5-2

「良いねぇ、毎日イケメンと一緒に暮らせるなんて」

「ちょっと、さやかだって、旦那さんかっこいいよ?」

 夏紀とさやかが久々に会ったのは、数ヶ月前から計画していた温泉旅行の当日だった。旅行会社へ二人で行くのは難しくなってしまったので、暮らしに若干余裕ができたさやかがすべてやってくれた。

 温泉旅行のバスツアーを選んで、二人で参加した。周りが高齢の女性グループだらけだったけれど、特に気にしない。もともとは夏紀のストレス発散の予定だったけれど、今の夏紀にはストレスは全くない。

「夏紀、本当のところ、いつからオーナーと付き合ってたの?」

「いつだったかなぁ。さやかの二次会の、ちょっと前かな」

 宿の部屋で電気を消して、二人は既に布団に入っていた。

 ぽかぽか温泉で温まって、美味しいものをいっぱい食べて、あとはぐっすり寝るだけだ。美味しいもの──と言うとハルが怒りそうだけれど、彼が作るのは洋食がメイン、宿で食べたのは和食だ。

「本当にスピード婚だね。出会って一年経ってないんじゃない?」

「──私はね。でも向こうは、十年くらい前から知ってたんだって」

 ハルが大学を卒業した後、大雨の日のピアノの発表会で夏紀を見つけて云々。十数年後、向かいの家に笠井家が越してきて云々。の話をすると、

「オーナー、よく待っててくれたね」

 と、さやかは関心していた。

「奇跡だよ、何もかも。良いなぁ」

「まぁ、途中で彼女はいたらしいけどね。本気にはなれなかったって」

「多かっただろうね、寄って来たギャル。そうそう、夏紀が二次会で弾いたピアノだって、間違えなかったの奇跡でしょ? 確かに夏紀は上手いけど、私が聴いたことある中でダントツで凄かったもん」

 二次会でピアノを弾くことになってから、夏紀は今までにないくらい本気で練習した。ハルに出会った発表会で弾いた『きらきら星』よりもちろん難しかったし、ハルでさえ練習しないと弾けないと言っていた。

 本番は成功したけれど、前日最後に弾いた時は、ミスが連発だった。

 夏紀がハルに見られると緊張することに、彼は早くから気付いていたらしい。


 結婚が決まったことを、夏紀はすぐに会社に報告した。ハルとの話し合いの結果、夏紀は仕事を辞め、ハレノヒカフェの手伝いをすることになった。

「だからって、俺、ナツには給料出さないけど」

「い、良いよそんなの。私は……」

「なに? ナツは何?」

「私は……」

 出会った頃のようにわざと冷たく聞くハルに、夏紀は少し膨れた。

 電車の通勤ラッシュから離れられる解放感。

 仕事の期限を気にしなくて良い心の余裕。

 なにより、大好きな人と暮らし、大好きな場所で仕事ができて、大好きな音楽に関わっていられる、それが一番の幸せだった。

「今年度で辞めるとして、ナツ、有給どれだけ残ってる?」

 会社で人事に問い合わせた結果、夏紀が出勤する最後の日は、ちょうどさやかとの旅行の前日になった。ハルと毎日顔を合わせるのは実際には無理だったけれど。夏紀が旅行を終えてからハルと暮らし始めることが決まり、両親にも簡単に挨拶をした。


「それじゃーね。また遊ぼうね。ふふ、イケメン旦那によろしく」

 さやかとはバスを降りたところで別れ、夏紀はひとりで電車に乗った。平日ではあったけれど帰宅ラッシュの時間ではなかったので、始発駅なのもあって座席は確保できた。

 電車はしばらく都会を走り、ビルの隙間から夕陽が車内に入る。それほど眩しくはないのでカーテンは下ろさずに、しばらく外の景色を眺めた。

 やがて車窓に海が見えるようになり、夏紀は降りる準備をする。夕陽が沈み始めていて、海も空も綺麗なオレンジ色だ。残念ながら雨が降っていたけれど、傘が必要なほどではなかった。

 電車を降りて、荷物が多いのでホームの端に寄り、他の客たちが過ぎていくのを待った。改札が落ち着いたのを見て、夏紀は来ているはずの人の姿を探した。

「ナツ! おかえり」

 その声の主を見つけて、夏紀は手を振った。近くにいた若い女性がハルを二度見したけれど、それは気にしない事にして彼との距離を詰める。

「ただいま。寂しかった?」

「──寂しかったよ。ナツがいない家なんて嫌だ」

 ハルは少し膨れながら、夏紀の荷物を持って歩き出した。

「ははは、なんか、変な感じ」

「なにが?」

「だって、今まではここで、ハルが私に傘を貸してくれてたんだもん」

 夏紀が笑ってそう言うと、ハルは立ち止まった。

「もう貸す予定はないし。最悪、濡れて帰ることになるな」

「えっ、やだなぁ。風邪ひくよ……」

「傘を持てばいいんだよ。ま、俺は家にいるだろうから、温める用意くらいはしとくけど」

 ハルの言葉に夏紀が戸惑っているのを置いて、ハルは車へと向かう。

 温める──それはどういう意味ですか?

 車へ向かう背中に聞いてみても、答えが返って来ることはなくて。

(まぁ、いっか、どっちでも)

 夏紀はハルに駆け寄って、傘を持つ彼の腕を掴んだ。

 途端、夏紀のほうが背が低いので、ハルが少しバランスを崩して倒れそうになる。

「ごめん、大丈夫?」

 夏紀はすぐにハルから離れたけれど。

「いいよ。ナツの好きにすれば」

 ハルは少し笑い、再び夏紀が寄って来るのを待った。

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