1マス目  ふりだしに戻る

 俺が座っていたのは川沿いのベンチだった。

 いや、目の前のこれは川というよりは水路に近いかもしれない。

 しかし俺の住んでいる近くには、川底が見える水路なんて無い。

 俺は付近を見渡すが、目に入る景色は明らかに日本のそれとはかけ離れている。

 ざっと見ただけでも、石造りの道に馬車が走り、赤い屋根瓦の建造物の数々。

 なんの気なしに歩く人々だって、剣や盾を携えていたり鎧を纏っていたりと……。


「なんだよここ……」


 まるでヨーロッパのような鮮やかな色彩の景色。

 しかし奇妙な点が一つ。

 周りの建物や看板には何故か日本語の表記。

 もはや不自然を通り越して不気味にすら感じる。

 だが、ここがどこだろうと今はいい。

 何故生きているのかがわからない。

 あの時俺は確かに死んだはず……。


「今はあれか、昏睡状態ってやつなんだろうか?」


 夢の中の景色、そんな理由付けでもないと説明できない世界。

 俺は自分が出した結論に、妙に納得してしまう。


「よかった、奇跡的に助かったのなら……ん?」


 ふと俺の右手に硬い物がぶつかった。

 そこにあったのは、俺がいつも使っている通勤用の鞄。 

 中には仕事用のスマートフォン、タブレットや筆記用具、仕事の書類のコピーまである。


「夢の中まで仕事か……。 俺らしい」


 そういえば最近ずっと仕事漬けだった。

 目が覚めて退院したら、友達と飲みにでも行こうかな。

 そんなことを思いながらスマホを見ると圏外の表示が。


「変に細かい夢だな」


 俺は懐にスマホをしまい込むも、妙に周りからの視線が痛い。

 何故か周囲の目線が俺に集中しているのを感じ、ふと視線を落とす。


「そっかこの格好か……」


 周りの人間が鎧やらローブやらに対して、黒のビジネススーツでは目立つに決まっている。

 その上で現代機器には縁がなさそうな場所でスマホを触りながら独り言。

 変人か不審者、そんな印象を持たれても不自然ではないのかも。


「場所を変えるか」


 俺は人目を避けるため路地へと入りこむ。

 薄暗く狭い道を通っていると、近くの建物から豪快で品性のかけらもない笑い声が響く。

 なんだか逆に気になって、俺は声の方に視線を向けた。

 そこにあったのは古めかしい小さな酒場。


「酒場? それも西部劇で出てきそうな……」


 いい感じの雰囲気をかもし出す両扉を押し開けて、怖いもの見たさで中に入ってみる。

 俺が中へ足を踏み入れた瞬間、わずかに店全体の音が静まった。

 テーブルを囲むいかにもな連中がこちらへ睨みを利かせてくるが、いちいち気にしててもしょうがない。

 俺は適当なカウンター席に腰を下ろす。


「マスター、焼酎を」


「なんだそりゃ? そんな酒ここにはねぇ」


「……それじゃあビールで」


「あいよ」


 夢くらい自由に飲み食いさせてくれよ。

 そんなことを考えていると、右斜め後方から何やら物騒な会話が聞こえてきた。


「異国人か? どうする」


「あの腕のもんは装飾品だろ、見た感じ貴金属だし」


「それじゃ決まりだ、店を出たら囲むぞ」


 偶然聞こえたひどく物騒な話に、首筋から汗が垂れる。

 腕のもんと聞き、そっと眼球だけを動かし自分の腕を見やる。

 そこに巻いてあるのはブランドでもなんでもない、適当な店で買った七千円の腕時計。


「ほれビールだ」


「わだっ!」


 緊張しているところに急に出されたものだから、驚いた勢いで体が跳ね椅子が大きな音を立てた。

 奥に座る三人組がこちらを睨む様子が、マスターの磨くグラスに映る。

 反射だからハッキリとは見えないものの、全員ガタイのいい筋肉質な連中。

 あんな奴らに狙われたらたまったもんじゃない。


「ん? どうしたんだ?」


「いや、何でも……」


 そもそもこんな店でビクつく格好を見せれば、明らかなカモと見られただろう。

 もしも今すぐこの場で囲まれたりしたら……。


「――――って、――――かよ。

――――――だとし――」


 話し声がさっきより明らかに小さくなっている!

