第17話 ボディガードは結構です

鳥の観察日記

 そういえば、エルがオスなのかメスなのか、未だにわからない。直接確かめるのはなんだか気が咎めるし、わからないままでも不都合がないので曖昧なままにしている。

 エル、と呼びかけるとすぐさま飛んで(転がって)くるのがかわいらしい。もふもふだしまん丸だし、膝に抱いて作業しているととても癒される。


 次の目的地は王都なので、ついでにギルド本部へ寄って、結晶を納品してしまおうかと思う。結晶づくりは神経を使うので、エルが膝にいるのは正直、ありがたい。だけどエルは現金なところがある。お腹が空いているとごはんの催促のために寄ってくるけれど、満腹だと離れて、お腹をだしてひっくり返っている。気まぐれな生き物と言えば猫だけど、エルもじゅうぶん負けてない。


***


 王都への道のりはとても長い。王都は明国ルーメ・グランデのど真ん中に位置しており、ララが出発した森はそこよりだいぶ東にいった名もなき森であった。通常の馬車旅であれば二十日もかかるところだが、車を飛ばせば二週間、いや一週間あまりで着くはずだった。


 ララはエルと共に朝食を済ませると、ソファの上に箱を用意して綿やタオルを詰めはじめた。その行動に覚えがあるエルは、慌ててララを制しにかかる。


「ケケーッケケーッ」

「なんですか、どうしたんですか」


 ばさばさと翼を振って暴れるエルに戸惑いつつ、ララも意地になって箱のふちにしがみつく。


「もう、車は揺れますし危ないですから、安全のために入ってもらわないと困ります! まあ安全運転には常日頃から心がけていますからそうそう事故は起きないと思いますが、万一のことを考えて……」

「ケケケケケーーッ」

「だからいったいどうしたんですか! 多少窮屈なのは我慢してもらわないと、もしあなたが怪我でもしたら……」

「ケケケケケッケケーッ」


 エルは懸命に訴え続けたがとうとう聴き届けられず、ララの手につかまりそうになった瞬間するりと抜け出し、半開きの窓から外へ飛び出してしまった。


「あっちょっと!」


 慌てて後を追うと、エルは御者台の座席に鎮座していた。ハンドルの前ではなく、その隣のスペースだ。


「……御者台がいいんですか?」

「ケッ」

「でも、そんなところに乗せられませんよ。安全バーもサイズが合いませんし、すぐに転げ落ちてしまいますっ」


「ケッケッ」


 エルは何やら、一生懸命に身振り手振りをはじめた。翼の先を、肩から足もとにかけて斜めに動かす動作を繰り返す。はじめはララも訳がわからなかったが、そのうちようやく、理解できた。


「ポシェット……ですか?」

「ケケッ」


 やっとわかったか、とエルが何度もうなずく。ララは顔をしかめた。


「つまりわたしは、あなたの入ったポシェットを肩にかけたまま運転すると……」


 エルは「ケッ」とうなずき、はよはよ、と言いたげに翼を揺らした。ララが納得するまでその場から動きそうにない。


「でも、やっぱり危ないですよ。もし何かのはずみで落ちちゃったらどうするんですか」

「ケケッケッ」


 エルは、自身の胸のあたりを翼でもふんもふん叩いて見せた。自信ありげに胸を張る。

 考えてみれば、エルは自分よりはるかに巨体の怪鳥をキック一発で蹴倒したのだ。しっかりつかまって落ちないくらいの自信はあるのかもしれない。


「……うーん……」


 ララは渋い顔のまま、後ろの部屋からポシェットを取ってくる。「うーん」とうなりながらエルを持ち上げ、ポシェットにずぼっと入れてみた。そしてまたも「うーん……」とうなり、肩に提げる。


「……こうしましょう。しばらく運転してみて、やっぱり転げ落ちそうな気がしたら、その時点で問答無用で箱に入ってもらいます。それでいいですね」

「ケッ」


 ポシェットの空いた口から、ぴっと翼の先が飛び出す。そこまで自信があるのなら仕方ない、ひとまず願いをきいてやりましょうかと、ララはそのまま、御者台に座った。ポシェットの紐を伸ばして、そっと隣のスペースに置いてやる。

 安全バーを下ろし、エンジン部の魔導石に念じてレバーを引く。車は息を吹き返したように爆音をたて、がたがたと揺れ始めた。


 エルは、器用にもポシェットの口から頭部だけ出している。相変わらず黒い羽毛で目鼻は見えないが、への字口がぽかんと空いていた。車内にいるより、御者台にいる方が車の振動を感じるのだろう。


