第18話 疑惑のまなこ
そんなこんなで、車を走らせ続けること十日間。目の前には、海かと見まごうような広大な大河が広がっていた。風に揺れる水面はすっきりと透き通り、空の色を映し出したように青々としている。そのど真ん中に、見上げるような分厚い外壁に囲まれた孤島があった。王都だ。
車の御者台に座り、ララは手元の手紙を開いた。数日前に王都警備隊から届いた書簡だ。モンスターから奪還した盗品について、警備隊本部まで持参するようにとの指示が書かれていた。
「エル」
ポシェットの中から、すぽっと黒い頭部が覗く。ララは眼前に広がる大河と、堅牢な城壁を指して言った。
「あれが王都です。やっと到着しましたよ」
「ケケッ」
エルは、はっとしたように首をのばし、きょろきょろと辺りを見回した。海のような大河に驚き、そびえたつ城壁の規模に「ケッ!」と声を上げる。その様子をほほえましく眺めながら、ララは改めて告げた。
「わたしは、あの
と説明し、ポシェットを抱えて後ろの部屋へ移る。戸惑うエルをソファに座らせ、「しー」と人差し指を唇に当てた。
「王都にはギルドの本部があるんです。あなたは冒険者に追われている身です。わたし以外はだれも車に乗せていない体でいきますし、あなたも気配をころしておいてください」
「ケッ……」
冒険者、という言葉を耳にした途端、エルの体がわずかにこわばった。
「盗品を取り出すとき、少しだけ車の扉を開けますから、あなたは見えないように……そうですね、本当は戸棚の中にでもと思いますけど、窮屈でしょうから……ロフトベッドのなかにいてください」
不平を言われるだろうかと思ったが、エルはおとなしく従った。追われていたときのつらい記憶が今も心に残っているのだろう。怖がらせてしまっただろうか、とララは心配になった。
「すぐに戻りますからね。ええと……盗品を届け出たら、衣類の補充の買い物と、野営の安全確保に有用なアイテムが出ていないか探します。長くても半日あればじゅうぶんだと思いますよ」
「ケ」
エルの声が小さい。がんばって毅然としているが、唇はきゅっとへの字に曲がっている。ララはますます申し訳なくなって、エルの頭を優しくなでた。
「だいじょうぶです。しっかり隠れていてくだされば」
ララはエルを抱き上げ、梯子を上ってロフトベッドに座らせてやった。
「お土産も買ってきますから。人間の食べ物、好きでしょう?」
そう微笑みかけ、ララは下に降りる。部屋を後にして、御者台に座った。
すっと深呼吸する。
王都。できれば、二度と来たくない街だった。
唯一の出入り口である巨大な跳ね橋と城門は、相変わらず見事なものだった。キャラバンの馬車や富裕層の魔動車が数十台並んで通れるくらいの幅がある。跳ね橋は当然ながら魔導石を動力に動いており、有事の際にはすぐに閉じるようになっていた。戦争もなく平和な昨今、閉じられたことなどないのだが。
門番の前で停車し、商業ギルド証を見せる。これひとつで身分を証明できるというのは便利なものだ。だが、ララの幼い風貌がいまいち信用できないのか、ギルド証とララの顔を何度も何度も見比べられた。
「用件は?」
「王都警備隊へ、盗品の届出と……」と、警備隊印の書簡を見せる。「旅に必要な物資の補充です」
書簡の効果はてきめんで、門番はすぐに通してくれた。が、門を通り抜ける際、「へんちくりんな車だな……」とつぶやきながら二、三度見された。
じろじろ見られるのは仕方がない。これは普通の魔動車とは違う。魔動車自体、王都ともなればそれなりに見かけるものなのだが、これほど魔改造をほどこされたものは世界で唯一、ララの車だけだろう。
果たして、都の中を走らせていると、待ちゆく人々がみんなこちらを見上げ、仰天したように目を剥いた。優雅に傘をさした貴婦人も、ステッキにハットスタイルの紳士も、露店を出している商人も、買い物中の奥方も、「なんだあれは」と一斉に目で追う。ララは決して周囲の様子など見ないように、できるだけまっすぐ前に目を向けながらハンドルを切っていた。
「パパ上、あれもマドウシャですか?」とあどけない声が耳に飛び込んできたときは、さすがに吹き出してしまったが。
