第17話 下弦の月

 ネズミの意識を乗っ取った月鈴ユーリンネズミ、文官に追い込まれ大変危険な状態です。

 

 ザクッ

 しかしこの文官、運動神経はよくないらしい。またまた失敗して、刃が壁板に深く刺さって引っ張っても取れない。


「くそっ」

(今だっ。逃げろー! あ、そうだ、上だ)

 月鈴ネズミは短刀を壁から引き抜こうとする文官の腕に登り、頭の上に被っている幞頭ぼくとうにぴょんと乗り、その勢いでさらにぴょんと飛んで、天井の梁の上に立った。てててっと歩き、小窓から脱出した。


(ふう……。)

「月鈴さま、こっちです」

 浩宇ハオユーの声がする方に走り、やっと、天幕に転がるように逃げ込んだ。

 意識の戻った月鈴は草むらにネズミを寝かせ、横にはヒマワリの種をおいた。


「ただいま、戻りました……。はぁ」

「大丈夫か、ケガはないか!」

 ふらふらとしゃがんだので、気がついたら天籟てんらい浩宇ハオユーから茶杯ゆのみを奪い月鈴に渡した。

「あ……。天籟さま。お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」

 月鈴が飲み干すと天籟はホッとした。


「かまわぬ。とにかく無事でよかった……無理をさせてすまぬ」

 顔をゆがめる天籟の横で宦官の捧日が口を挟む。

「蔵書楼の方が騒がしくなっています。とにかくもどりましょう」

 人目につかないよう皇族だけが知る秘密の通路を案内され、執務室に入った。



 ***



「死因は夾竹桃きょうちくとう、ですか……。」


 捧日が眉間にしわを寄せ考え込む。

「出どころ、わかりそうですか?」

「う……ん。どこにでも生息している植物だな。他に分かることはないか?」

 外にいる武官に聞かれないよう天籟は小声で尋ねる。 

「ええと、香炉に焚かれていたお香にも夾竹桃が入っていたみたい。床には珍しい花びらが落ち、近くで侍女も死に絶えていました。でも鴻洞こうどう殿下の死因はお茶を飲んだことによる毒死です」


「珍しい? 花びら……。刺客がすんなり鴻洞殿下の閨に行けるとは……。天籟殿下の時と同じですね。しかも香炉を焚いた侍女もおそらく暗殺者……」

 捧日が顎に指をおき呟く。

「この前、天籟さまを襲ってきた時の間者もそうでしたね。証拠が残らない」


(え? 最近もそんなことあったの?)

 月鈴は驚いて捧日を見る。


「他には?」

「あと、やっぱり天籟さまが疑われているようです」

「!」

「そうか――刑部は……。」

「なんですか」

六扇門りくせんもん(宮廷内警察)は三つの組織で成り立っている。正式名は三法司衛門といって、刑部、代理寺、都察院がある。刑部は事件・事故を捜査する組織なのだが、その長官が翠蘭賢妃の腰巾着なんだ」

「……じゃあ、天籟さまは捕まってしまうの?」


「冷静に考えて、さすがに今回ばかりは月鈴を閨に呼んでいるし、娟々えんえんが侍女になったことであらぬ疑いはかけられない。大丈夫だと思うが……今後の見通しが立たない」


(オレに現状不在証明アリバイがあるのに、鴻洞兄を亡き者にした。ひょっとして今回はオレが標的じゃない――?)

「……」


「ご期待に沿えず申し訳ございません」

 月鈴は頭をさげた。天籟はさえぎるように月鈴の肩にそっと手をおく。

「それはよい、また策を練ることにする。今日は遅いし送ろう――」



 ***



 回廊を天籟と月鈴がゆっくり歩く、少し離れて捧日が見守る。何の手がかりがないまま、時間だけがすぎる。このままでは――仕掛けた者の台本シナリオ通りに進むしかなくなる。


「――月が出ているな」


 今宵は下弦の月。

 雲間からのぞいた月が、広い庭に咲く花を微かに映す。回廊は外周りの回廊、あと二つは後宮と議事堂と儀式の宮殿を繋ぐように交差する回廊。あまりにも広いので、帝や妃は輿で移動する。


「天籟さま、その……。最近も命を狙われたのですか?」

「……そんなのは、しょっちゅうさ。本気で殺す気ならオレの命などは簡単に奪えるというのに、本当に何なのか。ああでも脅しているのだろう。じわじわとオレの心を追い詰め愉しんでいるのだろうな」

「どうして?」

「オレの母は、異母姉である翠蘭賢妃付きの侍女だった。なのに帝から寵愛をうけ妃となった。それまで寵妃は翠蘭賢妃だったというのに。月鈴もそうだろ? ひどい目にあったそうじゃないか」

「……平気です」


「母は殺された。記憶はないが、たぶんオレの目の前で――」

「!」

「時々、夢でうなされるのだ……。血を吐き骸になった女人……。助けられなかった。はは……そりゃそうだよ。三歳のオレにいったい何ができるっていうんだ? そんなことは分かっている。でもやりきれない」

「……」

「弱きものは滅びる。な、後宮ってそういうところだ。オレにとって優しいと思っていた翠蘭賢妃。その賢妃の差し金によって、母が命を奪われた――と思っている。でも最後まで怨み切れぬ、ここで生き抜くために必死なんだよ」


 怒りと哀しみが同時にやってきて気持ちが追いつかない月鈴は胸が苦しくなった。

「わたしには……わからない――。たとえどんな理由があろうとも幼い子どもから母親を奪うなんて許せません!」


「今夜はしゃべりすぎた……。こんな話をしてしまうのは月のせいかな」

「……」


「……燿国は泰平を保つため、次期帝が決まると、骨肉の争いをさけるため、帝に選ばれなかった皇子は異国での遠征や幽閉あるいは亡き者にされ記録も残らぬ。この二千年もの間、そうやってきた。次期帝は来儀兄上に決まったので最近、原因不明で亡くなった皇子もそうなのだろうと、思う。そのうちオレも……。」


「そんな……そんなことあっていいの⁉」


「これは始皇帝の天意だ。だから燿国は二千年も続くんだよ。生かしておくと必ず争いの火種が生まれる。皇子の宿命だ。ただ、粛清されるのを待つのか……過去にも生きながらえた皇子はいたはず。活路を見いだそうと模索していた。血を分けた兄弟が強い紐帯で結ばれたなら、もしかして乗り越えられるのではないかと――。

 鴻洞兄上と仲良くなりたかったのに、分かり合えぬまま死んでしまった。物心つく前から敵意をむきだし虐げてきた。でも争いたくはない。オレは目立たぬよう静かに生きるしかなかった―……」


 声がかすかに震えていた。橋を渡り池のほとりで立ち止まる。すこし欠けた月をながめ、風にそよぐ天籟のうしろ姿がやけに心に沁みた。

「……」


 月鈴はそっと、うしろから天籟の背に頭をくっつけた。

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