4マス目  実力の数値

 水の音がする。

 空気も何だか澄んでいて、顔に当たる光が温かい。

 ほのかに香る花の香りに誘われるよう、俺は重く閉じた瞼を開く。


「……あれ?」

 

 白い天井、体にかかる柔らかな毛布。

 俺は混乱した頭を整理しようと、だるさの残る身体を起こす。

 

「あ、起きましたか?」


 その声に振り返ると、一人の少女が花瓶に花を入れている。

 俺が助けた黒髪の女の子だ。


「良かったです。もう朝になっちゃいましたよ」

   

 少女は優しい手つきで綺麗に花を整えている。

 それを見ながら段々と澄んできた頭で、昨日の出来事を思い起こす。


「そうか、あの後助けられて……」


 横にある棚に目を移すと、俺の荷物が綺麗にまとめられていた。


「もしかして荷物……、拾っておいてくれた?」


「はい、鏡みたいな道具は壊れていましたけど……」


 鏡……、そうかタブレット端末。


「いや、別に充電も出来そうにないし、無くなっても構わないよ」


「充電?」


 聞きなれぬ言葉に少女は首を傾げた。

 どうやら本当にここには科学技術が無いらしい。

 よく見ると点滴のような道具も、中には液体ではなく水晶が入っている。

 そこからオーラのようなものがじわじわと溢れ出しながら、管を伝って体に流れ込む。


「あの、これって……」


 俺は深く考えず、彼女に聞いてみようと声をかける。

 その時にこの子の眼を見て、俺は気づく。


「ぁ……はい、なんですか?」


 少女の眼は真っ赤に充血していた。

 必死で戦って忘れていたが、助けられたのは妹さん一人だけ。

 この子の両親は辿り着いた時には死んでいたんだ。

 今でも親の名を呼びながら泣き叫んでいてもおかしくない。

 それを我慢して俺の看病をしてくれている。

 本当に強く優しい子なのだろう。

 とにかく、元気になったことを伝えてあげよう。


「ありがとう、もうすっかり良くなったよ」


「そうですか、よかった。

お医者さんが言うには、魔力が空っぽだったそうです。 

それと、……あの、これどうぞ」


 少女の手には四十万円と書かれた小袋、中にある少し装飾の凝った紙には賞与なんたらと長ったらしい文章。

 文末には王国騎士団の判子と衛兵のお偉いさんのサイン。


「もしかして賞金かなにか?」


「はい、討伐貢献のお金だそうです」


 貢献と言っても怪我をさせたのは一人だけ。

 それでこの大金は、逆にあの三人の危険性が推し量れる。

 しかも俺は明らかリーダー格の女に”また会いましょう”なんて言われてしまった。

 あの声を思い出すだけで今も背筋が震える。


「それでその、このお金受け取ってもらえませんか?」


 彼女は不安そうな顔で小袋を俺に差し出した。

 だがこのお金を受け取って祝勝会という気分でもない。


「袋は衛兵の人から貰ったのか?」


「その……、はい。 

でも大きな衛兵のおじさんが、今後大変そうだから貰っちゃえって」


「それなら君が持っておきな」


 俺は突き出された袋を少女の胸元に押し返した。


「そんな、できません! 

助けてもらったうえにお金まで……」


「そうか? なら遠慮なく……」


 俺は少女の持つ袋をちょいと摘み上げる。


「んでもって、俺からのお小遣いだ」

 

 俺はこの子の頭をなでながら、袋をその手に握らせた。


「いいんだよ。

こう見えてそれなりに稼いでるんだ。

ちょっと変わった仕事をしててね。

俺の着ていた服も、初めて見る服だったろ?」


「…………本当にいいんですか?」


「ああ、どうぞ」


 女の子は俯くと、ぎこちなく涙を拭う。

 少し目をそらすように暗い顔をしたと思ったら、袋をギュッと握りしめて顔を上げた。


「この御恩は一生忘れません! 

