第2話 玉鉤の月

 天籟は久しぶりの休暇を隠ノ領で過ごすことになりました。


 隠ノ領に霊山と呼ばれる神聖な隠山がある。そこから湧き出る澄川が、別名、常世川だ。異界の常世とこよから現世うつしよに翡翠が流れつくと言われていた。

 澄川に着くと、天籟は長い髪を束ね、服をまくって、捧日とともに翡翠を探すため川に入った。


「捧日。この川は冷たすぎないか?」

「ええ、隠國こもりく山脈は夏くらいまで雪が残ったまま融けないので、氷のように冷たいのでしょう」

「しかし、あちこち土砂崩れがある。水も濁っているな」


 捧日は指を口元にもっていき考え込む。

「やみくもに森林伐採をした影響でしょうね。計画的にしていればこんなことにはならなかったのです。我が国では伐採や狩猟、植物に至るまで時期や年数の禁令を出しています。おそらく地方まで管理が徹底していないのでしょう」

「うむ。近日中に官吏を派遣して指導してもらおうか」


 今日のところは翡翠が見つからず次の日にもう一度、川で探すことにした。



 ***



「今晩は、諸侯の家で泊まりましょうか。話は通してあります」

「わかった」

 隠ノ領の村里から離れ見晴らしの良い高台にこれ見よがしにギラギラした悪趣味の成金大豪邸が建っていた。この諸侯は燿国から派遣された一部地域の領主だ。隠ノ領は元々住んでいる亡国の末裔、月鈴の実家である隠ノ家が領主なので、諸侯と村民との間に少し軋轢があった。


「オレはこんな豪華な家じゃなくていいのだが、山の民の時みたいに庶民の家にいって田舎料理が食べたいぞ」

 天籟は悪趣味御殿に泊まるのを嫌がった。

「今やこの国を統べる皇帝に一般家庭には泊まらせるわけにはいきません」

「……」



「これは、これは、お忍びで隠ノ領へようこそおいでくださいました」


 諸侯や地方官吏、浩宇ハオユーの父である隠ノ領の村長が盛大に出迎えた。後ろには美しい侍女が控えていた。

 隠ノ領の庶民は食べないであろう、本土から取り寄せた高級食材で作った豪勢な食事が円卓に並ぶ。


 羊肉と鶏肉の冷前菜、ツバメの巣のスープ、宮廷烤鴨ダッグ、肉とタケノコの湯葉包み煎り、牛肉と豆腐と野菜のあつもの、淡水魚の香辛料酢汁煮、黒もち米のハスの葉包みご飯、蒸し蓮根の蜂蜜味など、各州の高級料理を並べた。


「ささ、お酒をどうぞ」


 諸侯の娘が天籟にお酒を注ぎに来た。甘ったるい匂いを振りまき、潤んだ瞳で微笑む。そして大きな胸の谷間を見せつけて、天籟の腕に押し付けた。天籟の顔が歪み思いっきり引きつると、

「お気に召しませぬか……。では」


 残念そうに諸侯が手を振ると淑やかにやってきた。これまた本土から来た、見目が華やかな踊り子たちや女の楽団だ。


 宴が始まる。二胡や琵琶、しつの音色が響き渡った。踊り子たちはほぼ裸みたいな肌を露出した衣装で必要以上に天籟の前で妖艶に踊った。終わると、諸侯が意味ありげに話しかける。

「美しい娘を取り揃えました。どうぞご自由に召し使ってください」

 帝に即位してからというもの、どこの国に行っても同じことを言われる。天籟はうんざりしていた。


「いや、その――」

「見目華やかな侍女もおりますが、お好みはもしかして、生娘がよろしいかな? では、今から村の娘を至急見繕って……」

「いやいや、お気持ちはありがたいが、今日は一人で寝たい。意味はわかるな?」

 張り付いた笑顔で天籟は断った。


「はい、では添い寝の娘を――」

「諸侯よ、陛下は各国の長旅でお疲れだ。月妃さまの故郷で御戯れはしません」

 捧日が横からぴしゃりと口を挟む。

「あーはっは。そうでしたか。いやー実はゆえ妃殿下はもう隠ノ領におられるはずだが、村の者とどこかへ行ってしまわれたそうでございますよ」


「……なに?」

 天籟は目を見開く。

「ええ、ワシは華南省出身。だからあまり村の者と交流はございませぬが、村の部族たちは異常に仲が良いので、久しぶりの里帰り、今ごろ近所の者たちと酒盛りしているかもしれませんなぁ。積もる話もございましょう。放っておいて陛下も楽しまれてはいかがでしょうか」


(月鈴がもういる? どうして連絡をよこさない)

 天籟はイライラした。



 ***



 今宵は上弦の月。別名、玉鉤ぎょっこうの月と言われている。儀式が行われた際、革帯を留めたカギのように見えるからだ。満天の星の夜。降ってくるような星を見ながら天籟は寝台に横になる。



 ――華やかな赤い花の似合うひとがいた。

「はい。お花をあげますね」


 三歳のとき。淡い恋心を抱いた、鮮やかな紅をさす美しいその貴女は翠蘭賢妃だった。それなのに母の暁華を毒殺してから、人が変わったように次々と皇子や貴妃を毒殺していった悪女。我ながら人を見る目がないなと思う。



 佩玉を作って贈りたい。どうしてオレは手作りにこだわるのか、もう妻だっていうのに月鈴に必死になってしまう……。自分でもわかっている、不安だからだ。


 オレはいつだって皇命を発動できる立場にある。ひょっとしてあいつはオレの事そんなに好きじゃないのかもしれない。本来なら森の中に住む鷹使いだ。オレのわがままで城に閉じ込められているようなもの。彼女のことを本当に思うなら離れるべきなのに、手放せない。月鈴の本当の気持ちが知りたい――。


 真っ暗な部屋。眠れず寝返りを打ってみる。蒼白く光る月は幼い頃の不安な心を呼び起こす。


(はぁ、自信ないな。そもそも愛し方が分からない)


 ……だけど一本の木を一緒に育てたいと思う相手は月鈴だけだ。

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