第3話 鹿の森

「今日は海岸で翡翠ひすいを探しましょう」

 朝餉を食べ終え、捧日は言った。


「海か……。それもいいな。よっし、あいつが久しぶりに村の者と遊んでいるなら、もういい。こちらも好都合だ。サプライズで佩玉を贈ったらどう反応するかな」

 気を取り直して天籟は立ち上がった。

「ええ、きっと月妃殿下はお喜びになると思います」


 天籟は禁軍兵士を従え、翡翠が埋まっている海岸までやってきた。


 港から少し外れるだけで、遠浅で湾曲した海岸線。サラサラの白い砂。瑠璃色の海。静かですごくいい場所だったので天籟は一目で気に入った。


「気持ちのいい風だ」

 早速、海岸で翡翠を黙々と探すと、思いのほかたくさん翡翠が見つかった。その中で一番加工しやすそうな翡翠を職人と選び、近くの掘っ建て小屋で加工することになった。


「陛下、素晴らしい形の佩玉ですね。いいと思います」

 職人はわざとらしく褒めるでもなく、素直に言った。隠ノ領は素直で親切で人懐っこい民族だと思った。


「そうか」

「わたしの妻は月妃さまと幼なじみだそうです」

「なに? 月鈴は幼い頃はどうだった」

 さっきまで不機嫌だったのについ前のめりで職人に尋ねる。


「……はい。走り回っておてんばでした。領主の娘さんなのに、着飾るでもなく、女友だちと遊ぶでもなく、ずっと森に入って鷹と遊んでいたと聞きました」

「そうか……」


「月妃さまはわたし達の隠ノ領の自慢です。隠国とは〈山々にかこまれた地〉という意味で、他にも黄泉、あるいは常世の入り口とも言われています。隠ノ領の隠國こもりく王は精霊の加護を受け秘術を授けられたそうです――その末裔が月妃さまなのです」

「そうか……。我が国の始皇帝と同じだな」


 昼を過ぎた頃、海で捕れた焼き魚を食べることした。流木の上に座り、串で刺した魚を焚火で焼く。脂ののった香ばしい魚を天籟が美味しそうにかぶりついた。


「美味い。捕った魚で焼いた温かい魚を食べるのは山の民と暮らした時以来だな」

「山の民との暮らしがお気に入りなのですね」

「まあな、また雲嵐うんらんに会いたい」

 懐かしそうに天籟は話す。

「ところで佩玉も出来たし、まだ月鈴は見つからないのか?」


 天籟が尋ねると言いにくそうな捧日。

「ええ……。月妃さまの実家に官吏が行ったところ、誰もいなかったそうです」

「もう、いい!」


(なんだあいつ――。結局、久しぶりの里帰り、村々を渡り歩いているのか。もう知らん)



 ***



 こちらは月鈴、前日の話。


 月鈴は隠ノ領に着いてから実家に帰っていた。今、実家は誰も住んでいない。

 両親が亡くなり隠ノ領の領主は月鈴だった。現在は父方の叔父が領主となっている。月鈴は護衛を三人引きつれて、今日は叔父の家に泊まる予定だ。伯父の俊熙ジュンシー がぼやいた。


「息子がよぉ。隣の山までとどけものを一人で行くって聞かないんだ。ほら陛下がお忍びでくるだろう。ワシはどうしても準備で付き添えない」

 伯父の俊熙ジュンシーは出かける準備をしていた。

「へえ、隣の山ね。いいわ。わたしが付き添ってあげる」


「おいおい。月鈴は妃なんだからやめておけ」

「平気。明後日くらいに陛下はここに寄るみたい。だから森を案内してあげるの。そういう約束だったし」

「まあ、護衛もいるし大丈夫か。妃とはいえ、我が国の陛下には気を遣わねばならないか……。すまない」



 ***




「月鈴。付き添ってくれて構わないが、俺に口出しは無用だ」

 十歳になる従弟の沐辰ムーチェンはかわいい幼顔だが少し生意気だ。

「わかったよ」


 荷を背負い叔父の家をあとにする。隣の山まで三時間かかる。単調な一本道だが、思いもよらない動物に遭遇してパニックにならないとも限らない。少し離れて護衛もついてきた。


「友だちのお母さんが疫病を罹って、なんとか一命はとりとめ、今は回復に向かっている。でもあいつが看病しているんだ。母子家庭だし、学校に行けなくてさ。それに買い物も行けないだろ⁉ 俺が届けようと思って」

沐辰ムーチェン! カッコいいぞ」

「だろ」


 奥深い森、同じような景色の木々の一本道を黙々と歩いた。崖崩れを迂回しながら途中で川を渡り、崖を登るうちに沐辰は汗をかきながら動きが止まってしまった。


沐辰ムーチェン?」

「ヤバイ。参った! あとちょっとなのに、友だちの家が分からなくなった。引き返そうか……。燿国の妃にこんなことさせて父上に怒られそう」

 沐辰は顔がみるみる赤くなり泣きそうな顔になったので、月鈴はキョトンとする。


「あら平気よぉ。わたしにとってこの辺は庭よ。それより森の主を探そう」

「森の……ぬし? 誰なんだよ。ど、どうやって?」

 月鈴の言葉に沐辰は懐疑的な目で見た。

「うーんと、困ってまーすって、念じて」

 何てことない軽い感じでいう。

「なんだそれ?」


 ガサガサと音がした。山の上から見下ろす影が見えた。よく見ると一頭の鹿がこちらをジッと見ていた。

「おい、鹿だぞ」


「あら、あの鹿がこの森の主かしら? 案内してくれるみたい。おーい沐辰のお友だちのお家まで案内して~」

 月鈴は鹿に向かって手を大きく振り大声で話かけると、鹿は木々に隠れひゅっといなくなる。

「待ってよー。そっちー?」

 月鈴は急いで鹿を追いかける。沐辰はそれを唖然と見ていた。護衛といっしょに急いでついていくと、舗装された石畳の道に出た。


「――月鈴って変わっているよな」


「はぁ……⁉」

 月鈴は沐辰の耳を軽く引っ張った。

「いてててて。ごめんなさい」

「もう! でも道の方向は合っているでしょう」

「そうだ、合っている。びっくりしたさ。だから変わっているなって思って。そんな野生動物みたいな月鈴が妃になったのが、よくわんねぇ」

「……やっぱ殴る」


 バサバサ

 鷹が頭上を飛びくるくる旋回している。月鈴は手を振った。

「あれは野生のハヤブサだね。あの子と森で何回かお話したことがあるわ。久しぶりにまたお話しようかな。おっと、その下に沐辰のお友だちの家があるよね。アタリでしょう」

 沐辰は目をまるくして言った。


「……うんアタリ。こっわっ」


 沐辰は密かに鷹使いになってもいいなっと思った。

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