ありがとうございます!」


 少女はまた瞳から零れ落ちた涙をぐっと拭うと、そのままどこかへと走り去っていった。


「……良かったのかな、これで」


 あの子の問題は、とても金で解決できるものではない。

 他に何かしてやれることは無かったんだろうか。


「……いや、これ以上はお節介か」


 俺は倒れこむようにベッドへ寝そべる。

 ぼんやりと天井を眺めてみるが、十分に寝たせいでもう眠れない。


「えーっと、スマホどこ行っ、あ……」


 ネット漫画でも読もうと思ったが、当たり前なことに今更気が付いた。

 こんな場所に回線が来ているはずがない。

 不幸中の幸いで、腕時計の方は電池式の物なので時間は狂わないのはまだ良かった。


「本当に役立たたずになっちまったな」


 鞄から取り出したスマホの充電三%表記を見て、ガックリ肩を落とす。


「はぁ、散歩でもするか」


 俺は似合わない病院着の胸元を直すと、点滴台を手で押しながら部屋を出た。








 その頃、少女は病院のすぐ近くにある魔道具店にいた。

 袋から出した40万円を現金のまま握りしめ、物色するように店内を見て回る。

 あまりに不用心な姿を見かねた店主が、彼女に声をかけた。


「お嬢ちゃん。

ここは君みたいな女の子が来る場所じゃない、早く帰ったほうがいいさね。

最近はこの辺だって物騒なんだよ」


「そんな事わかってます」


 少女の声はとても暗く、鉛の様に重い雰囲気を纏っていた。

 店主の心配をよそに、少女の視線が一つの商品に吸い寄せられる。 


「すみません、あれを貰えますか?」


 少女が指差す物を見て、店主は眉をしかめた。


「ちょっとお嬢ちゃん。

あれは子供が扱うようなもんじゃ……」


「いいから売ってください!! お金ならあるんです!」


 少女の瞳の奥からは、子供には似つかわしくない闇が垣間見えた。

 店主はその気迫に威圧され、ただ黙って首を振る。

 品物を買っていった少女の背中を見送った店主の手は、少しだけ震えていた。









「なんだこれ?」


 病院の廊下にある休憩スペース、そこには四角いボックスのような、元の世界で言うところの自動販売機のような物体がこれ見よがしに鎮座する。

 硬貨を入れる穴も、下の取り出し口も、ライトアップされた飲み物もある。

 だがもちろん機械ではない。

 石像のような石造りに、所々ガラスから光る石が見え隠れした独特の形状は、なんだか儀式にでも使うような想像を引き起こさせる。


「しかも売ってるのこれだけ?」


 赤い文字で魔力缶と書かれたシンプルパッケージ。

 それがたった一種類だけ、この中にずらっと並べられている。


「飲んでみるか?

いやでもどんな味かかわかんないし……」


 自販機モドキに釘付けになり、立ち往生して首をかしげる。

 そんな俺の後ろから野太い男の声。


「そこにいたか!」


 病院に似つかわしくない声量が耳に届いたと思うと、俺の肩を大きな手がガッシリと掴んだ。


「へ?」


「やっと見つけたぞ! 

黒い服で変なスカーフの……、ってあれ?」


 見覚えのある顔、聞き覚えのある声。

 肩を掴む体格のいい男と俺の間に流れる数秒の沈黙。


「あ、思い出した!

昨日注意してきた衛兵の人!」


「貴様は昨日のっ!? ……ああ、いえ」


 衛兵は大きく咳払いをすると、兵隊らしい洗礼された敬礼を見せた。


「ブルーローズ幹部、ネスト・ダーリッヒを退けた方と聞き及んでおります」 


「ネストって、……あぁ、あの色黒女のことか?」


 三人組のリーダー格、そういえば名前も知らなかったな。


「やっぱりおま……いえ、あなたでしたか。

衛兵を代表して御礼申し上げます!」


 衛兵は大きく頭を下げる。

 さっきあの子が言ってた大きい衛兵さんというのはこの人だったのか。

 だがブルーローズという単語には聞き覚えがない

 

「その青薔薇? ……ってのはチーム名かなにか?

それにあの女が口にしてたのは、イエローハートとかなんとか」


「いえ、イエローハートは昔解散した盗賊団です。

彼女はブルーローズという犯罪組織の最高幹部ですよ。

ほら、手配書もこんな感じで」


 俺は差し出された手配書に目を通す。

 顔はフードの隙間からチラリと見えたが、顔立ちはおよそ俺の記憶の中と同じ。

 種族名ダークエルフと書かれているあたり、さすがは異世界。

 街では見なかったが、話しを聞くと他にも亜人なんてのがいるらしい。

 そうして下の方に視線を滑らせていくと、大量に並んだ数字の羅列。


「えっと、一、十、百………、六千万!?

