第3章 祭りの始まり

第10話 鼓動 

 五月の終わりごろに玄馬さんからエリ姉さんを通して、六月にあるお祭りの誘いがあった。咲枝ママと一緒に横須賀駅で待ち合わせをした。きおに会うのは一か月ぶりである。


 怪我が良くなってきたきおは、下り電車から降りて来る僕と美宇を見つけると改札口付近まで走り寄って来るが、土曜日の昼間の横須賀駅にはそれなりの人波があった。


 人の影に驚いたように身を避け、なかなか前に進まない。しかし、目は一生懸命に僕らを追いかけている。そんな、きおを美宇が見つけて、走り寄って抱きついた。きおは、まるで愛しい人を抱き寄せるように、腰を下ろし美宇に目線を合わせる。


 美宇も嬉しそうに、きおのふあふあの髪の毛を撫でた。そんな二人を見ながら「美宇ちゃん、いらっしゃい!」と咲枝ママは手を差し出した。 


 美宇はその手を掴むと振り回し「咲枝ママ、こんにちは、お呼ばれしてありがとう!」と嬉しそうに顔をみた。僕は嫌々来たように、少し頭を下げ「こんにちは」とつぶやくように言った。


「さあ、お祭りに行く前に一度家に行きましょう。お祭りの準備!」と咲枝ママは美宇の手をつないだまま歩きだした。


 僕らは、横須賀駅の横を通り踏切を通って線路沿いを歩き始めた。歩くリズムに合わせ髪を揺らしながら距離をあけたり、縮めたりしながら不規則に僕を中心にきおがついて来る。


 家にいるキジトラ猫のアジュマみたいだ。僕はふざけて「おい、ネコ」と呼んだ。するとネコは当然のように振り向き「うん?」と嬉しそうに返した。その心地よさに嬉しくなった。

「体はもういいの?」

「うん」と頷くと突然に逆方向に走り出した。


 僕は唐突なネコの行動に目が離せず、ネコは僕が目で追っている事を振り返り確認している。急に止まって僕に向かって走り出し目の前で急停車すると「ありがとう」一声。


 ニコっと笑って走り去った。可愛かった。心臓が止まるかと思った。


 咲枝ママが「危ないわよ」と何度も声をかけ「ウテ君、ごめんね」と何度も謝っていた。


「僕は大丈夫。美宇で慣れているよ」と話しながら線路わきを歩いていると、微かにお囃子が聞こえてきた。一足ごとに踊るような音色と心が重なり大きくなっていく。交差点のところでは笛、太鼓の奏者を乗せた山車が止まっていた。夜になると人で混み合うお祭りも、今ならネコもまだ自由に歩ける。


 ネコは何度か走っては止まりを繰り返しながら、僕との距離を詰めて来た。逸見駅の脇にあるお肉屋さんのところに来る頃には、僕の背中に頭を押し付けて一緒に歩いていた。


 咲枝ママはネコがあまりも僕に絡むので、一計を案じ、お肉屋さんで揚げたてのコロッケを買って、みんなで食べた。美味しかった。美宇もネコも満面の笑顔だった。


 坂本に向かう道路の商店街には、長く露天もでて夏まつりの雰囲気は、十分である。お囃子が鳴る中、お祭りの気分は紅潮し、先にネコの家に行くはずだった僕達は、三人で少しだけ露店やお店を見る事になった。

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