【KAC20229】猫の仕事
リュウ
第1話 猫の仕事
「えっ、今日ですか?」
主任は、こちらを見ずにバインダーのシフト表を見ていた。
「そう、佐々木さん。昨日、辞めたから。今日の夜勤、お願い」
と、僕の顔を覗き込んだ。
今は、朝の7時半。
僕は、昨日からの夜勤を上がろうとしていたのに。
僕は、主任が苦手だった。
嫌いじゃなくて、好きだから苦手だった。
スタイルが抜群で、清潔感バッチリ。
明るくて、笑顔が素敵だったから。
悩んだ時の垣間見せる表情が、色っぽい。
実は、僕より年下。守ってあげたい。
この特別養護施設に再就職できたのも、この主任のせいだった。
面接官が、主任だったので、この人と一緒に仕事がしたいって、
全力で面接に挑んだのだった。
主任は、ピッタリと僕の横についた。
いい匂いがする。
僕の目を見た、目が会った瞬間視線をバインダーに移した。
その視線に誘導され、バインダーを見るとマーカーでいっぱいだった。
「ほらね、急に辞めるから、人が工面できないの」
悩んでる。その表情は、反則です。断れないじゃないですか。
「佐々木さん、退職するんですか?」
「ああ、あの人、好きな人が出来たら、それしか見えないらしいの」
それは、噂話で聞いていた。
「そうでうか。主任の頼みなら断れないです」
「本当!お願いするわ。なるべく早く人を探すから、ゴメンね」
主任が笑顔で答えてくれた。
その笑顔が、たまらない。
「あっ、もうひとつ、お願いがあるの」
あ、また、この表情。それは、ずるいです。
頼まれたのは、猫の引き取りだった。
猫の里親探しのイベントで、引き取ってしまったそうだ。
今日の午後、引き取る約束をしていたらしい。
僕は、渡されたゲージを持って、里親探し事業の団体「猫の手って」に向かった。
主任が選んだのは、オスの三毛猫だった。
職員の話では、オスの三毛猫は珍しく、生まれるのは、3万分の1の確率らしい。
保護された時は、人間を警戒したいたけど、根気よく接していたら懐くようになったらしい。
主任もここに通って、仲良くなったらしい。
夜勤まで、時間があるので家に連れて帰った。
餌や水を与えて、ゲージから出してやった。
僕の部屋を探索している。
僕は、本当にしなやかな容姿に見とれてしまう。
クンクンと僕の匂いを嗅ぎに来た。
何かわかったようだ。ぴょんと膝に乗ってくる。
主任の匂いが、付いてたのかな、そんな風に思った。
身体を撫ぜてやる。
気持ちよさそうに、ゴロゴロっと言ってる。
猫の手を触る。
ぷにぷにの肉球だ。
ここを押すと爪がでる?
「猫の手か……」
独り言。
この業界は、人手不足だ。
忙しい。今回の様に急に辞められてしまうとその穴を埋めるのが大変だ。
猫の手を借りたいほど。
僕は、猫の手を見た。
手?
あれ、後ろ足と違う。
同じだと思っていたけど、猫は違うんだ。
そういえば、掴めるよね。
インスタで見たことある。
ニギニギできるよね。
「ねぇ、仕事、手伝ってよぉ」と、また、独り言。
猫は、もういいでしょと僕の膝から逃げ出した。
僕の部屋の物に体を擦り付けている。
縄張り宣言か?
と、猫を眺めていた。
僕は、夜勤をしに職場に向かった。
主任は、仮眠中だという。
そーっと、宿直室に入っると、主任が寝ていた。
その寝顔は、幼さが少し残っている。
僕は、そーっとゲージを床に置いた。
「お前の仕事は、主任の仕事を楽にすること」
僕は、猫の鼻をチョンと突いた。
分かったよって言ったように見えた。
早番の職員と引継ぎを済ませ、仕事に着いていた。
主任は、そのまま寝せておけとのことだった。
不思議なことに今日は静かだ。
昨日の夜は、最悪だった。
立て続けに呼出しボタンが押されて、対応に追われたのに。
それに比べて今日は、本当に静かだった。
「今日はありがと」
後ろから声をかけられた。主任だった。
「ぐっすり、寝ていたわ」
「疲れているんですよ。休んでいてください」
主任が微笑む。僕のご褒美はこれだけでいい。
眠気も吹っ飛んだ。
「今日は、静かね」
「そうですね。本当にめずらしいです」
「今日、あの猫に”忙しいから手を貸して”ってお願いしたんですよ」
「猫の手を借りたいってやつね」
「そうです。今でも、その言葉を使うんですね」
僕は、話を続ける。
「ネットで調べてみたんですけど、猫は”ネズミ捕り”が仕事だったんです。
ネズミを捕ること以外は、何も出来ない猫の手でも借りたいっと言うたとえなんです。
今はネズミなんか捕らないですよね」
「猫の仕事かぁ。ねぇ、猫どこにいるの?」
主任が、思い出したように言った。
「猫?ゲージに入ったままだと……」
「居ないかったわよ。連れてきたのかと」
僕たちは、猫を探しまわった。
猫が居るのは、ホールだった。
猫の周りにお年寄りが集まっていた。
眠れない人が集まっていた。いつも、呼出しボタンを押す人たちが。
何か猫が皆に話しかけているみたいに見える。
皆さん、笑顔だ。
「おかしいわね」
くすっと笑って、僕を見た。僕は、うなずいた。
「あいつ、仕事してる。僕が言った仕事をしてる」
「ねぇ、知ってる?
猫は、うれしいかった事、楽しかった事しか覚えていないんだって。
憧れちゃうわね。
そんな風に生きれるなんて」
僕たち二人は、猫とお年寄りたちをそっと見守っていた。
【KAC20229】猫の仕事 リュウ @ryu_labo
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