賞金が六千万って、桁を間違えてないか?」


 日本の基準で考えても、八桁の懸賞金なんてそうそうかけられたもんじゃない。

 たとえ異世界だなんだと言ったってあまりに法外。


「これでも安いくらいです。

伝説と呼ばれるような化け物ですから」


 衛兵から聞かされたのは、奴隷商人を襲って奴隷ごと食い殺したとか。

 派遣された討伐隊を一人で返り討ちにしたとか。

 竜を従えて大立ち回りをしたとか。

 聞けば聞くほどの圧巻の人外っぷりに、思わず他人事のように聞き入ってしまう。

 俺がこうやって生きてるのは、どうやら奇跡らしい。


「それにしたって、この世界には写真も無いのか」


 手配書には、手書きの似顔絵の下に大きく賞金が記載されている。

 それ以外には、服装や特徴、種族名などの記載。

 ここまでは分かるが、賞金の横に見なれない項目が見て取れた。


「……ここの賞金額の下に書いてある、推定レベル5って?」


「それも知らないって、貴様はどんな田舎から――。

ああいえ、失礼しました」


 衛兵は誤魔化すようにもう一度大きく咳払いをすると、俺の点滴を横目で見て歩き出す。


「疲労した身体で無理はいけない。

この先はあなたの病室で話しましょう」



 





「推定レベルとは、人が持つ強さを街の実力者たちが統計を取り、破壊力、危険度、戦闘力、影響力、などを推測した物で……」


 十数分にわたる解説が俺の病室で淡々と続けられるが、説明が回りくどく頭に入ってきづらい。

 俺は鞄からメモ帳と筆記用具を出し、自分なりにまとめてみた。


「つまり、こういうことか」


レベル1  家畜や虫など

レベル2  一般市民

レベル3  鍛え上げた兵士

レベル4  エリートクラスの戦闘のプロ

レベル5  騎士団の隊長や準ずる組織のボス

レベル6  単身で大部隊を相手取れる人物

レベル7  国家と同等の実力を持つ者

レベル8  大災害の危険性がある存在

レベル9  歴史上で危険視される存在

レベル10 世界を滅ぼす空想の怪物


「まあだいたいは。

レベル6以上になると、そんな人間はほぼいませんので。

レベル5が日常で見る最高レベルと思っていいでしょう」


 そもそも、レベル8とか、9とかはもう絵本の登場人物だ。

 しかもその説明だと、昨日戦った女が最高レベルってことになる。


「もう一つ聞いても?」


 衛兵は看護師に貰った水を飲みながら「どうしました?」と返す。


「単刀直入に言うと、なんであの子の家が狙われたのか。

それだけの大悪党が狙うにしては、普通の民家だったはず」


 一瞬の間をあけて、衛兵は思い悩むような口ぶりで答えた。


「……実は被害にあったのはあの家だけではありません。

他にも二軒の住宅が被害に遭ったようで」


 その答えに、俺は深く眉をひそめた。


「……それは、初めて聞いたな」


「死者が出たのはあの家が最初、他は運良く留守だったと。

これはまだ非公開なもので、内密に」


 これ以上死者がいなかったのはホッとする。

 しかしそれでも疑問が解消されたわけじゃない。

 

「もしかして襲われた三つの住宅には、何か共通点が?」


 俺の返答に、衛兵も深く頷く。


「被害者宅全てに地下室があるんです。

金品の類いは何一つ取られていませんので、それ以外の何かを探してたとしか………あっ!」


 衛兵は時計に視線を走らせると、慌てて立ち上がった。


「申し訳ありません、そろそろ仕事に戻らなくては!」


「ああ、どうもありがとう。

悪いですね、仕事中に長々と」


「いえいえ、それでは」


 ……なんか、敬語も使わずダラダラ喋ってしまった。

 ま、誰も咎めはしないだろう。 

 何せあれだけの大金星を挙げた後なのだから。


「……ブルーローズのネストか」


 もしこれがゲームならば、ボス敵を倒せばクリアだ。

 ならばこのブルーローズを倒せば何か変わるのだろうか?

 そんなことをグルグルとベッドの上で考えていても、どうやったって考えが纏まることは無い。

 なので俺はそのまま目をつぶり、夢の中へ逃げることにした。

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