4-12 -side ハル-
そして今日も雨の中、俺は駅にいる。
いつもは後ろから見つけた姿を、今日は逆に待つ。下りホームに電車が着き、乗客が改札にあふれる。
改札を出た人たちは、傘を差して足早に去っていく。もしくは、迎えの車に乗り込む。
集団の最後に出た人を見送ってから改札のほうを見て、俺はやっと安心した。
「ナツ! おかえり」
親友との温泉旅行に出かけていたナツが、いま地元に戻ってきた。親友も地元は同じだが、彼女は結婚してから住所が変わった。
「ただいま。寂しかった?」
「──寂しかったよ。ナツがいない家なんて嫌だ」
ちょっと膨れて言いながら、俺はナツの荷物を持った。寂しかったのは事実だが──、これからの長い日々のほうが楽しみで仕方がない。
ナツと会った雨の日はいつも歩いて帰ったが、迎えはもちろん車だ。荷物をトランクに詰めてナツを助手席に乗せ、俺はプロヴァンスに向けて車を走らせる。
「家に着くまで待ってほしかったなぁ」
窓の外を見ながらナツは、雨に文句を言っている。
「本当に、雨ばっかりだよ、ナツと俺」
最初に出会った発表会も、去年再会した時も、何かある日はいつも雨だった。
「でも、ハルは晴れ男なんでしょ? 私の方が強いってこと?」
「ははは! そうかも。でも、良いんじゃない? 同じ音を鳴らすより、違う音でハモるほうが。それに、天気がどうだって、うちはいつもハレだから」
俺とナツの仮の新居は、ハレノヒカフェの二階にある。カフェを建てた当初から住めるようにしていて、ずっとカギを掛けて秘密にしていた。もちろん、そこは狭いから、本当の新居は近くに建設中だ。
ナツは三月末で仕事を辞めて、専業主婦になる。もちろん、カフェでの演奏は続けるし、時間があれば接客も手伝ってくれるらしい。実は既に有給消化中で、会社にも行っていない。
カフェに到着すると、ドアの前でテツが待っていた。
「あっ、オーナー、夏紀さん! おかえりなさい!」
「ただいま」
ナツが久々に顔を出すと、テツはいつも嬉しそうだ。
「こら、テツ。ナツは」
「わ、わかってますよ、僕は挨拶しただけですよ」
本当かぁ? と言いながらナツが中に入るのを待ち、テツを押し込んでから俺はカギをかける。最後にシャッターを下ろしてから、カウンターに向かう。
旅の土産を渡すナツを置いて、俺は先に二階に戻った。楽しそうに土産話をしているナツの声が聞こえるが──、どうやらそれは、『俺が待ってるから』と途中で止められてしまったらしい。
雨は降り続いたままで、窓や屋根を叩く音が一人の部屋に響く。
ナツが上がって来るのを待ちながら、晩ご飯の用意をする。調理は既に終えているので、温め直しておく。普段の料理はナツにお願いしているが、洋食なら俺の方が絶対上手いと思う。
その日の全ての用事を済ませ、俺とナツは一緒にベッドに入る。シングルに二人は正直狭いが──、ダブルを入れると部屋が狭くなるし、別々に寝るのも嫌だ。ナツと離れていた一晩を取り戻そうと、腕の中にナツを閉じ込める。
「ねぇ、ハル。明日さ。家具、見に行こうか」
「え……、水族館じゃなかった? それからデパ地下のスイーツ見て回る、って」
今年のバレンタインは、ナツと思いっきりデートすると決めていた。今まで外に出れなかった分、丸一日かけるつもりにしていた。チョコはいつも食べてるから、ナツには用意するなと言ってある。
「うん。行くよ。でも、家具も見たい。まさか、このベッド、新居に持っていかないよね」
「俺は狭くても良いけど」
そして顔を近付けると、そのまま唇を重ねる。それは多分、ナツと初めてした時以来の静かな時間だった。聴こえているのは雨音だけで、それが心地良い。
ナツは確かこの時間を、フェルマータだと言ったっけ。
しばらくしてから顔を離すと、ナツが口を開いた。
「雨音の、変奏曲。本当に作ってよ。ピアノで聴きたい」
「──実は、主題をちょっとだけ考えてるんだ。それも明日、弾こうか」
ナツとの暮らしは、きっと楽しいばかりじゃない。価値観の違いはあるだろうし、喧嘩だってするだろう。でもそれも全部、臨時記号や一時の短調と考えよう。同じ五線に乗る以上、合わないことはない。
変化の起きないメロディなんて、絶対につまらないから。
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