第19話 さいごに思い出すのは
無事、解放された! という喜びで、ララはふんふん鼻歌を歌っていた。ゆったりと車を走らせながら、街中をじっくり見物する。王都を去って二年余り……はじめこそ代わり映えのないその景色に心はうんざりとしていたが、警備隊から解放された今、すがすがしい心地になり、街なかの小さな変化が目に留まるようになっていた。
――あんなところにカフェテラスなんてあったっけ。あ、『モンスタースイーツ』! ……
サックスピンクとサックスブルーの、鮮やかできらきらしい看板は、街じゅうの人々の注目を集めていた。すぐさま車を停めて駆けつけ、レッドスイートベリーサンドをふたつ買い、エルと一緒に食べたい衝動に駆られるが、ここはぐっとこらえなければならない。今、一番にしなければならないのは、川に流されてしまった衣類の補充と、モンスター忌避剤に代わるアイテムを探し出すことだ。無駄遣いしている余裕はない。
衣類の補充は時間がかかりそうなので、先に旅人御用達のアイテム屋へ寄ることにした。さすがは王都、店舗は大きく、丸太や観葉植物でおしゃれなロッジ風に建てられている。昔はどこにでもありそうな出店だったのにな、と思いながら、ララはガラス戸を押し開ける。涼やかなベルの音とともに、壁一面にかけられた旅装束や調理道具、テントなどが目に飛び込んできた。店内には整然と陳列棚が並び、実に様々なアイテムが飾られている。
規模が規模なので、客数も多かった。そのほとんどが冒険者たちだ。余談だが、冒険者がクエストを受けてから旅支度のために買い物をする際、領収書を取っておくと、クエスト報酬から差っ引かれる国への上納金を一部免除されることがある。当然、ギルド内査定を通過しなければならないが、みんな少しでも節税したいのだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターにはエプロン姿の小太りの女が立ち、領収書用の紙を補充したり帳簿をめくったりと忙しなく動いていた。それでも、ララの気配に気づいて顔を上げてくれる。
「なにか御用?」
「あの……モンスター避けについて、相談があるんですが」
女は、ああはいはい、と言ってカウンターから出ようとした。それをララが慌てて制する。
「あの、モンスター忌避剤じゃないんです。あれは、モンスターの死骸でできてますよね。わたし、どうもそれが苦手で……」
「はあ」
「他の原料を使った忌避剤って、出ていないんでしょうか」
女は眉をひそめ、ララを見下ろした。十歳前後にしか見えない小娘がなにやらわけのわからないことを言っているぞ、と言いたげな目つきに、ララのなかの希望もしぼんでいく。
案の定、女は困ったように首を振った。
「ごめんなさいねえ。少なくともウチで取り扱いはないわねえ」
「そうですよね……」
「ウチで無いってことは、少なくとも王都じゃ見つけられないと思うけどねえ。宵国や皇国で開発されているとしたら、ウチにも耳に入ってるはずなんだけど、ないしねえ……」
「ですよね……」
この店は、国内の同業店のなかで一番大きく、世界中の商品を手広く取り扱っていた。ここにないということは、そもそも存在していない可能性が高い。
「すみません、お邪魔してしまいました」
「いいええ。まあ、言いたいことはわかるわよ。忌避剤って名前は無難だけど、モンスターの死骸を砕いて溶かして腐らせて、加工してるものだものねえ。そう考えたらちょっとぞっとしちゃうわよねえ。生産の方に意見出しとこうかしら。ほかの原料で作れたなら、もっと売れそうな気がするものねえ。ありがとう、お嬢ちゃん」
女がにっこり笑ってそう言ってくれたので、ララも素直にうなずき、ぺこりと頭を下げた。
「わたしも、ギルドの方に意見を出させていただきます。ありがとうございました」
笑顔のまま店を出る。だが扉をしめた途端、ララは憂鬱な表情になった。
そこまで期待はしていなかったが、忌避剤に代わるものは今のところ存在しないのだ。これからの旅は、いったいどうしたらいいのだろう。エルに頼りきりの現状は心苦しく、守ってもらってばかりではいたくない。
何か、いい案はないだろうか……
