第15話 ゆるしてください、なんでもしますから

 信じられないことだが、あれだけ無茶(に見える)暴れ方をしたのに、小さな鳥は無傷だった。あの巨大な体を何度もキックしておいて無傷というのは奇跡そのもの。いったいどういうことなのだろう。


「ケッケッ……」


 鳥は上機嫌で辺りをうろついている。ララは川から上がったものの、全身びしょぬれ、おまけに洗濯物のほとんどが川に流れてしまい、眼前に倒れた巨鳥を眺めて途方にくれていた。


 この状況、いったいどうすればいいんだろう。


「ケッ!?」


 鳥の鋭い声に、はっと意識が引き戻された。のそり、真っ赤な巨体が羽毛を震わせている。気絶から目が覚めたのか。

 いけない、ぼんやりしている暇はなかった。急ぎ鳥を連れて車にもどり、この場から離れるべきだったのに。


「はやく逃げますよ!」


 水滴をまき散らしながら川から這い出て、鳥をつかまえる。全速力で車に向かって走った。その間にも巨鳥が動き出す振動が草地を伝ってくる。とにかく今は車へ――ポーチの中身をありったけ投げつけて、気をそらして脱出しなければ――


 ぐわあああ、と雄たけびが上がる。ずうん、ずうん、と大地が揺れる。確実にこちらに向かってきているのだ。なんてタフな! ララは血の気が引く思いで必死に足を動かした。車が見えてくる。はやく、はやく鳥をかくまって……ポーチはたしか御者台に……


 ぐわあっぐわあっ!


 声は、おどろくほどすぐそばまで迫っていた。額を流れ落ちるのは、川の水か、自分の汗か。


「あっ!」


 つま先が何かに激突し、体が前につんのめった。鳥を抱えたまま、ぐんと前に傾く。鳥を押しつぶすまいと咄嗟に手を放して、そのままずべっと草地に倒れこんだ。


「いっっ……」


 痛い、と言葉にする余裕もない。ララの頭上で巨大な影がぬっと姿をあらわす。咄嗟に体をあおむけ、しりもちをつく格好になった。鳥はというと、突然宙にはなされ、ぼふんぼふんとバウンドしながらなんとか草地に着地する。


「ケケッ!?」


 背後に迫る巨鳥に、鳥も慌てている。それでも小さな脚を果敢に突き出し、ララのそばで身構えたときだった。


 ぐわあああああ!


 ふたたび空気を裂くような雄たけびがしたと思ったら、巨鳥はみずから頭を垂れ、地面につっぷした。その動作に凄まじい熱風が巻きおこり、ララの髪もスカートも何もかもがひっくり返る。


「な、な、なん……」


 言葉をもつれさせていると、巨鳥は頭を地面につけたまま必死にもがき、体じゅうからぽろぽろと光り物を落としていった。それらをくちばしでかき集め、ララと鳥の方へずいと差し出す。


 ぐわあ、ぐわあ、ぐわああ!


 その奇怪な行動に、ララも鳥もわけがわからず首をひねっていた。頭を突っ伏して、体中の宝石をこちらに差し出している……その動きをじっと見ているうちに、ララはふと、ある光景を思い出した。


 その昔、冒険者ギルドのクエストカウンターの前で、新米パーティが別のパーティのメンバーに絡まれているのを見た。絡んでいたのはそこそこベテランのファミリーに属する者たちで、血なまぐさいクエストを好んで受けては荒稼ぎをしていることで有名だった。日ごろの素行も悪いのでギルド内でも避けられていたのだ。

 だが、絡んだ相手が悪かった。新米パーティの戦士は彼らの悪ノリを徹底的につっぱね続け、逆上した相手を見事に返り討ちにしたのだ。絡んだ者たちは力の差を思い知ると、身に着けていた趣味の悪い金品をありったけ差し出して、どうか許してくれと懇願した。のちに、それらはすべて盗品だったと発覚した。


 ララはその光景をカウンターの内側から見ていた。あまりに一瞬で、あっけなく、痛快で、驚くような出来事だったので今でも鮮明に覚えている。

 そして眼前の巨鳥の仕草は、まさに絡んだ者たちのそれだった。魔動車二台分もある巨体のモンスターが、小さく幼い鳥に金品を差し出し赦しを請うているのだ。


「ケッ」


 鳥もそれを察したようだった。きらきら輝く財宝を前に、ララの方を振り返る。どうする? もらってやるか? と言いたげに。


「……どうしましょう」


 もはや苦笑しかできなかった。困惑のオンパレードだ。


 巨鳥の金品は人間から強奪したもの。いわば盗品だ。元々誰かの物だったことを考えると、このままもらうわけにはいかない。第一もらって売りさばきでもしたところで、ララの生活にそんな資産は必要ない。かといって、このままこの盗人に持たせているのも違う気がする。


