ふりだし廻りの転生者

チリーンウッド

ふりだし  死にたがった罰



――君、明日から来なくていいよ



 本日付で仕事を解雇された俺は、その言葉が頭に反響し続けていた。

 『リストラ』。 クビの理由はたったの四文字で片付くシンプルなものだ。

 俺が5年間働いていた会社はすごろくの制作会社だった。

 しかし現代の娯楽に溢れた世界で、そんな時代遅れの物を売り続ける事などできない。

 売上はどんどん下がって会社は存続の危機。 

 俺のリストラも不思議なことではなかった。


「これから、……どうすればいいんだろう」


 俺には家族はいない。

 仕事が忙しくて恋愛をしている時間がなかったから、彼女もいない。

 両親は随分前に離婚して、育ててくれた母は高校の時に病気でポックリ逝ってしまった。

 父親は連絡先が分からず、生きてるかさえわからない。

 悲惨なくらい孤独な人生。

 そんな俺はただひたすら仕事に明け暮れていたが、これで最後の拠り所も無くなってしまった。

 もう疲れた。

 そう思い始めるのは不自然な事だろうか?

 本来なら電車で帰路につくはずの俺の足は、自然と駅から遠ざかっていた。


「……ここなんかいいかもな」


 俺の目に付いたのは、8階建ての古いマンション。 

 最近ではセキュリティを強化している場所も多いのに、今時オートロックもない。


「遺書……、いらないか。 読んでもらう相手もいないし」


 何となくエレベーターを使う気になれず、階段で一歩ずつ上がってゆく。

 頭に様々なことが浮かんでは消えていく。

 会社のこと、葬式のこと、自分の家のこと、そして最後に思ったのが母のことだった。

 母の顔が頭に浮かび、自然と涙が頬を伝う。


「母さん、……俺が逝ったら怒るかな」


 足がすくむ。

 震えた手が、鉄柵から離れない。


「何なんだよ俺は。

生きるのが嫌になったら、次は死ぬのが嫌になる。

どうしようもないクソ野郎だ」


「そこで何してんの?」


 振り返ると、そこには真っ白な服の女の子。

 長袖にスカートに靴と、全て綺麗な白い柄で統一されている。

 随分と整った顔立ちだが、今はそんなこと考えてる場合じゃない。

 住んでもいないのにこんなところまで入ってしまって、これは不法侵入なんじゃないか?


「いや、……あの、ごめんなさい!」


 俺は腰をくの字に折り曲げて、深々と頭を下げる。

 だが女の子は、俺のその姿が妙に可笑しかったらしい。

 口元に手を当ててぷるぷると震えている。


「っくふ……、んふふふっ、…………あははっ。

あははははははははははははははは!!!」


 この反応は何なのだろう。

 俺は意味が解らず目を点にする。 


「ははははっ、ふぅーー、あー可笑しかった。

……最後にいい気分で笑えたよ。

ありがとね、おじさん」


「おじさんって、俺はまだ24で……っておい!!?」


 女の子は柵を乗り越えて、わずかな出っ張りに足を乗せる。


「何やってんだよ!? 戻ってこい!!」


 女の子は首を横に振り、下手な作り笑いを見せた。


「……嫌な思いさせてごめん。

でももう、辛いの、消えたいの、無くなりたいの」


 そう言って、女の子の体が俺の眼前から消える。

 ほんの一瞬の出来事だった、…………だが。


「つ、掴んだぜ! あっぶねぇ、ギリギリもいいとこだ!」


 俺の右腕に女の子の全体重が掛かる。

 すぐに両手で引き上げようとするが、人の体というものはあまりに重い。

 その時、少女の袖が重力に沿ってずり落ちていく。

 露わになったそのか細い腕には、無数の切り傷。

 いわゆるリストカット、自殺のためらい傷だ。


「放して、もういいの」


「良くねぇよ! 早く足をかけて登ってこい!!」


 老朽化が進んでいるのか、柵もミシミシと音を立てる。

 時間が無い。

 俺は無我夢中で叫んだ。


「頼むから死なないでくれ!

目の前で女の子が死ぬより胸糞悪いことがあるか!!」


「……それって、自己満足?」


 女の子は呑気な顔で聞いてくるが、こっちは少しも余裕がない。

 今にも手汗で滑ってしまいそうだ。

 だから俺は、一切何も考えず思ったことをするすると口から吐き出した。


「そうだよ、全部俺の自己満足だよ!

俺が後悔したくないだけ、だから俺のために死ぬんじゃねぇ!!」


 もう……、限界だ!

 そう思った瞬間、腕にかかる負担が軽くなる。

 女の子は出っ張りに足をかけて、柵の下部分を握りしめる。


「自殺を止められたことは何回もある。

……でも俺のために死ぬな、なんて言ったのはおじさんが初めてだよ」


「はぁ、はぁ、……褒めてんのかそれ?」


「さあね」


 女の子は余裕の表情で、柵に足をかける

 それに対して、こっちは全身汗でびちゃびちゃだ。


「そこまで来れば、もう平気だろ。

んじゃ、俺はもう行くから」


 俺が汗を拭いながら鞄を拾い上げた、その時。


「え?」


 ガコンッという無機質な音と共に、柵が外れた。

 音も無く、その大きな柵は落下してゆく、白い少女と共に。


「っざけんなぁ!!」 


 俺は飛びかかるように身を投げだした。

 死に物狂いで伸ばした手は、少女の手を強く掴み真後ろに投げ飛ばす。


「あっ」


 無我夢中で何も考えていなかった。

 下はコンクリート。

 助かる術はない。


「あっえっ、嘘だ」


 落ちてる瞬間は走馬灯を見るというが、あるのは圧倒的な恐怖。

 さっき死にたいと思った自分を殺したいと思うほどの、頭のおかしくなるような絶望感。

 怖くて何も考えられない、怖いっ、怖いっ、怖いっ! 

 無情にも近づく地面が、視界いっぱいに広がって……。


「死にたくな…」








『ゲームスタート』


 そんな言葉が耳に入った。


 ……生きてるのか?

 俺は静かに重いまぶたを押し上げた。

 強い日の光、風のそよぐ音、水の流れる音、猫の鳴き声。

 そこに広がる光景は、俺を病院の中だと錯覚させるのを許さないような。

 どこまでも美しく、不自然で違和感のある場所だった。

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