第16話 エルの翼

 車に戻ったララは、もう一度念入りに鳥の怪我の具合を確認した。巨鳥との戦闘で取り払われたのだろう、包帯やテーピングはなくなっていた。怪我は、もはや初めからなかったかのように綺麗さっぱり消えている。


「もう、だいじょうぶみたいですね」


 ほっとして告げると、鳥もうなずく。ドヤっと胸を張っている。ララの真似だろうか。


「不思議ですね。どうしてこんなに速く……これも、モンスターゆえの体質でしょうか」

「ケ?」

「まあ、今考えてもわかりませんね。とりあえず、ここはもうおいとましましょうか。妖精さんたちに無理を言って滞在していましたから」


 鳥はのんきにぽかんと口を開けている。その頭を撫でてやりながら続けた。


「次の目的地は、またぶらりと遠くの町へ……と言いたいところですが、実はもう決まってるんですよね」


 息をついて、目線をキッチン脇へ移す。そこにはぱんぱんに膨れ上がったずだ袋が三つ、並んでいる。


「あれを王都へ運ばなくちゃいけません。失った衣類も補充したいですし……」


 車中泊の掟として、物を最低限しか持たないようにしている。もちろん悪天候に見舞われたときの衣類の予備はそろえているが、あれだけ川に流れてしまっては持たないだろう。


「それも王都に行けばそろいますから。ひとまず、目的地は王都です」

「ケッ」

「もちろん、あなたが見つからないようにちゃんと匿いますからね。安心してください」


 王都。実に、二年ぶりだ。

 人間の王、明王の座する王宮があり、城下には世界中のあらゆるものが集っている。常に流行の最先端であり、魔導石による技術革新の研究がめざましく、あらゆる情報の氾濫する街。そして、国を動かす各ギルドの本部が集結する街でもある。ララが結晶を作ってハヤブサ便を送りつけているのも、王都に位置する商業ギルド本部だ。


 「行きたいか」と訊ねられれば、「できれば遠慮したい」街でもある。


「さて。出る前に、妖精さんたちにお礼をしなくてはいけませんね。少し準備しますから、体を休めていてくださいね」


 鳥は小さな体で巨鳥と戦ったのだ。どこから溢れるのかすさまじい力でモンスターを圧倒し、制してみせたのだ。のんきで平気そうな顔をしているが、疲労していないわけがないと思う。


「あの」


 ララはキッチンに立ちかけて、思い直したようにテーブルへ近づいた。ソファへ腰を下ろし、鳥の真正面でまじめな顔を向ける。


「さっきは、わたしのこと、助けてくれて……ありがとうございました」


 鳥があのタイミングで巨鳥に飛び蹴りをいれたのは、あのままでは自身の身が危ないからというのももちろんあるだろうが、やはりどうしても、ララのためではないかという気がしてしまう。


 鳥はきょとんとしている。小さな唇がぽかんと隙間を空けている。凄まじい脚力を披露した後とは思えないほどまぬけな顔だ。


「旅には、ああいったことも珍しくはなくて……つきものだと、覚悟はしていました。でも、二年も旅をしていると、やっぱり慢心が出てしまうのですね。車が近いからと、いつものポーチを置いてきてしまって。突然の襲撃に対処できませんでした。今回はたまたまあなたが強かったからよかったものの……わたしのせいで危険な目に遭わせてしまって、ごめんなさい」


 道具を駆使すれば自分ひとりでどうにかなる。そんな体験が重なると、誰しも気が緩んでしまうものだ。


「わたしは冒険者でもなければ騎士団員でもありません。使えない魔力を持て余している一般人です。そのことを、改めて思い出しました。それも、あなたに命を救われたから……」


 保護していた存在に――守るべき存在に、守られてしまった。モンスターと人間、能力の違いはあれど、やはり許されることではないだろう。


「わたし、保護者のつもりでいましたけど。ほんと、失格ですね」

「ケケッ」


 鳥が翼を突き出し、「ケッケッケッ……」と何事か訴えてくる。珍妙な鳴き声だけではよくわからないが、ララの気持ちを懸命にとすくい上げようとしてくれている感じは、肌になんとなく伝わった。そのことが、ララの涙腺をよけいに深くえぐる。

 慌ててこらえて、下を向く。


「ええと……何が言いたいかというとですね」


 すばやく、さりげなく指先で目じりを拭い、鳥の顔を見上げた。


「お名前、呼んでもいいですか」


 鳥は説得をやめ、わずかに首をかしげた。


「名前です。あの……恥ずかしながら、今まであなたのこと、鳥さんとしか思っていなくて。いずれお別れするのならと、考えることもしなかったのですが……あなたはわたしの庇護にいるだけじゃなくて……助けてもらっておきながら図々しい考えですが、きっとこれからも助けてもらうことがあると思います。どうしても。わたしもそれにこたえるために、あなたを助けていきたいんです」


