第35話 佩玉

 天籟は雲霧うんむを見送るため外に出る。

「ちょっと下に行ってくる」

 雲嵐うんらんは雲霧の家まで付き添うため馬を取りに行ってしまった。二人で雲嵐を待っていると、急に強い風が吹いてきた。


「あの……」

 天籟が言いにくそうにしている。雲霧は察してやさしく声をかけた。

「この老いぼれジジィに聞きたいことがあれば何でも遠慮せんと聞いてくだされ」


「……母の暁華シャオホアはオレが三歳の時に毒殺されました。でも……祖母は今も青楼にいるのか?」

「……」

「生きているのですか」


 ビュウゥゥゥ

 突風が木々の葉っぱを巻き上げ空に消えてゆく。


 祖母に会ってみたい。妓女の子だからと母は肩身の狭い思いをしながら生きてきた。オレもそうだった。粛清されると思っていたから欲はなかったのに……。始皇帝の血筋でありながら迫害された山の民だ。初めて会って話してみたいと心から思った。


暁蕾シャオレイは、娘を産んで産後の肥立ちが悪く、しばらくして亡くなってたと聞いたが……。もしかして生きているのかもしれぬ――。ワシは暁蕾は幼い頃しか会っていない。しかし、かわいい娘じゃったなぁ……」

「……」

「暁蕾も天籟殿下に会いたかったじゃろうよ」



「不思議な縁じゃのう――」

「……」

「八百年前、隠国と公主ひめと燿国の皇子が恋に落ち、その子孫が、精霊から授かった金目の秘術をあやつる鷹使いと、白銀の髪の皇子と夫婦となった。今、時代が動き出すときなのかもしれん」


 雲霧の言葉に天籟は焦った顔をして手を振る。

「あ――いや、これは色々あって実はかりそめ夫婦なんだ。……違わないか、オレは好きなんだけど、なかなか女子の気持ちは難しい……」

 額に手を当てため息をつく。

「ふぉっふぉっ。恐れながら申し上げますと、殿下はお優しい。皇子の立場上口説かなくとも寄って来る。ならばもう少し押してはいかがかな?」


「今まで、皇子の教えで、生きたいって思ったことがなくて、でも月鈴に出会い、そうしたら欲が出た。捧日に言われて、生きてていいんだって。ただ不安で、本当にオレなんかにまつりごとできるのかな……?」

「天籟殿下、希望をもって生きられよ。生きて燿国の未来を後世に残してくだされ」

「……はい」

 天籟は雲霧に拱手した。



 ***



「皇殺しをした来儀皇太子殿下と、翠蘭賢妃が拘束後、近日中に処刑することが決まりました」

「!」


 二回目の夜の会議。今は山の民の住む拠点から、李黄家の隠れ家にやってきた。お城のような要塞化したお屋敷に、地下通路を通って入った。李黄家当主の代理で明々めいめいも夜の会議に参加した。


「処刑なんて……。議会で発言の機会のないまま亡き者にして証拠隠滅をするつもりなんだわ。そんなの誰が取り仕切っているの?」

 明々が縋るように捧日の方を見る。

「ええ。いずれも波国出身の宰相数人。それに長官、文官や武官だ。それに波国の要人」

「いつの間に波国の者が増えたんだ⁉ ふざけんな!」

 雲嵐は声を荒げる。


娟々えんえん殿は城内で拘束されているようです。紅家、紫家、白雲家の当主も同じくです。悪神の為政者だと、場合によっては処刑されるかもしれません」

 捧日は巻き物を読み上げた。


 明々が不安そうに言う。

「わたくしも当主代理として国から呼び出しを受けています。このままだと柳家当主が不在のまま、三人承認を得れば帝選出で瀏亮りゅうりょう殿下が天子になってしまう、そうしたら波国に吸収されてしまうわ」


「そんな……」

 月鈴はつぶやく。


 来儀皇太子が拘束されたので危険性は低くなり、人間すがた月鈴で参加した。今日は奪還計画の打ち合わせの内容を木の皮に書いている。


「とりあえず、処刑日を知らせる使者がもうすぐ到着予定です。わたしは少しだけ雲霧さまとお話があるので、一旦休憩してください」

 捧日が席を立った。



 ***



 捧日は雲霧と別室へ、そこへ李黄家の侍女がお茶とお菓子を用意した。


すずりはここにおくぞ。それと木の皮では書きにくいだろうからから紙も持ってきた」

 月鈴は声をかけられ顔をあげる。弾むような声音。山で暮らすようになり、髪を後ろに束ねて、小麦色の肌に健康的で美しい笑顔の天籟が月鈴に大接近。

「……」

(ち、近寄らないで、心臓がバクバクする)


「今日は怒っていないんだな。なぁ、今日は君の好きなお菓子を揃えてもらったからこっちで食べない?」

 かりそめの妻を口説く皇子。おかしいだろとツッコミたくなるも、久しぶりの甘い匂いに誘われて、悪い気はしないと思う月鈴もいた。かといって返事をするのも恥ずかしい。月鈴は木の皮に筆を走らせる。


『いいだろう』

 月鈴、少し上から目線で書いたのに、天籟はパァっと嬉しそうな顔をするので鼓動が早くなる。冷静になろうと深呼吸した。


 席を移動すると、お菓子の飾り棚に、豌豆黄わんどうほあんがある。白エンドウ豆と砂糖で煮込み、羊羹のように固め、サンザシゼリーを上にかけてある。棚から皿をとって自分の席におくと、上品な金木犀の香りがした。

「わぁ。美味しそうです」

 席に座り月鈴が早速パクっと頬張ると、天籟は横で微笑んだ。


(いや、しかしなんだコレ⁉)


 ガチャ。

 慌てて戻ってきた捧日は神妙な面持ちのまま皆の前でいう。

「たった今入った情報です。処刑日がわかりました。波国の海波王が視察団と来訪する。その日です」

「!」


「なんだ? 海波王は俺様が隣国を救ってやったアピールなのか? 毎日、いかにこの二人が悪い奴かって情報を街中にながしてやがる。贅沢三昧しているとか、他の妃を陥れて身の毛もよだつような残忍な殺し方をしたとか……。庶民に反感買わせて燿国を手中に収めるつもりだぞ」

 雲嵐は不機嫌を隠さない。


「じゃあ、決行日がきまったので、当日までに打ち合わせして、当日、紫微星城で会いましょう」

「了!」

「散!」

 みんながゾロゾロと部屋を出ていく。


「月鈴……」

 天籟は月鈴を浩宇ハオユーのところに連れて行き、腰に下げていた翡翠の佩玉はいぎょくを月鈴の手に持たせた。

「?」


「オレは来儀兄上たちの処刑の日、大役を任されている。上手くいくか分からない……。だから、今言うぞ。これは母が贈ってくれた佩玉を月鈴に預ける。君が持っていてくれ、必ず生きて帰ってもう一度、会おう」


 覚悟を決め、穏やかな表情の天籟は踵を返すと部屋から去っていった。

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