頭をもんもんとさせながら、車をゆっくりと走らせる。そのうち、ファッションブティックの並ぶ通りに出た。露店やおしゃれな店舗が立ち並ぶ通りで、真ん中には美しい水路がまっすぐに敷かれており、ゴンドラでも馬車でも徒歩でも楽しめる人気のスポットだ。ララは水路沿いを車でまっすぐ進みながら、自然と目で店舗を物色していた。
――
せっかく王都に来たのだ。すこしばかり趣味に走ってでも、かわいらしい衣類を補充しておきたい。もちろん丈夫で長持ちして、最小限の数でもたくさん着まわせる便利なデザインのものを……
ララの奇抜な車は通りのなかでもかなり目立っており、道行く人々の目をいちいち引いてしまう。なんだか通りづらいし、落ち着いて買い物ができないので、仕方なく通りの入り口に引き返し、馬や馬車などが置いてあるスペースに車を停めた。エルを待たせてしまうが、仕方ない。彼は今のところおとなしくしており、問題なさそうだ。もう少しの間、我慢してもらうとしよう。
車を降りて、石畳の道を歩く。水路には細身のゴンドラが優雅に浮かび、若い男女が仲睦まじく観光している。通りに並ぶ店はひっきりなしに客が出入りしていて、都らしい賑わいを見せていた。
さすがの店舗数、ララが歩けば歩くほど、かわいらしい店が目につく。フリルのついたブラウスやハイウエストのスカート、帽子屋にはおしゃれなベレー帽が展示されていて、思わず無意識で入りかけた。失った洗濯物は下着に部屋着、ブラウスやタオル類が主なのに、ぼうっとしていると想定より多く買い込んでしまいそうだ。自制心、自制心! と己をいましめる。
――わたしは決してお金持ちじゃないのです。旅をするには車の維持費にメンテナンス費、キッチンやお風呂の部品交換、魔動具の魔導石交換、その他もろもろ、お金がかかるんですから……
ぶつぶつと口に出してまで、己をいさめていた、その時。
突如、後ろから肩を掴まれた。はっとした時にはガシリと口を覆われ、ものすごい力で後ろへ引きずり込まれる。店舗と店舗の間の細い路地の奥へ、ずんずんと進んでいってしまう。
泥棒? 強盗⁉ こんな、王都のど真ん中で⁉ ――パニックになりかけたララの頭の中に、いろいろな可能性が瞬時に浮かんでは消えていく。じたばたともがいても無意味だった。ララを捕まえている何者かの腕は、ものすごい力だったのだ。
ララの革靴がずりずりとひきずられ、どんどん奥へ連れていかれてしまう。やっと腕を離されたと思ったら、背中をどんと押され、暗がりへ転がり込んでしまった。
「いっっ――」
固い地面にひざと腕をこすってしまい、熱い痛みが走る。それでも必死で体勢を戻そうとしたところで、がん、と頭上の壁に革のブーツが押しつけられた。
「あんた、ララね」
キンと耳障りな、嫌みな声……ララの脳内で記憶が呼び起こされる。記憶は二年前にさかのぼり、王都のギルド受付官養成所、寮の部屋、廊下、教室、とじゅんぐりに駆け巡っていく。
「どのツラさげてここに来たの?」
冷徹な女の声。
「養成所を追放されて、どこかで野垂れ死んでるものだとばかり思っていたけど。呑気にのうのうと街中を歩いて……不愉快ったらないんだけど」
ララは、自分を見下ろす女の顔をじっと見上げ、「キリア」とつぶやいた。
「……あなたは、警備兵になったんですね」静かに、だがはっきりと口にする。「受付官ではなく」
「はあ⁉」
女――キリアのこめかみがぴくりと震える。その後ろには筋骨たくましい男が立っていた。どちらも、警備兵の制服を着ている。
「あ、あたしはちゃんとやってんの! みじめで卑怯者のあんたとちがって……!」
キリアはララに向かって指先を突きつけ、男の方を振り返る。
「こいつ、あたしがさっき説明した、元同期よ。養成所の」
「ほお。こいつが」
男のうなり声は低く、獰猛な獣のような気迫がある。
「そう。成績よくて、周りからちやほやされてさ。かなり調子乗ってたの。でもそれ、全部ウソだったんだよ! こいつ、ずっとカンニングしてやがったの。バイト代で試験官買収してさ」
「……してません」
「うるせえよ!」ガン、と靴底でララの肩を蹴る。ララは一瞬、顔をしかめたが、キリアの顔から眼をそらさなかった。その態度が気に入らないらしく、キリアは忌々しそうに顔をゆがめる。
