第5話



「それでは……語るとしましょうか。かくも滑稽な物語、そう……儂の死の【物語】を」



 アタシとコムさんは、ソファー両側の位置で姿勢を正します。そして、中央を見やり……このご老人がいったい何を語るのだろうかと、固唾を飲んで、話が切り出されるのを待ちました。先程から喜屋武さんは濃紫色の液体を飲まれているのに対して、我々が飲むのは固唾です。




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 喜屋武さんの口からは、まだ言葉が発せられません。いつになったら語りだすのだろうとアタシ達は喜屋武さんを注目したままです。そしたらですね……その視界の中央の喜屋武さんとコムさんをそのままに、地味目なオフィスだったはずの背景は瞬時に切り替わるのです。


 思わずソファーから周囲へと視線を移しました。すると、先程までのオフィスだった空間は……何とも格調高い空間へと一変しているのです。


「ガハハ、申し訳ありません。話の状況を伝えやすくする為にも、周囲を具現化して変えさせていただきました」


 この新たな空間を具現化したのは喜屋武さんのようですね。場面転換とでも言いましょうか。しかも臨場感を増す効果もありそうですね。流石に巷で人気な語り手とあって……こういった手法には感心してしまいます。


 ソファに座りながら変貌した室内を眺めると……広さはオフィスの時よりは少し広いくらいで、12畳くらいでしょうか。壁面東側には本棚がズラリと並べられ、そこには隙間もなく本が詰められています。


 もう片方、西壁面には無数の雁が……雁行の飛列のまま空を飛ぶ様を描いた絵画が飾られています。その下にはベッドやナイトテーブル。さらにはワインラックや生活品を収納するサイドボードが置かれていました。どれもこれもが……高級品の様相ですね。


 そして、北面にはドアがあって……ここを通じてこの部屋の外へと出ることができるのでしょう。


 最後に、残された南壁面。そこには高級そうなパソコンデスクがあって、当然のようにパソコンとディスプレイが置かれています。少し見えにくいんですが……デスクチェアもありますね。これもまた高級な感じに見えます。


 デスク上には、他にもマウスやキーボード、ワイングラス等々が置かれていました。それと、もう一つ気になる物体があるのですが……はい、本当に気になるんですけど……今はそれには触れないでおきましょうか。これに関しては喜屋武さんが話してくれるはずでしょう……今は黙っておきますね。


「おや……やはり気づいてしまいましたか?」


 私の視線に気づいたのでしょうね、喜屋武さんが言いました。ええ、それは気づきますよ……そりゃあ……だって……ねえ。


「ガハハ、演出過多でしたかな。ただ、これは語るに必要な舞台装置でして、ご容赦いただきたい」


 喜屋武さんはそう言いながら、私に向けて軽く頭を下げました。


 今、気づいたんですけど……喜屋武さんの頭頂部付近は寂しくなっていますね。容姿が自由に変えられるこちらの世界なんですから、自身の若かった頃の容姿を取っても良さそうに思えます。ですが……そうはしなかった。それは多分……今からする話の為には、今の姿であることが効果的だからなんでしょうね。つくづく面白い話をすることで評判の方の工夫や構成は、一味も二味も違うものです。


「では、始めましょうか。さすがにもうお気づきだろうとは思いますが、これこそが……儂の死んだ時の状況なのです」

 

 はい。気づきましたとも。だって、デスクチェアーに腰掛けたまま……パソコンデスクに頭を預ける形で落命した遺体があってですね……その容貌は、どうみても喜屋武さんなんですから。さらには、吐血したのであろう血液がデスク上に溜まっており……隅からは雫となって床にも落ちています。


 つまりですね……今のあーしの視線の先には喜屋武さんの遺体があって、隣にも喜屋武さんがいるんです。なかなかに面白い光景ですよね。現世では、なかなかお目にかかれないでしょう。


「ここは儂の私室であり……儂の死んだ現場でもありますな。いや、何度見ても自分の死体というものには慣れないものですな」


 あーし達を見やると、ガハハと首を上げ笑う喜屋武さん。この状況に困惑している聞き手を見て笑うのは想定通りなんでしょう。なんだ、実は慣れたものじゃないですか。


「この部屋……よく見させてもらってもよろしいですか?」


 コムさんが許可を求めると、喜屋武さんは首を縦に振り了承の意を示しました。コムさんは立ち上がると室内を見て回り始めます。アタシもそれに続くことにしました。


 見渡せば……豪奢と形容されるのが相応しい書斎兼私室です。家具のそれぞれには高級家具特有の重厚感が感じられますね。千円ほどのカラーボックスでは味わうことの出来ない気品みたいなものです。ほら、カラーボックスって本を詰め込みすぎると凹んじゃったりするんですけど……あれって板が中空なので、思ったよりも荷重に耐えられないからなんですよ……知ってました? 