王都内には幾筋もの運河が敷かれており、石畳の馬車道のほかに、ゴンドラで運河を渡っていく方法もある。青々とした水路と、整然と整備された街の様相が美しく、
王都を出て二年たったが、相変わらずにぎやかで、きらきらしい街だな、と思う。
王都警備隊本部は、町のすべての水路が終結した中央通りに位置している。公爵家の別邸か、と思うほど大きく立派で、屋根の上の刺々しい尖塔や、あちこちに彫り込まれた
ララは意を決して車を停め、本部の前に降り立った。ギルド証を取り出して受付に提示する。
「盗品を届けに参りました、ララと申します」
受付はたおやかな女性で、手元の名簿に目を落とすなりすぐにうなずき、「少々お待ちください」と後方の通路へ消えていった。そしてすぐ、警備隊の制服を着た男女三人組がやってくる。
「あなたが、申し出のあったララさん?」
女は艶やかな黒髪を右肩に優雅に垂らしていて、靴のヒールを加味してもすらりと背が高かった。迷子の女の子に訊ねるように、ララの目線に合わせて腰をかがめてくれる。ララの年齢は知っているはずだが、これは日ごろの癖なのだろう。ララが「はい」とうなずいてみせると、女は微笑んだ。
「私は、モンスター被害対策本部副部長のディンです。ええと、あなたが、モンスター……ハイース・ガラから盗品を奪ったの?」
メモを確認しながら半信半疑の眼差しを向けてくる。当然だろう。出来事と目の前にいる少女の風貌はあまりにミスマッチだ。
「先にブツを見せてくれるか、ブツを」
後ろにいた男が言った。ガラガラとしゃがれた声だ。ララは「はい、すぐに」と踵を返し、車まで小走りで向かう。三人の警備兵も後をついてきたが、「えっ」と困惑した声が上がった。車の様相に驚いたのだろう。
盗品を詰めた袋は、扉を開けてすぐに取り出せるように戸口に並べていた。それらを引っ張り下ろし、すぐに扉を閉める。
「これで全部なのね?」
「はい。首回りや腹回り、頭の上などにたくさんつけられていました」
「なるほど。確かに、ハイース・ガラは人間の光り物を好むわ。ではこちらに来てくれるかしら。調書を取りたいの」
ディンに手招きされ、ララは素直に従った。つい、目線をちらりと車の方へ向けてしまったが。
――エル。おとなしくしていてくださいね。
本部の通路を歩いている間、ララも三人も無言だった。すれ違う警備兵たちも、とくにこちらの動きを気に留めるそぶりを見せない。通路はレンガ造りになっていて、あちこちにポスターや予定表、標語などが貼られていた。
ララが通されたのは、通路の途中にあった小さな部屋だった。ソファとローテーブルが置いてある。奥に座るよう促されたので、黙って従った。
「さて」
ディンが向かい側に座る。男たちはそのそばに控え、腰の後ろに手を組んで立っていた。
「まずはあなたのことを教えてくれるかしら?」
ディンの言葉に、ララはもう一度ギルド証を取り出して机の上に置いた。ディンの細い指先が小さな革表紙を捲る。後ろの男たちもじっと注視する。
「ふむふむ。業務委託で、魔導石の生成を……職人なのね」
「はい。職人というほど、従事はしていませんが……」
「でも、それで糧を得ながら旅をしているんでしょう?」
「ええ、まあ……」
「ひとりで?」
「はい」
「すごいわね」
褒めながらも、ディンは心配そうに眉尻を下げた。
「だれか、冒険者を雇ったりしていないの?」
「いいえ」
「でも、モンスターや野党に襲われることだって、あるでしょう?」
「アイテムを駆使して、目つぶししたり音を拡散させたり電撃バリアを張ったりして時間を稼いで……車で逃げます」
「車って、あの……?」
「はい」ララは少しだけ胸を張った。「あの車です」
ディンは急いで手元の調書にペンを走らせる。
「夜、危なくないかしら? テントを張ったりするのよね?」
「テントは張りません。車のなかにベッドがありますから」
「……ベッド?」
「はい。食事はキッチンで作りますし、お風呂もありますし、ロフトベッドを作りつけてありますので夜も快適です。モンスター対策も万全にしていますから……」
すらすらと語っている最中で、ララははっと口を噤んだ。しまった。つい車自慢をしてしまった。
