4-11 -side ハル-
あの日は朝から大雨が降っていた。
出来ることなら家でじっとしていたい程に、雨粒が窓を叩きつけていた。傘を差しても絶対に濡れるし、車の運転も危ない。
本当にこの日の外出をやめてしまおうと思った──けれど、少し小降りになった間に俺は外出した。地元のピアノ教室が開いた発表会に、車を走らせた。
大学を出て、就職しないでふらふらしていた。両親の影響なのかピアノは好きで、もしものために資格もとった。規則に縛られるのは嫌で、サラリーマンは考えなかった。自由に生きていきたかった。
ナツに出会ったのは、その発表会だった。
みんな上手かった。ほとんど間違えなかった。そんな中でナツは──間違いは多かったかもしれない。でもそれは、曲の難易度を考えれば仕方ないし、問題にはならなかった。曲に対する向き合い方が、俺と似ている気がした。
ナツにピアノを教えたいと思った──けれど、ナツは教室をやめて引っ越してしまっていた。父親の転勤について行ったと、先生に聞いた。
「ちょっと晴仁、うちでピアノ教えないんなら、どこかで働きなさいよ」
母親に言われ、父親にも怒られ、俺は適当にバイトを探した。業種を決めず、いろいろやった。バーの店員、レストランの調理、アパレルの販売に、もちろんピアノ教室にも雇ってもらった。けれどどれも長くは続かず──モデルにスカウトされたのは、ちょうどその頃だ。
けれど俺は、どうしても忘れられなかった。夢を追いかけ、希望だけで、プロヴァンスの頂上にカフェをオープンさせた。雨の日の仕事は嫌だから晴れの日だけにしよう、そんな気持ちで名前をつけた──はずだった。
しばらく経ったある春の日、実家の向かいに一家が越してきた。部屋の窓から様子を見ていて、俺の中で何かが弾けた。三人家族の一人娘に、なんとなく見覚えがあった。怪しまれないように外に出て、表札を確認した。
(笠井……、前にこのへんに住んでたみたいな話してたよな……)
俺の勘は確信へと変わる。
そして忘れられなかったこと──笠井夏紀が気になって、どうすれば仲良くなれるかとばかり考えた。そして結果が、傘、カフェ、ピアノだ。
ピアノを教えたかっただけのはずが、好きになってしまったのはいつからだろうか。
ハレノヒカフェは晴れの日だけの営業のはずが、店内はいつもハレの日にしたくなったのは、いつからだろうか。
ナツがカフェを辞めると言ったとき、本当は引き留めたかった。自分では、引き留めているつもりだった……。「噂を気にしない」のは俺が好きだからで。「また探す」のはナツ以外にいないのに。
言わなければ伝わらない。
ナツに出会っていなければ、俺はまだ、人生で損をしていたのかもしれない。
「俺と、結婚してください」
ナツはちゃんと返事をする代わりに、きらきら星を聴きたいと言った。それは本当に、ナツが発表会で弾いた曲かもしれないし、俺がアレンジしたほうかもしれない。けれど俺は、『雨音の主題によるたくさんの変奏曲』のことだと思ったし、それは正解だった。俺がきらきら星を弾き始めると、ナツは俺が持っていたオカリナでときどきメロディを鳴らした。
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