 さて、カラーボックスの話はいいとして……この部屋の本棚には、重そうな百科事典や歴史書に学問書。太宰や芥川の全集に、無数の古典や漢文書籍。他にも欧米の大文豪の和訳書籍等々と、いかにも格調高い書籍達が隙間なく詰め込まれています。各書籍は内容も重ければ、物理的にも重量級の代物でしょう……にも関わらず、この本棚の各段を区切る仕切り板は、その荷重に対して余裕を感じさせています。


「いやいや、お恥ずかしい。数だけは揃えましたが、愛読しているような本などは両の手で数えられるほどでして……。言うなれば、本棚に並べてある本によって、自身を知性的だとする演出なのです。なにせ、一度も目を通したことのない本の数は……両の手どころか両足を使っても数えられないでしょうからな」


 言い終わると、またもやガハハ笑いをする喜屋武さん。もしも数える気があるなら、アタシの両手をお貸しますよと言おうと思ったんですが……


「いえいえ、ご立派な書架だと思います」


 と、先にコムさんがフォローを入れてしまいました。悔しい。フォロー後に言ってしまったら、せっかくの面白さが半減しちゃうじゃないですか。


「もしも数えるなら、あーしの両手も貸しますよ!」


 せっかく思いついたんだし、それを飲み込んでしまうのも面白くない……言うべきタイミングは逃しましたが言ってみます。言うだけタダですから。




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「ところで、お部屋の様子からして、生前はかなり裕福な生活をなさっていたかのように見受けられますが……」


 言うべき機会を逸したアタシの発言はなかったことにされると、コムさんが別の話題への転換を促しました。


「そうですな。現世では同族経営の化学企業、そこの創業家の2代目をやっておりました。とは言っても、儂のやったことなど無いも同然でしてな……社員の頑張りによって企業規模を拡大していっただけの無能な社長でしたな」


「いえいえ、そのような事はないでしょう」


 今度もコムさんがフォローを入れます。これに関しては私も同意ですね。


 アタシも平社員として仕事をしていた際、上役からの的を射ない指示ほど厄介なものは存在しないと思っていたものです。そう考えれば……自身を無能と言ってしまうような喜屋武さんの人格からしても、厄介な指示をするようなタイプの社長ではなかったんじゃないかなって、そう思います。少なくとも、自身を有能だと言い切ってしまうような人よりは、万倍もマシでしょうね。


「さて、現世においての齢にして六十を過ぎた頃ですかな。儂にも、とある転機が起こりましてな。それを機に社長の座を降りようと決意したのです。会社の事は、これまでに貢献してくれた社員達に報いるためにも、従業員持ち株制度を導入しましてな。その後、私の持ち株が社員達の組合に渡ると、私は肩書を名誉職のみとする形でリタイアできました。株の売却益もありますからな、優雅な老後というヤツです」


「子供に会社を継がせようとか思わなかったんです?」


 アタシは率直な疑問を口にしました。


「ガハハ、おったならば……考えたでしょうな」


 あ……失礼なことを聞いてしまいました。アタシはすぐさま頭を下げ謝罪をします。それはそうですよね。現世で老人になる程には長生きしていたからといって、子供がいるとは限りません。なんとなくの思い込み発言……それが他者を傷つけるような発言であったとわかった時のバツの悪さに、穴があったら入りたい……本日二度目の、そんな気分です。


 ですが、喜屋武さんに不快そうな表情は見られませんでした。それどころか……長い年月を経て深く刻まれたであろう皺が、より深くなるほどに破顔した表情を見せています。一言で言って……とても嬉しそう。やらかしておいて何なんですが……いやはや、まったくもって意味がわからないですね。


「ええと、つまりは……その件に関してと言うのが、先程言った転機なのです」


 ああ、確かに転機とか言っていましたね。確かリタイアする転機だとか……。


 アタシとコムさんは、何か重要そうな話が続きそうな気配を察すると……視線を喜屋武さんの方へと向けました。


 ですが……喜屋武さんは、すぐには口を開きません。タメを作っているのでしょうか……いや、そんな風には見えませんね。何ていうかモジモジしてるというか……思春期の少女化とでも言いますか……。


「ええとですな、恥ずべき事に齢六十を越え……そのような時期になってから……儂は人生初の伴侶を得たのです」


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