 眉間にしわを寄せてうんうん考え、ララはやっとのことで結論を導き出した。


「わかりました、いったんお預かりしましょう」


 そして、とすぐに続ける。


「ハヤブサ便で王都へお伺いをたて、盗品として国に預けます。わたしたちには必要ありませんから」


 鳥は、「ケッ?」と少し驚いたような声をあげる。しかしララは断固、考えを変えるつもりはなかった。

 

 車からずだ袋を何枚か持ってきて、巨鳥の金品を入れていく。首飾り、耳飾り、指輪、ティアラ……よくもまあこれだけ集めたものだ。その間、巨鳥は頭をつっぷしたまま動かなかった。それほどまでに、野生の生き物にとっては力の差がすべてなのだ。未だ信じがたいことだが、幼い鳥はこの巨大なモンスターを正真正銘、力でねじ伏せてしまったのだ。


 ずだ袋は三枚ほどにおさまった。どれもぱんぱんに膨れ上がっているので、しばらく旅の邪魔になるが仕方がない。


「いいですか」


 しおらしい巨鳥の姿にララもようやく落ち着きを取り戻し、腰に手を当て人差し指をぴんと立てる。お説教モードだ。


「自分以外の誰かから物を奪ってはいけないんですよ。泥棒とか強盗とか、犯罪者になってしまうんですよ。あなただって自慢の宝物が誰かに奪われたらいやでしょう? 悲しいですよね。ですからじっくり反省して、これからは品行方正につつましく生きてくださいね」


 モンスターに向かって説教など、ばかばかしいことではあるが、巨鳥はうなだれ、「ぐわ」と素直に返事した。幼い鳥のキックがよほどこたえたらしい。


 ララはほっと息をついて、「そうだ」ともう一度車へ戻った。そうして出てきたときには、緑色の缶を手にしていた。


「あなたも反省しているでしょうから、お薬を塗ってあげます」


 と、巨鳥の首へよじ登る。ちょうど鳥が何度もキックしたところだ。案の定大きく腫れあがり、血が滲んでいた。凄まじい威力だったことがうかがえる。

 鳥の傷口は大きく広く、緑の缶ごときでは到底たりそうになかったが、気休めでも「赦した」という行動を見せてあげるべきだとおもった。今は反省していても、今後人間を逆恨みすることがあるかもしれない。それだけは防がなければ。


 屈強なモンスターであっても薬はひどく染みるようだ。巨鳥は「ぐえぇ」と情けない悲鳴を上げている。


「はい、できましたよ」


 缶のふたを閉じ、ララは巨鳥の首からおりた。薬の塗り口が本気で痛むようで、弱弱しい眼をしきりに閉じたりひらいたりしている。なんだか哀れだった。ついさきほどまで、この怪物のせいで死にかけていたというのに。


「これに懲りたら、二度としないでくださいね。お互いのために」


 そう言い置いて、ララはふと足もとに目を落とす。黒い毛玉がすぐそばにいた。唇をへの字に曲げて、巨鳥の方をじいいっと見つめている。いや、にらみつけるといった方が正しいだろうか。


「もう、だいじょうぶですよ。少なくとも今は反省してくれています」


 あなたのおかげですよ。


 ララの言葉に安堵したのか、鳥は「ケッケッケッ……」と何事か巨鳥に説き、気が済んだというようにくるりと背を向けた。ララはといえば、車に戻りかけたところではたと足を止める。


「あー……」


 川辺にひっくり返った桶。ランドリーバスケット。流れていった四日分の洗濯物……惨事を思い出し、げんなりと振り返る。

 もはや、川辺は土や岩がごっそりと吹き飛ばされ、えぐり取られ、ひどい有様になっていた。その端っこに被害をまぬがれた桶がぽつんと転がっている。中身はもちろん、ない。ひとつもない。


 ふつふつと、ふたたび巨鳥に詰め寄りたい気持ちが湧くが、ぐっとこらえた。モンスターに人間の洗濯事情などわかるはずもない。説いたところで理解は得られないだろう。……ララはとぼとぼと歩み寄り、桶を拾い上げた。とても頑丈だ。半年前に立ち寄った山道の集落で売られていた、手作りのものだった。もしまた行くことがあれば、この頑丈さを褒めたたえたいと思った。

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