【KAC2022】清河絵里が猫の手を借りた結果。

マクスウェルの仔猫

第1話 清河絵里が猫の手を借りた結果。

(…どうしても、せっかくの美味しいパイに言葉が負けちゃう…)


 清河絵里きよかわえりは、平日の図書館で閲覧席の空き待ちをしていた。


 本棚の近くにある丸椅子に座り、膝の上に置いたノートPCのアップルパイの画像を見つつ、むむむっ!と考える。


 去年、バイト先の小さなカフェで新作のパスタのPOP等を任された絵里は、売れ行きがなかなか良かった為、オーナーに褒められた。


 そして今では、そのパスタがカフェの人気メニューになっているという経緯があり、今回もオーナーに新メニューの宣伝を任されたのだ。


 そうして、絵里は張り切ってキャッチコピーを考えているのだが、美味しいパイに並べられる様な良い言葉が思いつかない。


 時折、丸椅子の近くにあるキッズスペースの子供達に目を向けてホッコリしながら、絵里は再度、むうっ!と気合を入れる。


(そうだ、思いついた言葉を並べてみよう!何か浮かぶかも)


 PCの画面を分割し、画像の横のメモ帳に単語や短文をタカタカタカ、と入力していく。

 すると。


「パパより打つの早ーい!」


 自分の椅子から1メートルくらい離れた、キッズスペースを囲うクッションから小さな男の子が絵里に話しかけてきた。


「そうなの?」

「そうだよ!パパもお仕事で、ぱそこん使ってるの。でもおねえちゃんみたいにダダダダーン!って打てないの!いっつもぱそこんの前で腕組んで、ウンウン言ってるばっかり」

「そっかぁ」


 キラキラした目で男の子が絵里とPCを見ている。

 私もそんなに打つの早くないんだよ〜と思いつつ、男の子の笑顔を見てまたまたホッコリする絵里だったが、続く男の子の言葉に凍りついた。


「ねえねえ!おねえちゃんのはどんなお話なの?パパはね、できたら必ず僕にお話してくれるんだよ!」


(それってもしかして…パパさんは作家の方で、PCを早く打てないのは構想しながら打ってるから?)


 絵里は慌てて、男の子に話しかけた。


「ごめんね、おねえちゃんは君のパパさんみたいにお話作ったりできないの」


 絵里がそう言うと、男の子はしょんぼりして俯いてしまった。


「…最近、パパが新しいお話してくれないの。まだできないからごめんなって、ずっと言ってるの。ねえ、おねえちゃん…パパ、僕にお話するの嫌になっちゃったのかな…?」


 絵理の喉が、ヒュッ!と音を立てた。


「そ、そんなことないよ!きっとパパさんはすっごいすっごいお話を作ってて、時間がかかってるんじゃないかな!」

「そうなのかな…」


 絵里がそう話しかけると、男の子は顔を上げた。


 3。


 男の子は顔を歪ませて、澄んだ涙を目にいっぱい溜めはじめている。


 2。


 あ、この子泣いちゃう!

 絵里は、どうしよう!どうするの!と必死で考える。


 1。


「う、ぐすっ。うあ…」

 男の子の目から、ポロリと涙が零れ落ちる。


 0。




「じゃあ!じゃあじゃあ!おねえちゃんがパパの代わりにお話、しちゃおっかな!!」

「うええぇ…………ほんとっ?!」


 男の子が涙をグシグシと拭きながら、クッションから身を乗り出して絵里を見る。


(私の馬鹿っ!馬鹿ぁっ!こんな事言っちゃってどうするの?!でも、でも…ここで何もしなかったら、私はダメ!考えなきゃ!考えなきゃ!)


 そうして絵里は、盛大に自分を罵りながらも、闘志を燃やしてドッパァン!!と暗闇イメージの海へと飛び込んだのだった。



 ●



『僕は、気がついた時には海で泳いでたんだよ。

 僕の名前?名前はね…そう、カツオのカツ夫って言うんだ!』



「カツオのカツ夫〜?」

 男の子が、うふふと笑ってくれた。

 さあ行け、私!

 絵里は男の子の笑顔を見て自分を奮い立たせる。



『…スイスイって泳いで、みんなで毎日一緒にご飯を食べて、クジラさんやイルカさんや他にもいっぱいの海の友達と一緒に楽しく暮らしてたんだ!』


「…」


 男の子はまだ、キラキラした目で、絵理の話を聞いてくれている。


『……でも、そんな時にアイツは現れたんだ。

 おっきな体の、シャチっていうヤツ。

「おお、おいしそうな魚達がいるなぁ。腹も減ったし、お前らを、食べてやろうか」って言い始めたんだ』


「カツ夫、食べられちゃうの?」

「悪いお魚さんに食べられちゃうの…?」


 絵里は微笑んで、二人の子供に人差し指を立てた。

 まだまだ、これからだよ!と。

 絵里は必死に続きを考える。

 

『…みんなでシャチから頑張って逃げた。でも仲間の一人がもう逃げられないって時に、群れの中にいた僕らのリーダーが「逃げろっ!ここは僕にまかせるんだ!」ってシャチに体当たりをして、僕らを守ろうとしてくれたんだ!』



「りーだー、負けるな!やっつけちゃえ!」

「めーなの!はち、めー!!」

「ぼくもシャチやっつける!わるいやつはこらしめてやる!」

「きゃいきゃい!あー!」


 絵里は子供達に微笑みながら、ツウ、と冷や汗を掻く。

 子供、増えてるよね?と。

 そして、子供達の父親、母親と覚しき大人達が、ウンウン、と微笑みながら見守っている。

 

 (えーい!女は度胸だぁ!)