「ソーニャが気づいたんだよ。ソーニャってのはね、あたしと仲が良かった子でさ。育ちが良くて、いっつも勉強頑張ってたんだ。こいつと違ってね! こいつはソーニャの努力を踏みにじって、嘲笑って、お得意の不正でソーニャが受けるはずだった奨励金も全部うばった。でも、ソーニャがこいつの本性を見抜いて、暴いてやったんだよ。そしてこいつは養成所追放になった。せいせいしたわ!」
キリアがせせら笑う。ソーニャ、という名前を耳にした途端、ララは奈落の底に突き落とされたような心地になっていた。
――ちがう。
キリアも男も、鋭い眼でこちらを見下ろす。ララの思いは、どうやら無意識のうちに口に出てしまっていたらしい。
「ちがいます」
もう一度、はっきりと訂正した。
「わたしは陥れられただけです。わたしはまじめに勉学に励み、受付官見習いとして働いていました。それを貶めたのは、あなたたちじゃないですか」
「なにを……! ソーニャが出まかせ言ったっていうの!」
「彼女がわたしを嫌っていたのは初めから知っていました。入学当初から目をつけられて、課題提出の邪魔をしたり、わざと物をなくしてわたしに濡れ衣を着せようとしたり。……ですが、わたしはもう、誰のことも恨んでいません」
ララはふたりを――特に女の方を、真っすぐに見据える。
「キリア、あなたのことも」
「は――」
「皮肉なことに……ですけど、あなたたちのおかげでわたしは、今の新しい生活を得られたんです。受付官も楽しい仕事でしたけど、わたしは今の生活の方が良かったと、心から思っています」
それは紛れもない本心だった。濡れ衣と汚名を着せられ、追放されたときはこのまま野垂れ死んでしまおうかと本気で思っていたが、今の愛車と車中泊での生活が心と精神を癒してくれたのだ。ララの人生に価値と輝きを与えてくれたのだ。
「あんたねえ……ほんっと、昔から生意気なんだよ!」
ララの目つきと言葉に、ますます怒りが募ったらしい。キリアは半狂乱になって叫び、目を剥いてララに迫った。
「飛び級だか何だか知らないけど、不正してまで見習いになって、それがばれて惨めになったかと思ったら、今の生活で満足しているとか、性根が腐ってんじゃないの! しかも、どうどうと王都にまた戻ってきて……!」
「王都へは、警備隊に用事があったので。戻りたくて戻ったんじゃありません」
「もういい、ガルシオ! こいつをぼこぼこにして!」
キリアが叫ぶ。ガルシオと呼ばれた男は、待ってましたとばかりに背中へ手をやった。ずしり、その手には重厚な鉄のハンマーが握られている。
「いいんですか……警備隊が白昼堂々、一般人を、何の理由もなく……」ララは震える声を抑えながら、つぶやく。「それ、明るみに出たら大変なことになりませんか」
「明るみに出るわけないじゃない。馬鹿ね。あたし、こう見えて警備隊ではモテんのよ。ちょっと協力してもらえば綺麗になるわ」
「おい、キリア」男がむすっとした顔で割り込む。
「今は俺と付き合ってんだぞ。忘れてねえよな」
「忘れるわけないじゃない。でも利用できるものは利用しないと。それに、ちゃんと綺麗にしとかないとさ、こんな奴の死体が公(おおやけ)になりでもしたら、優しいソーニャがこいつのこと思い出して、心を痛めちゃうじゃない。あの子は今、ギルドで立派に受付官やってるんだから」
そういうことか、と悟ると同時に、背中に冷や汗が流れ落ちていった。今、ここで死ぬわけにはいかない。いつものポーチは、王都のなかなので持ち歩いていなかった。王都では一般人は武装できない。万一職務質問にあったとき、護身用道具を見られたら面倒だった。
エル――
どうして、こんな時にさえ、あの小さな鳥の姿が脳裏を横切るのだろう。たしかに彼の脚力ならば、こんな大男の一人や二人、簡単に蹴倒してしまえるかもしれない。だが、エルは車の中だ――そうだ、自分が、隠れているように言ったんじゃないか。彼は冒険者に追われている、王都のど真ん中に現れることを望むなんて、なんて無責任なことを……
頭上に真っ暗な影が落ちる。重々しい鉄塊がすぐそこに迫っていた。振り下ろされる寸前まで、ララの頭の真ん中には黒くて小さなエルの存在があった。
桜色の唇が、かすかに動く。
――ごめんなさい、エル……
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