 一方的に庇護する存在じゃない。怪我した小鳥を一時的に保護して野に帰すのとは、訳がちがうのだ。それを今日、思い知った。知らされた。


「だから、鳥さんじゃなくて、あなたを、あなた個人として名前で呼ばせてもらいたいんです」


 鳥は、首を傾けたまま動かない。鳥はモンスターだ。名前という概念など持ち合わせていないのかもしれない。


「名前……ええと、わたしはララといいます。わたしは人間ですが、ララという個人名があるんです。あなたにもきっと種族名はあるんでしょうけど……もし、個人の名前がないのなら、一緒に考えませんか」


 名前を呼びたい、という気持ちすらエゴにすぎないのかもしれない。だが、ララにとってはそれが恩人を尊ぶ一番の手段だった。


「嫌なら嫌でもいいですが……もしよかったら」

「ケッ」


 黒い片翼が、ぴっと上がった。口元には笑みが浮かんでいる。白い八重歯がきらりと覗いた。


「賛成、してくださるんですか?」

「ケケッ」

「ありがとうございます!」


 ララの瞳がぱっと輝く。さっそくテーブル脇にかがみこみ、ごそごそと書物を引っ張りだした。


「名づけ辞典はここにはありませんが、書籍のなかにきっといい言葉があるかもしれません! なので、手当たり次第にですね……」


 目の前にどんどん積み上げられていく書籍の山に、たちまち鳥の口元がひきつる。さっそく手近な本をめくろうとしたララの手を、翼で慌てて制した。


「なんですか。こういうのはあらゆるところからじっくり考えて決めなくては、ほら、あなたも……」

「ケケッ!」


 ぶうぶう鼻息をふきだし、非難をあびせるも、残念ながらララには伝わらない。


「名づけというのは、とても大切で、慎重にならなければならないんですよ。何か尊い意味を持たせたほうが、素敵だと思うんですが……」

「ケッ」


 どうあっても膨大な書籍を片っ端から捲ろうとするララに、鳥も負けじと脚をつきだす。書籍の山を軽く蹴ると、たちまち山はどさどさと崩れていった。


「ああーっ、なにをするんですか!」


 鳥は無視して、一番下に残った本を脚で引き寄せ、適当に表紙を開いた。それは、世界の言語を学ぶ参考書で、ララが学生時代に使っていたものだった。今では公用語が普及しているため滅多に使われるものではないが、その昔、獣人と鳥人は人間とは別の言語を話していたという。


 参考書など、用が済めば大概は廃棄されるものだが、言語集だけは興味深いので取っておいてあったのだ。現地の言葉を知っていれば何かと旅の役に立つかもしれないためだ。


 ララは床に落ちた書物たちを拾い上げ、「もう……」とつぶやきながら、ふと開かれた参考書に目をとめた。青地の中表紙に銀文字で「鳥人編」と書かれている。


「あ、なつかしい。旅立ってから結局、ぜんぜん目を通していなくて」


 鳥への文句はどこへやら、なにげなくページをぱらぱらとめくる。ララは大掃除中に昔のアルバムを見つけてそのまま全ページ眺めてしまうタイプの人間である。

 そのうち、ある一定のところまで来ると、ララの指の動きがぴたりと止まった。


 「――“エル”……」


 ぽつりと言葉が漏れる。


 ララの青い瞳が、すっと動いて鳥の姿を見据える。ちんまりとした黒い毛玉。申し訳程度に添えられた小さな翼。出会ったときには折れ曲がっていて、痛々しく腫れあがっていた。

 だが、自分よりはるかに巨大なモンスターに向かって飛び込む、勇猛果敢な翼だ。成長すればきっとどんな鳥獣種よりも雄々しく立派に育つにちがいない。


「エル、はどうですか」


 読めるかどうかは怪しいが、開いたページを鳥へ向けて差し出した。


「あなたの、力強い翼にちなんで」


 一番初めに目に留まった言葉がこれとは、何か運命的なものを感じる。

 それは鳥もそうなのかもしれない。あるいは、単に響きが気に入ったのか。


「ケケッ」


 満足そうに、ピッと片翼を上げた。


「では、エル」


 ララはエルの体を抱き上げる。とろけるように心地いい、滑らかな羽毛の肌触り。


「これからの旅路も、どうかよろしくお願いしますね」

「ケッケケッ」

 

エルも歌うように鳴いた。相変わらず珍妙な声だが、今ではむしろ心地よかった。



 翌日の朝、モンスターのせいとはいえ川を荒らしてしまったことが申し訳なくなり、少しでも直しておこうと外へ出た。だが川辺に着くと、辺りは何事もなかったかのように元通りになっていた。

 草地は巨鳥に踏み荒らされ、川沿いの石や岩も鼻息で吹き飛んでしまっていたのに、たった一晩でこれほど綺麗さっぱりに直るものなのだろうか。そういえば、風呂に入って眠りにつく前、窓の外は濃い霧に包まれていた……もしかして……

 

 ララはスコップや袋を持ったまま呆然と立ち尽くし、ついてきたエルも「ケッ⁉」と素っ頓狂な声をあげていた。たちまちどこからか涼やかな風が吹き、ふたりの髪や羽毛を弄ぶように通り過ぎていく。くすくす、鈴の音に似た笑い声がさざめいて、森の奥へと消えていった。

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