三日坊主ちゃんと筆まめ君

空草 うつを

日記

 隣に人の気配がなくて目が覚めた。これだから人よりも感覚が鋭いのは嫌なのだ。神職の家系だからか生まれつき第六感まで備わっちゃってる私は、辟易してしまう。

 人ひとり分あいたスペースの、少し窪んだシーツに手を這わせればまだ温かいことを知る。


 春の真夜中は肌寒い。クローゼットからフードに猫耳が付いているパーカーを取り出して、廊下に出た。廊下は案外寒かったから、フードを深く被ってみる。


 写真館兼住宅のこの建物、一階部分は店舗、二階はリビングと寝室がある。人の気配のする隣室の書斎に、そろりと忍び寄った。

 案の定、そこに真澄ますみ君の姿があった。こちらからは背中しか見えないが、デスクに向かって何か書き物をしているようだ。右手がしきりに動いている。

 レトロなカバー付きのライトだけでは暗かろうと、部屋の電気のスイッチを探りあてて点けてあげた。あくまでも親切心、驚かすつもりは微塵もなかったのだけれど。


 大きな背中がビクッと跳ね上がり、喫驚した顔で振り返ってくる。私を見るなり安堵のため息をひとつ吐いて、ズレた黒縁眼鏡を中指でくいっと押し戻す。回転椅子をくるりと優雅に回して私の方へ体を向けてきた。


「ごめん、起こしちゃった?」

「起きたら隣にいなかったんだもん」

「寂しかった?」

「……うん」

「おいで?」


 おいでよの、誘いにのっちゃう、ホトトギス。

 小走りに駆け寄って真澄君の膝の上に座ると、くるんと椅子が回ってデスクと真澄君に挟まれる。後ろから回された左手は私のお腹に、右手はボールペンを持った。

 デスクの上には、二眼レフカメラで撮ったらしい真四角の写真とフィルム、そしてダークブルーの革表紙の分厚いノートが置かれていた。


「いつもの書いてたの?」

「そうだよ」

「日誌、みたいな、手紙、みたいなのね」


 真澄君の字は右上がりで角張っていてクセがある。その字で綴られているのは、写真を撮った時の様子と、真澄君が霊と話した内容——普通の人では霊の言葉は聞こえないから——。それを、写真に封印した霊の家族に伝えるために、事細かに書いていく。

 今回は八十八歳を目前に亡くなったお爺さんの霊を写真に封じたらしい。ひとりこの世に残された奥様へ、真澄君なりの思いも添えていた。


「真澄君って筆まめだよね。私には無理だな」

「ちーちゃんもやろうとしてた形跡はあったけど」


 全く身に覚えがなくてきょとんとしていると、真澄君がデスク脇の引き出しからビタミンカラーの文庫本サイズの手帳を取り出してきた。


「これ、ちーちゃんの日記でしょ?」

「嘘!? 私日記なんて書いて……あ」


 私も真澄君に倣って日記をつけようとしたことがあったことを、今思い出した。その日起きたことを書き止めるだけなのだが、すぐに三日坊主の本領を発揮してしまったようだ。


 一日目は二ページも使ってその日起きた事を朝から晩まで余す事なく書き連ねていた。

 その日はゴミを漁っていたカラスに向かって近所のおじさんが箒と熊手の二刀流で撃退していたり、公園でネタ合わせしていた若手のお笑い芸人が意外と面白かったり、夜中に騒いでいた酔っ払いに絡まれた時に真澄君に助けてもらって惚れ直したりした、らしい。


 二日目にして『今日は天気が良かった』という小学生以下のレベルになり、三日目で『今日も頑張って生きた』というこれ以上ない全肯定の一文をもって、私の日記は役目を終えたのである。

 拙い日記を閉じた時、ボールペンの音が止まった。


「はい、終わり」


 本来ならコピーをするけれど、今晩はここまでにするようだ。ダークブルーの表紙を閉じると、ふうっと息をついて私を後ろから抱きしめてくる。顔を首に埋めてくるから真澄君の髪の毛がくすぐったい。


「ところで何で猫耳フード?」

「これしかなかったから」

「ふぅん?」

「何?」

「いや、別に。寝よっか」


 立ち上がった矢先、私のお腹が元気に、腹減りました、という声を上げた。


「何か食べようかな。あ、夕食の残りの焼き鳥、まだあったっけ」

「え、また食べるの?」


 苦笑いしている真澄君から次に出てくるワードは既に熟知している。その前に口を塞いであげるのだ、先手必勝、やったもん勝ち。背の高い真澄君の肩に手を置いて、思いっきり背伸びしてキスをお見舞いする。

 これで思う存分焼き鳥を食べれる、はずだったのに。


「まいったかー。何も言わせないにゃー」


 猫の手を作って顔の横に置き、ドヤ顔でリビングに向かおうとした所を、急に横向きに抱きかかえられた。真澄君は私を抱えたまま廊下へと出ていく。ジタバタ抵抗しても悲しきかなびくともしない。


「待って待って、焼き鳥食べたいんですけど」

「却下」

「何で?」

「可愛いことする千鶴が悪い」


 不意に窓ガラスがガタガタと音を立てて揺れ、動きを止めて凝視してしまう。


「また落武者かな?」

「風だよ。今晩は風が強いって言ってたから」

「でもまた誰か尋ねてくるかも?」


 真夜中の訪問者は案外よくあることだった。だから特段驚くことはない。


「じゃあ誰かが来る前に早く寝よ」

「真澄君はさ、寝させる気、あるの?」


 その質問にはふっと口角を上げただけで答えてくれない。めげずにお腹が減ったから焼き鳥食べる、とニャーニャー喚く私は完全に無視され、寝室に連行されていった。


(完)

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