 絵里は止まらない。

 子供達と一緒に、冒険譚へと。


『……何度も体当りしていたリーダーは、疲れてフラフラしていても、シャチのヤツと戦ってた。

 僕は悔しかった。悲しかった。僕等は楽しくみんなで泳いでいたいだけなのに。

 そう思ってたら、仲間の誰かが叫んだんだ。「リーダーは食べさせない!俺も体当たりする!」

 みんなも僕も、仲間に合わせて、勇気を出して力いっぱい叫んだ。

「私も!」「僕も!」「ワシもじゃ!」「アタチも!」

 それからクジラさんやイルカさんも一緒に、全員でシャチのヤツに順番に体当りしたんだ!そうすると…』


「「「「「「「………………!」」」」」」」

「あうー!だぁ!」


 子供達は息を詰めて聞いてくれている。赤ちゃんは可愛い声をあげる。絵里は、もっと人数が増えた事は全力で見ないふりをした。


『…シャチのヤツは「いたっ!いたたた!やめてくれ!もう食べようとしたりしないから!ぐすっ…うおおおおん!」と泣いて逃げ出したんだ!シャチのヤツをリーダーの勇気と、僕達の気合いで追い払う事ができたんだ!!』


 わぁ!と子供達が歓声を上げる。


(あとちょっと…もう少しで終わりだ!)


 絵里は頑張って話を紡ぐ。


『……あれから、僕は身体も大きくなった。もうシャチやサメが来ても、みんなで追い払えるようになった。勇気があれば、力を合わせれば、僕達を食べようとするおっきなヤツラにも、絶対負けないよ。

 今日も海は青く澄んでて、太陽がキラキラしてる。さあ、今日はみんなとどこに行こうかな』


「…カツ夫と海の仲間達、おしまい」

 絵里は、ペコリと頭を下げた。




 絵里はそれからも大変だった。


 大事になった恥ずかしさと盛大にやってしまった感に、ころころと顔色を紅く青く替える絵里は、子供達に揉みくちゃにされる。


 そして子供達には、もっとお話聞きたい!とせがまれ、大人達は拍手をした後、ニコニコと期待の目で絵里を見ている。


 キッズスペースの側だったからか、図書館のスタッフからは注意されなかった。

 それどころか、大人達と一緒に拍手をしていたスタッフを見た時に絵里は、何とかしてください…と目で訴えたが、間隔を空けて下さ〜い、と列を整理していただけであった。


 そもそも、自業自得だよね…とこっそりタメ息をついた絵里は、お騒がせしてごめんなさい、ありがとうございます、という気持ちを込めてスタッフに頭を下げる。


 絵里と目があったスタッフは、ニッコリと笑って小さく手を振ってくれた。



 結局、もうひとつだけ!と物語をせがまれてしまった絵里は、(そんなに思いつく訳ないでしょ!)と心で悲鳴を上げたが、子供達の「お話終わっちゃうの?」と、しょんぼりする姿を見て、もうひとつだけね、と子供大好きの絵里は言ってしまったのだ。


 そして、引き受けた理由がもう一つあった。

 

 そう、今更ながら絵里は気付いたのだ。

 膝にあるノートPCから有名どころの短い童話を検索すれば、お話を作らなくてもいいのでは、と。


 童話、で急いで検索すると、

 "今、巷で話題急上昇!『猫の手を借りた王子様』"

 という話があったので、私が猫の手を借りたいよ…と思いながら、語り始めたのだった。



 ●


「ただいま〜」

「あら、お帰り。いいのできた?」


 図書館のスタッフ達にごめんなさい、お騒がせしてすみません、と一人一人に頭を下げて回り、大人達と子供達に手を振られて見送りをされた後、ヘトヘトになって自宅に辿り着いた絵里は、母親の言葉に首を傾げた。


「いいのって?……………あっ」


 アップルパイの宣伝の事をすっかり忘れていた絵里は、玄関でへなへなぺたり、と座り込んだ。


「絵里、どうしたの?!」

「大丈夫じゃないけど大丈夫…あはは…」

「よく分からないけど、今度は大丈夫なのね?ならいいけど…ご飯できてるわよ」

「はーい…」


 その後、絵里はめちゃめちゃ頑張って期限ギリギリに、何とかPOPを完成させた。

 優しい王子様は、こっそりと絵里に猫の手を貸してくれたようである。


 ちなみに後日、絵里が図書館に行った時に、

 「お話のおねえさん」

 「カツオのおねえちゃん」

 「ねこのお姉さん」

 と呼ばれて子供達に揉みくちゃにされ、話をせがまれる事を、絵里はまだ知らない。


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