじゃなくて……レ点なんだよ、それ」


 へ? アタシは頭の中でコムさんの発言の真意を……少し考えて気づきました。


 えっと……つまりですね。喜屋武さんが付けた跡がレ点だったのならば、それはやはり【命生】と【生命】をひっくり返すことを意味するのです。では、そのひっくり返される【命生】と【生命】は何処にあるのかと言えば……やはり、それも喜屋武さんのメッセージが伝えてくれていました。


 あーしにも分かってきたような気がします。多分……あの文章ですね。


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