第18話 精霊が訪れる森

 天籟てんらいの背中に月鈴ユーリンがそっと頭をくっつけた。

「ゆ、月鈴!?」

 驚いてふりむくと、月鈴はダーっと涙を流し号泣していた。そして月鈴は両の手で天籟の頬に触れ、目を吊りあげていう。


「天籟さまは後宮で生き抜くには優しすぎるのです! もうちょっと図々しくなってもいいと思います。わたしみたいに転んでもただでは起きぬってくらいになりましょうよ。それにもっと怒っていいわ。こんなところにくすぶっていいわけない! 天籟さまは器が大きくて――」

(王の器だわ……。でもそれを言っては……)


「……あなたはこの国に絶対必要な尊いお方よ」


「は……!」

 月鈴は急に我に返り

「すみません。わ、わたし失礼を――」

 パッと頬から手を離し、怒っていないかチラリと天籟を見る。


 天籟は手巾ハンカチを月鈴に渡すと、くっくっとこみ上げ笑う。

(こんな風に皇子オレに泣きながら叱咤激励する女子がいただろうか)


「なんで、笑っているのですか?」

「たしかに、君は最初からオレに平手打ちしていたな……。月鈴はたくましい。命しらずともいうが……。君の育ったところはどんなところだ? 聞かせてくれ」


「……小さな離島です。森の奥深く、星が綺麗で、流星がたくさん降ってくる村。川の水が冷たく空気は澄んでいます。初夏にほたるがたくさん舞うと、精霊たちが異界から訪れます。そして歓びを花にのせて奏でるのです」


「なに? 精霊がいるのか……」

「はい。隠国から続く、いんノ領は精霊たちに祝福された森。十年に一度、春の嵐の夜〈遊戯の宴〉の日に精霊たちとお茶会します。わたしの先祖は精霊と交流するうちに動物に意識を飛ばす秘術を授かりました」

「すごいな」


「民は森を守るので異界とつながる川からお礼に翡翠が海岸に流れ着くと伝え聞きました。他になんにもないけれど、みんなで助け合って、たのしいですよ。わたしは鳥や動物にかこまれて暮らしていました。けれど今……森が破壊され、精霊が森に訪れることがもうないのです」

「すまないな。早く議題にのせられるよう手は尽くす。精霊が訪れる島に戻った姿をこの目で見てみたいな……」

「はい、何もかも解決したら、わたしの住む離島の隠ノ領に遊びにきてください。案内しますよ」


「そう――だな。楽しみにしている」

「ぜったいですよ。天籟さま」


 ……オレは運命に抗う術が見つけられず、消えていく名もなき皇子だろう。――いやだ、死にたくない。たとえ無駄だとわかっていても、みっともない姿をさらしたとしても最期まで抗い続け生き残る。そして月鈴、君を自由にしてあげたい――。

 今、オレは何を……。


 翳りを帯びたほの暗い月の光は二人をやさしく包み込んだ。



 ***



「チキッ」

 蒼鷹あをたか飛龍フェイロンが月鈴の頭をつつく。

「飛龍……。ごめんね、ボーっとして」


 昨夜、わたしったら、何であんなことしちゃったんだろう。思い出すだけでも赤面ものだ。天籟さまの背中を見ていたら思わず触れてしまった。いけない、天上人だったよー。しかも隠ノ領の案内の約束までして、もう恥ずかしい。何しているの……。

 月鈴は思わず飛龍に顔をうずめると「チキッ」とくちばしで抵抗された。


「月鈴さま、朝餉の用意ができました。あとはわたくしがお手伝いいたします」

 侍女の詩夏シーシは月鈴に代わって飛龍フェイロンたちのお世話をしている。最初こそ鷹につつかれたり鳴かれたりしたが、真摯に向き合う詩夏の気持ちが伝わったのか、鷹も慣れてきたようだ。


 今日は、骨付き鶏肉を煮込んだ蓮根スープ、筍と採れたて野菜の包子、お粥、杏仁豆腐が円卓に並んでいた。いつも朝は包子パオズひとつだから驚いた。

「ねえ、わたしこんなに豪華なお料理で罰当たらない?」

「まさか。むしろ地味でございます。朝餉のあとは、天籟殿下の正妻になる報告のため、二人そろって主上に拝見の準備をしていただきます」

「は、はぁ……」


(かりそめ夫婦だから、気が重いなぁ……)

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