「……そんなのが製造されていたなんて、知らなかったわ」ディンは戸惑いを隠せない目でこちらを見ている。男たちも、静かに顔を見合わせた。ここでララは「製造されていません、わたしが改造したんです」と、改造にかかった経緯を事細かに説明して自慢したくなるのをぐっとこらえた。
「魔動車で、旅。なるほど……うーん、前例のない人ね」ディンはペンを指の間でもてあそびながら、書面に書きあぐねている。
「まあ、いいわ。それで、聞きたいのはね。あなた、どうやってこの盗品を取り返したの?」
ディンの手が、ソファのそばに並べられたずだ袋をぽんと叩いた。
「あなた、自分で戦えないでしょう? でも冒険者も雇ってない。じゃあどうやってハイース・ガラから逃れて、しかも体についていた盗品を奪えたのかしら」
うかつだった――
そう思うと同時に、ララは自分で自分を殴りたくなった。
まさか、拾って保護している鳥獣モンスターが倒してくれましたとは言えない。しかも彼は冒険者ギルドに追われている。
エルの底知れぬパワーファイターぶりに毎度驚愕し、王都へ行きたくないというネガティブな気持ちと警備隊に来るときの緊張で、そこまで頭が回っていなかった。そもそも、ここまでじっくりと調書を取られると思っていなかった。まったくもって、とんでもないミスだ。
「ええっと……」
なんと言えば、この場を乗り切れるだろう。
――ハイース・ガラに襲われて、命からがら逃げだそうとしたとき、別の巨大モンスターが現れて突然縄張り争いを始めたんです。そのモンスターが勝利し、巨鳥の死骸をくわえてどこかへ行ってしまいました。お宝には目もくれず。わたしは残されたそれを袋へ詰めて……
などという言い訳が頭の中に浮遊した。が、これは却下だ。あの地域にどんなモンスターが分布していたかなどさすがに把握していないし、適当に言って調べられたら面倒だ。かといって、実は冒険者をつれていたのだと後出しで言っても、所属と名前を訊かれたら嘘がばれてしまう。
「答えられないのか?」
後ろに控えた屈強な男が、しゃがれ声を出す。こちらを見下ろす眼差しは威圧的で、獰猛な猛禽類を思わせた。
「ハイース・ガラの話も嘘ではないのか? 本当は、貴様がギルド内で不正を働いて手に入れたもので、なにかのはずみでばれそうになり、大ごとになる前に嘘をついて我々に差し出しているのではないのか?」
「そんな!」ララは慌てて首を振る「どうしてそうなるんですか! わたしは、ただ……」
「ただ?」
口ごもるララの頭の中を、ぐるぐると映像が浮かんでは消えていく。突然襲い掛かってきた巨鳥、散らばる洗濯物、奪われかけたハンカチ……そのときエルが飛び出してきて、巨鳥を蹴倒してくれたのだ。体躯の差など関係なく、圧倒的な力の差を見せつけたのだ。
ララは小さく息をつき、目を閉じた。やがて、意を決したように瞼を開く。
嘘をつくのは、とても苦手だ。息が詰まりそうになる。でも、やるしかない。
「……実は、人が、いたんです」
「人?」
ディンがペンを構える。ララは目を伏せ、「はい」と続けた。
「こんな話、言っても信じていただけるかどうか……わたしも、未だに信じがたいことで」
「いいわ。話してちょうだい」
「わたしが巨鳥に襲われ、もう絶体絶命、殺されると覚悟したとき、人影が視界に飛び込んできたんです」
「やっぱりだれか、助けに入ってくれたのね? だれだったの?」
「わかりません。灰色のレインコートを着て、フードを深々とかぶった人で……男性か女性かもわかりません。ともかく、その人が巨鳥に強烈な蹴りをくらわせて、ノックダウンさせたんです」
「なんですって」
ディンが露骨に眉を寄せる。男たちも、ララの言葉の真偽をはかりかねてか、戸惑いに目を細めていた。ララの心臓がばくばくと爆速で脈打っている。嘘八百、口から出まかせ、もうあとに引けない――
「呆然としているわたしの前で、その人はハイース・ガラの身につけていた盗品を体から払い落とし、袋に詰めてくれました。そしてわたしの前に差し出したんです」
「何か、言われなかった? 声、聞けたんじゃないの?」
「声はかけられませんでした。わたしも、あまりのことに何も言えず……」
「……」
