猫に賄賂

黒いたち

猫に賄賂

果穂かほちゃん、おかえりー!」


 繁忙期はんぼうきを終えた金曜夜。

 ぐったりしながら駅の改札をくぐった瞬間、声をかけられた。

 駆けよってくるのは金髪にスーツの男性――どうみてもホストである。

 

「ひとの最寄り駅で営業しないでくれる?」

「ホストじゃなくて七央なおだってば。あれ、果穂ちゃん疲れてるね」

「金曜夜に元気なのはホストぐらいよ」


 冷たく言って、帰路を急ぐ。 

 わかりやすい拒絶にも、七央はまったく気にするようすがない。

 なにが楽しいのか、にこにこと私の隣をついてくる。


「ぼくが元気なのは、果穂ちゃんに会えたからだよ。――あ、忘れてた!」


 嫌な予感に、歩くスピードをあげる。

 早足をとおりこして競歩になっている私の前に、七央がすばやくまわりこむ。

 通せんぼするように立ちはだかり、いきなり腰を90度折り曲げた。


「疲れた果穂ちゃんも美人で大好きです! ぼくと付き合ってください!」

「却下」

「あ、今で50回目のおことわりだ。記念に果穂ちゃんちでお祝いしよう」


 へらりと笑う顔は軽薄なホストそのもので、私はあきれてため息をついた。






 七央なおと出会ったのは、二か月前。


 雪がちらつく繁忙期の夜、終電で最寄り駅のプラットホームに降りると、どこからかDeepARディープエアの曲が聞こえた。

 DeepARとは、私が中学のときから好きなマイナーなロックバンドだ。

 発信源は、イスに酔いつぶれていた金髪の男性からで、着信音らしく不自然なところで曲が途切れた。

 

 ちいさな最寄り駅は、夜は駅員が不在だ。

 凍死されるとファンが減るので、警察に通報した。

 かけつけた警察官から、簡単な事情聴取をされ――てきとうにハイハイと返事をした。

 相手がお礼をしたいと言ってきた場合、貴女のことを教えてもいいですか、という質問の時、わたしは部屋でひとりで待っている愛猫モカのことしか考えていなかった。


 その三日後、駅で会った彼にお礼を言われ、DeepARの話題で盛り上がり、一緒にラーメンを食べにいった帰りに、いきなり告白された。

 すぐに断り、それで疎遠になると思いきや、次の日もまた駅で会って告白された。


 断り続けること50回――。


 今日も彼はめげずに私のあとをついてくる。

 

「うちには入れないって言ってるでしょ」

「うん、言われてる。人見知りの猫がいるからだよね?」

「わかっているなら帰りなさい」

「せっかくの50回記念を、ひとりで祝えっていうの? 記念品も準備したのに?」


 思考が読めず、いぶかしげに七央を見返す。

 彼が笑って、なにかをとりだした。


「じゃーん! DeepARディープエアのインディーズ時代のセカンドアルバムでーす!」


 手を伸ばすと、サッと頭上にかかげられる。


「記念品なんでしょ!?」

「50回振られた、ぼくの記念品だね」

「どこで手に入れたの」

「中古ショップでたまたま見つけた」

「――うそでしょ!?」


 インディーズ時代のアルバムは希少で、探しているがなかなか見つからない。

 特にセカンドアルバムは発売数がすくなく、ファンの間ではまぼろしのアルバムと呼ばれている。


「おねがい! それ貸して!」

「でもな~、希少なプレミア物だしな~」

「じゃあ買い取るわ。いくら?」

「値段の問題じゃないでしょ?」

「そうだけど!」


 金髪ホストのくせに正論をふりかざしてくる。


「果穂ちゃんちで一緒に聞こうよ」

「だからうちには人見知りの――」

「猫が嫌がったら、アルバムを置いてすぐに帰るから」

「……なにをたくらんでいるの?」

「チャンスが欲しいだけだよ」


 そういって、アルバムを見せつけるようにかかげてくる。

 生で見るジャケット写真は神がかっている。さすがDeepAR。


 この機会を逃すと、次はいつこのアルバムに会えるかわからない。

 疲れ切った金曜夜、心身ともに癒しを求めている。

 そしてうちの猫は凄まじいほどの人見知りだ――つまり勝算は高い。

 

「……ほんとうに猫が嫌がったら帰るんでしょうね」

「もちろん!」


 私は息をはいて、七央をうちへ案内した。






「――うそでしょ!?」


 築浅ちくあさのデザイナーズマンションでペット可。

 お気に入りの玄関で、私は茫然ぼうぜんとたちつくしていた。


 愛猫モカが、甘えた声をだして七央なおにまとわりついている。

 黒いスーツには、めだつほど白い猫の毛がついている。

 ありえない現実に、おもわず七央につめよる。


「どういうことよ!」

「動物に好かれる体質なんだ」

「ずるい!」

果穂かほちゃん。約束は守らなきゃね」


 かかげられたのはDeepARのアルバム。


「チッ、入りなさい」

「わーい! おじゃましまーす」


 七央のあとをモカがついていくのを、複雑な気分でながめる。


「果穂ちゃん! おなかすいたし早く食べよう!」


 呼ばれてリビングに行くと、七央がコンビニで買った商品をテーブルに並べ終えていた。すばやい。


「お酒まで買ったの?」


 ビールやカクテルまである。


「果穂ちゃんもどうぞ」

「こんな状況で、飲むはずないでしょ」

「せっかくの金曜夜だよ? 一緒にダラダラしようよ」

「七央が帰ってからダラダラするわ。はやくDeepARを聞かせなさい」

「これ、ジャズテイストなの知ってる?」

「ええ。メンバーのおじさんがやっているバーのBGM用に作ったんでしょ?」

「さすが果穂ちゃん。その世界観を最大限に楽しむには、お酒がかかせないと思わない?」


 一理ある。でも自分のことを好きな男の前で酔えるほどバカではない。

 悩む私に、七央がつけたす。


「一筆書こうか? 手を出したら、ぼくの全財産をあげますって」

「ホストのお金は怨念がこもってそうだからいらない」

「だからホストじゃないってば」


 七央が苦笑して、名刺を見せる。

 書かれていた社名は、有名な外資系投資銀行だった。

 