 ララは改めて周囲を見回し、車の音に負けじと声を張り上げた。


「それではわたしたち、ここを発ちますね!」


 花畑、みずみずしい草木、せせらぐ川、美しい森。一度はモンスターによって荒らされたが、驚くべきことに一晩経てば元通りに修復されていた。

 実在するかもわからなかった妖精という存在と、確かに触れあえた――ここ数日で、人生でまたとない特別な体験をしたのだ。名残惜しいが、ララは精いっぱいに大きく手を振った。


「また、立ち寄らせてください!」


 そのとき、柔らかな風が吹いて、ララの頬をそっと撫でた。髪をゆらし、ゆっくりと、名残惜しそうにその場を離れていく。

 ララは車のペダルに足をかけた。「いきますよ」とつぶやいて、一気に踏み込む。エルも「ケケッ」とあいさつして、ポシェットの口から小さな翼をぶんぶん振っていた。


***


 そこから先は、ただ王都への道のりでしかなかったが、エルにとっては地獄の旅路であった。


 ララは宣言通り、可能な限り車を飛ばしていた。坂道だろうが曲り道だろうが、森林の獣道だろうが、おかまいなしの爆速だ。御者台の前方にピンで留めている地図が風にあおられ、ちぎれんばかりにめくれあがっている。


 がたがたん、と車輪が何かに乗り上げたとき、急な曲がり角で車体がひっくり返りそうなほど傾いたとき、車にかすった木々の枝葉がばさばさと雨のように降ってきたとき――エルはそのたびに顔を青くし、気を失いかけていた。正直、後ろの部屋で箱の中におさまっていた方が乗り心地はましだったかもしれない。

 後ろの部屋にいたときはわからなかったが、御者台に乗り込んで確証をえられた。車が悪いわけじゃない。諸悪の根源は、隣の少女にあったのだ。自覚のあるなしは、さだかではないが…… 


 ララは運転こそ壊滅的に荒いが、各所できちんと休憩を挟み、夕方には停車地をさがしていた。明国は国土の大部分が未だ森に覆われており、暗い時間にうろついているとモンスターと遭遇する危険があるためだ。




 モンスターに対しては、今までの旅と大きく変わった点がある。

 ララは、休憩中でも、野営地点でも、モンスター忌避剤を撒かなくなった。忌避剤の原料はモンスターの死骸だ。特殊な加工と発酵技術で、彼らの本能に訴えかけるような嫌なにおいを放っているという(人間にはわからないが)。そんなものをエルのそばで撒きたくなかった。


 残る手段は、ギルドから仕入れた二つの商品、周囲の景色に擬態できる「透明幕屋ミラーベルジュ」と、料理などの生活臭をごまかす自然香を利用することくらいだ。だがそれらを駆使しても忌避剤の効果とは程遠く、安心とは言い難い。


 夜、美しい湖をみつけたのでほとりに車を停め、野営の準備をしていた。エルに手伝ってもらいながら車の上に透明幕屋を張り、香を焚いて、キッチンで麦餅スープをつくっていたのだが、どうもエルの様子がおかしい。なんとなく落ち着かない様子でそわそわして、ソファやテーブルの上をうろうろしている。そのうち、ふと動きを止めて鼻のあたりをひくつかせ、じっと聞き耳を立てるようなしぐさをした。


 次の瞬間、バアン! と凄まじい音とともに車体が大きく揺れた。ララはぎゃっと叫んで後ろに転びかける。横長の窓ガラスに、グロテスクな緑色の顔と水かきのついた巨大な手が張りついていた。「人魚!」――恐怖にそう口走る。


 海に棲む、美しい容姿で漁師を惑わすあの人魚ではない。汚染された川に棲む、エモニ・シレーネと呼ばれる亜種であった。棲家の好みの影響か、全身が澱んだ色の鱗におおわれ、黄色く濁った眼と大きく裂けた顎を持つ、奇怪な姿をしている。


 それが凄まじい勢いで窓をばんばん叩き、耳をつんざくような奇声で叫ぶものだから、ララも一瞬、恐怖で反応が遅れてしまった。気がついた時には、黒い毛玉がソファから転がるように降り立ち、車の引き戸を蹴破る勢いで外に飛び出してしまった。


「エル!」


 ポーチを引っ掴んで後を追うと、汚水人魚エモニ・シレーネは三体もいて、濁った眼光を小さな鳥へ一斉に向けていた。エルもまた、負けじと片足を引き、低く構えている。


「エル、だめ!」


 叫びながらポーチに手を突っ込む。汚水人魚は目が悪いので、光玉は効かない。悪臭も無意味だ。こういうときは電撃バリアを張って時間を稼ぎ、その間に車を飛ばして逃げるしかない。