「それで、その人は去っていきました。すごく強い人でした。まだ夢でも見ていたんじゃないかと思うくらいです。ですが、これがある限り……」と、真剣なまなざしで盗品の袋を指す。「現実に起こったんだと、そう確信させられます」
それから申し訳なさげに目を伏せた。
「すみません、隠したかったわけではないんです。ただ、わたしにもよくわからない出来事で、説明しようもなく……」
「うーん……その人は、それだけ強いなら冒険者だったかもしれないけれど……それっきりの情報じゃよくわからないわね。まあ、いいわ。灰色のレインコートね……」
ディンはつぶやきながら、さらさらと調書に書き加えていく。ひととおり済むと、ふうと息をついた。
「信憑性は怪しいでしょう」
後ろの男が意見する。ララの心臓がドキーンと跳ねた。
「やはり、まだ何か隠しているのでは?」
「でも、私、彼女がやましいことを隠しているようには見えないわ」
ディンのララを見るまなざしは、どこかやわらいでいる感じがした。
「実際、冒険者が通りすがりに正体を隠して人助けをした例はいくつかあるのよ。奇特な人で、めったにいないけどね……今回も、その一例かもしれない」
「甘すぎる見解では」
「そうかもしれないわね。でも逆に、これ以上彼女を問い詰める確証も、私たちにはないのよ。彼女の素性はわかっているし、あとで何かあればギルドを通じてたどりつくこともできるわ。それに……」
ディンは、考え込むように調書へ目を落とした。
「ハイース・ガラは
後ろの部下はまだ納得しかねるような顔をしていたが、とうとう何も言わなかった。ディンは調書をファイルにしまいこみ、「ララさん、これで終わりよ」と微笑んだ。
「長いこと拘束して、ごめんなさいね」
「いえ、わたしでお役に立てるなら、今後もなんでも協力いたします」
言いながら、ララは心底ほっとしていた。全身から力が抜けそうになるが、ぐっとこらえる。気を抜くのはここを出てからだ。いや、街を出るまでだ。
「盗品はこちらでしかるべき処分をするから、安心してね。ご協力、感謝します」
ララは三人に見送られ、ぺこぺこと頭を下げながら御者台に乗り込んだ。
――うまくいった!
という感情はおくびにも出さず、ハンドルを切る間も、お行儀のよい笑みを浮かべ続けた。気がつけば背中に冷や汗が張り付いていて、そよ風が吹くたびに肌寒い。
それにしても、よくもあんな出まかせでごまかせたものだ。灰色のレインコートなど、どこから出てきたのだろう。
ララの頭のなかで、ポン、と納得の音が鳴った。
そうだ、確か昨年、旅路の途中で出会ったキャラバンからレインコートを買っていた。なんでも砂の皇国の伝統衣装をモチーフにした柄だとかで、灰色の袖口に幾何学的な赤い刺繍が施してあったのだ。珍しいのと、旅に雨具は必須だという思いから購入したのだが、実際着てみるとサイズが大きく裾が余ってしまった。結局使うことはないまま、今も衣装ケースに仕舞い込んであるはずだった。
自分が知る衣装のなかで、もっとも素性を隠せそうなデザインがレインコートだった。だから咄嗟に思い出し、無意識のうちに架空の冒険者に着せてしまったのだろう。
*
さて、ディンたち三人の警備隊員の他にもう一組、去りゆく魔動車をじっと見つめる者たちがいた。二十歳そこそこの女と男。ふたりは、というより女の方が、建物の陰から身を乗り出さんばかりになって、車に乗り込むララの姿を凝視していた。
「……あいつだわ。間違いない」
女が低くつぶやく。
「王都へ、今更何をしに来たっていうの……」
「あの娘が、どうかしたのか」
男が問う。鈍い金髪を短く刈り込んでいて、見上げるほどに背が高く、筋骨たくましい男だ。
対して女は細身で小柄、しかし目つきは異様に鋭く、眉間の皺が深い。亜麻色の髪を後ろで一つにまとめている。このふたりもまた、紺と白を基調とした王都警備隊の制服を身に着けていた。
「説明はあと。とにかく追うから、あんたもついてきて」
男は首をひねりつつも、おとなしく従った。「おまえがそういうなら」とつぶやいて。
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