「――うそでしょ!?」

「本当だよ。年収はそこそこもらってる」


 内ポケットから万年筆を取り出し、名刺の裏に『果穂ちゃんに手を出したら、ぼくの全財産をあげます』と書いて、私に渡した。


「――DeepARに乾杯」

 

 七央がビールを開けて、誘うように缶をかたむける。

 私はテーブルのカクテルを開けて、七央が持つビール缶に軽くぶつけた。






 DeepARは、やはり最高だった。

 独特の世界観がつくりこまれていて、お酒を飲みながら聞くのにぴったりの神曲ばかりだ。


 少しばかり飲みすぎたが、手を出さない約束をしたので大丈夫だろう。

 それより、七央なおとは一緒にDeepARを楽しめる友人のままでいたい。


「――どうしたら七央はあきらめてくれるの?」


 直球の問いに、七央がぱちぱちとまたたいた。


「うーん。ぼくはきれいなお姉さんが好きだから、思いっきりダサい格好をして幻滅させればいいと思う」


 こいつ酔っているな、と思った。

 そして後で思えば、このときの私も酔っていた。

 

「……それもそうね」


 せっかくの金曜夜、自宅でだらけるのに何を気にすることがある。


「じゃ、着替えて化粧おとしてくるわ」

「いってらっしゃーい」


 洗面所で化粧を落とし、ジャージに着替える。

 ただのジャージではない。

 中学の時のエンジ色のジャージだ。 


 鏡で全身を確認し、うなずく。

 すっぴんに芋ジャージは、干物女のマストアイテムだ。

 胸を張って部屋に入ると、ビールをのんでいた七央が私を見てむせた。


「か、果穂ちゃん、それ……」

「中学の時の芋ジャージよ」


 ほこらしげに告げると、七央がたのしそうに笑い出した。


「ちょ、よく見せて。すげぇ」

「どう? 幻滅した? 家ではいつもこれよ」

「うん。これは百年の恋も冷める――どころか燃え上がるね」


 気付くと、床に押し倒されていた。


「……は?」

「シンプルに興奮する」

「――ジャージが!? そういう性癖なの!?」

「ぼくの名刺、ちゃんと見た? 本名は黒崎七央くろさきなおっていうんだけど」

「見たわよ。黒崎……くろさき?」

「うん。中学で果穂ちゃんとずっとDeepARの話をして、二年の夏で転校した黒崎だよ」


 思い出した。

 私がDeepARにハマるきっかけとなった同級生、黒崎君を。

 彼は頭が良くてやさしくて大人で、女子生徒のあこがれだった――もちろん、私も。


「……ほんとうに、黒崎くん?」

 

 七央がうなずく。


「身元も判明、職業も判明、あと気になることは?」

「待って! 手は出さない約束――」

「手を出したら、ぼくの全財産をあげるって約束だよ。どうせ結婚したら、夫婦の共同財産だ。DeepARのアルバムも」

「……結婚前の財産は、個人のものよ」

「わあ、博識。じゃあ結婚祝いにプレゼントするね」

「そういうことじゃ――」


 七央が、私の唇にひとさしゆびを押しあてた。


「中学のときから、ずっと好きでした。ぼくと付き合ってください」

「……ずるい」

「よけないと、同意と見なすよ」


 ゆっくりと七央の顔がちかづいてくる。

 かかったままのDeepARの曲がしっとりと耳になじんで、私の頭をしびれさせた。






―*―*―*―*―






 にゃあん、と白猫が甘えて鳴く。

 果穂ちゃんが寝ていることを確認し、そっとベッドから抜け出した。


「きみのおかげだ」


 ぼくはくすりと笑い、ポケットからフリーズドライのササミをとりだす。

 国産チキンを使った猫用のおやつで、友人の猫が大好きなものだ。

 それをスーツのありとあらゆるポケットに忍ばせ、ダメ押しで着ている服すべてにその匂いをこすりつけておいた。

 人間にはバレない程度に、猫は反応する程度に。


 おかげで、人見知りの猫は懐いた――ように見せかけられた。


「きみの手を借りた恩は忘れない。一生かけて返していくよ」


 まずはひとつ、とササミを献上する。

 すぐにハグハグと食べる白猫を見て、ベッドで眠る彼女を見やる。

 彼女の居場所はずっと把握していたが、会うのは仕事で結果を残してからだと決めていた。

 営業成績がトップになった夜、彼女が使う最寄り駅で酔ったふりをして、フェイク着信のアプリでDeepARの曲を流し、賭けをした。


「幸せにしてあげる。きみも、きみのご主人様もね」


 モカにこっそり笑いかける。

 幸運の白猫は首をかしげて、にゃあん、と次のササミをねだるように鳴いた。




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猫に賄賂 黒いたち @kuro_itati

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