「エル、はやくこっちへ!」


 しかしエルはこちらを振り向きもしない。足で土を何度か掻いたかと思うと、瞬間、エルの姿が消えた。――いや、消えたのではない。目にもとまらぬ速さで突っ込んだのだ。その背に黒い尾が引いていた。瞬きをしたときには、汚水人魚の一体が吹っ飛び、湖に高く水柱が上がった。


 汚水人魚たちは驚いたように甲高い声を発した。状況が理解できなかったらしい。目の前で片足を上げている小さな鳥と、吹き飛んだ仲間の姿に、ようやく理解が追いついたようだ。二体は怒り狂い、鋭い牙を剥いて同時にエルに襲いかかった。


 ばさり、小さな翼を羽ばたかせ、エルが空高く飛び上がる。その真下で二体の人魚が額を思いきりぶつけ合い、ふらふらと地面に倒れこむ。その隙を見計らい、エルは翼をそろえて急降下した。突き出した足先の鉤爪が、月明かりにきらりと光る。

 ドスッと重く鈍い音が二度、連続で響いた。少し遅れて、ザバン、ドボンと水柱が上がる。


「ケケーーーッ」


 勝利の雄たけびをあげて、エルがくるりと振り返った。透明な結晶が、張り切る彼の胸の上で燦然と輝く。


 ララは、無我夢中で拍手をしていた。

 人間のつくったその場しのぎの道具などいらない。エルは自分の脚だけで敵を蹴ちらせてしまうのだ。数の利など関係なく。


 忌避剤を撒かない代わりに、強力なボディガードができてしまった。これが、ララの旅の大きく変わった点である。


「でも、あなたはわたしの大事な旅仲間なんですよ」


 エルの体に怪我がないか、念入りに確かめながらララがぶつぶつとつぶやいた。


「あなたが、どうやらものすごく強いということはここ数日でよくわかりましたけど……これじゃ、あなたが休まりませんし、旅を楽しめません」

「ケッ?」

「あなたの横でモンスターの死骸を撒くなんて気がひけますし……王都に行けば、代わりになるものが売ってるかもしれません。衣類の補充のついでに探してきます」


「ケッケッ……」


 そんなもの、必要ないのに……と言いたげにエルは唇を尖らせている。どうも、自分の活躍の場があるのを誇りに思っているようだが、ララとしては、大事な仲間を危険に晒したくないのである。


「それにしても、さきほどの汚水人魚エモニ・シレーネたち……どうしてこんなところに現れたんでしょうね。汚染された水なんてないはずのに」


 このあたりは綺麗な湖を中心に広がる丘陵地帯で、決して彼らが好むような環境ではない。

 ララはふと、この間ハヤブサ定期便で読んだ新聞記事を思い出した。


「そういえば、最近になって生活排水の環境汚染が問題になってるらしく、王都が対策に乗り出したそうなんです。なんでも、大量に魔導石を集めて水質改善の装置を開発しているとか……すでに使用されている地域もあるそうですよ」


 人間が住まう地域周辺で、排水を浴びながらぬくぬくと暮らしていた汚水人魚たち……その棲みかを追われたとき、彼らがとる行動は、そこから逃げて別の生活場所をさがすことだ。

 しかし明王の政策で汚染された水がどんどん失われている今、彼らも生活に困窮し、もともとあった綺麗な水源を汚して棲みかを作ろうと画策しているのかもしれない。


「ケッケッ」

「ええ、ほんとうなら大変なことです。今度、王宮に投書しておきましょうか」


 本来、モンスター絡みの地域調査は、国から依頼を受けた冒険者たちの仕事なのだが、こうして実情を目にしてしまった以上、国民として報告の義務があるとララは思っている。


 静かになった車内で、ララもエルも顔を見合わせ、ほっと溜息をついたときだった。


 ララはがばりと顔を上げ、慌ててキッチンへ走る。シュンシュン……火がついたままの鍋は湯気を拭いており、蓋をとって覗き込むと、ララは絶望に顔を青くした。


「そんな……! 火、忘れていました……」


 麦餅スープだったものがどろどろに煮詰まり、わずかに底にへばりついている。端の方など真っ黒に焦げついていてひどい有様だった。


 ふらふらと座り込み、肩を落とすララの背中を、エルの翼がぽんと叩いた。

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