 やはりこのままじゃ店内で襲ってくるかも……。

 店内じゃ逃げ場もないし、このマスターが助けてくれるとは思えない。

 たぶん、喧嘩なら外でやれと追い出されるだけだろう。

 一か八かだが外に出て走って逃げよう。


「マスター、会計頼む」


「ああ、600円だ」


「……ん? 円?」


「どうした? まさか持ってないとか言わねぇだろうな!?」


「いや、そういうわけじゃないんだが……」


 通貨が円。

 こんな冒険小説にでも出てきそうな場所で円の通貨が出てくる違和感に、俺は苦笑交じりに思い出す。


「そっか、これは夢だもんな」


 周りに聞こえないような呟きだったが、店主には金も払わずブツブツ言っている相手が気に食わないのだろう、

 苛立った様子で声のトーンが上がる。


「おい、早く金を払いやがれ!」


「ん? ああ……悪かったな、ほら」


 朝に金を下ろしていたため、財布の中身は5万円ほど入っていた。

 俺はおもむろに一枚、一万円札を取り出してカウンターに置く。


「万札か? めんどくせぇなぁ」


「いや、とっときな」


 俺はお釣りももらわず財布をしまう。

 それを見て店主はにやけるような笑いをこぼした。


「ほお、気前がいいな兄ちゃん」


「いやいや、ただそれなりに稼いでるだけだよ、じゃあな」


 稼いでるというのは冗談だったが、夢の中くらいは良い顔をしたいものだ。

 俺は足取りも軽く店を出ると、さも当たり前のように先ほどの三人組が後ろからついてくる。

 俺の足取りは早くはなかったものの、店を出て10秒ほど歩いたところで囲まれた。


「ちょっと待てよ」


「てめぇ、金持ってそうじゃねぇか」


「殺されるか、持ってるもん出すか、好きな方を選びな」


 第一声から頭の悪そうな言葉が飛んでくるが、無視を決め込む。

 夢ならば殴られても痛くないだろう。

 無視を決め込んで黙って歩いていれば、こいつらもいなくなって……。


「っぅぐぶっ!」


 ……突然全身を駆け巡る激痛。

 呼吸ができない、口が閉じられない。

 方向の感覚も、重心も、自分が今立ってるのか座ってるのかさえ曖昧。

 現状を理解した時には、俺の体は地面にうずくまっていた。


「うぐっっ……ううっ」


 腹部から鼓動に合わせてせり上がってくる鈍痛。

 無駄に鍛え上げた筋肉で、みぞおちを容赦なく殴られたのだ。

 痛いなんてもんじゃない。

 胃からすっぱいものが沸き上がってくる。

 息もできない、足に力が入らない。


 夢?ゆめ?ユメ?ゆメ?ユめ?夢?夢?夢?夢?夢?夢?夢?夢?


 ………………違くないか、……これ?


 ほんの数秒、たったそれだけで鼻筋から雫が滴るほどの汗が出る。

 落下して迫ってくる地面も、例えようが無い恐怖だった。

 しかし、”殺人”という向こうから追いかけてくる恐怖は、それさえも上回る悪夢。

 恐怖に恐怖が重なり、脳に血が廻らず、物を考えられない。

 ……ただひとつだけ強く思ったのは。


「……死にたくない」


「あ?」


「死にたくないぃぃぃ!!!」


 俺は泣きながら走った。

 腹と足に力が入らず、滑稽な逃げ方で走った。

 大声で助けを求めながら必死に走る。

 だが聞こえてくるのは俺を笑う声だけ。


「逃げてんじゃねぇよ!」


「ぐああああぁぁぁぁっっ……っぎぃっ」


 足に激痛が走りその場で倒れ込む。

 振り返ってみると、大きなナイフが深々とふくらはぎに突き刺さっていた。

 俺はもう恐怖と痛みでまともな言葉を喋れない。

 それでも地面を這って逃げる。

 もう周りの音なんて一切耳に入っていなかったが、これだけは聞こえた。


「じゃーね、おっさん」


 視界の端に振り下ろされる刃物が見えた。














『ふりだしに戻る』



 まぶたの裏にそんな文字が見えた気がした。

 俺が目を覚ましたのは、どこまでも美しく、不自然で違和感のある川沿いのベンチだった。

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