第11話 旅は道づれ、要は情け

 穏やかなまどろみのなか、ゆるりと寝返りを打とうとして、できないことに気がつく。体が滑らかな布にすっぽりとおさまっているのだ。そう、昨日の夜はベッドを鳥にあげて、自分はハンモックに寝たのだった――そこまで思い出して、ララはぱちりと瞼を開ける。


 体はあおむけになっていた。後頭部と手足にあたる布地の感触はこれ以上ないほど柔らかで、最高の肌触りだ。それもそのはず、このハンモックには最高級の綿花、クシュニカが使われている。お金を貯めに貯めて買った自慢の高級品だ。良い昼寝スポットを見つけては、車を停めて寝転がるのが至高の時間だった。


 ララはもう一度まぶたを閉じ、毛布を首元までひっぱり上げた。もう少しまどろんでもいいだろう……とぬくぬく顔で腕を動かしたとき、ふと、腕のなかにとろけるように柔らかなものを感じた。

 素晴らしくいい肌触りだが毛布とはちがう。この感触には覚えがある。昨日、散々手のひらで受け止め、抱き上げ、風呂で濡れた羽毛を拭いてやった……


 今度こそはっきりと意識が醒めた。はっと毛布のなかを覗く。腕のなかにすっぽりと収まる黒い毛玉があるではないか。


「きゃっ」


 小さく声をあげると、毛玉はもぞもぞと動き出し、やがてずぽっと頭部が出現した。黒い羽毛の下から白い顎が覗く。


「ケ?」


 寝ぼけたような声だ。


「どうして……昨日、確かにベッドに寝かせたのに……」


 鳥は怪我をしているのだ、柵のついたベッドなら寝返りを打っても安全だろうと寝かせてやったのに、鳥はなぜかここにいる。どこをどうやってよじ登り、ララの腕のなかに侵入したのだろう。

 呆れ顔で鳥を持ち上げる。毛布の中から引っ張り出されて、鳥はようやくはっきりと目覚めたようだ。


「ケケッ」

「おはようございます。……もう、ベッドでおとなしくしていなくちゃだめじゃないですか」


 鳥を持ち上げたまま言い聞かせるが、首をかしげてきょとんとするばかり。そのうち、ぐうぅと腹から盛大な音が響いた。ララではない。


「お腹、空いたんですね」


 鳥を抱いたままハンモックを降りる。仕方がない。二度寝はなしだ。鳥をソファに座らせ、自分はリボンで髪をひとつにまとめた。


「顔を洗ったら、すぐに用意しますから、おとなしく待っていてください」


 と言い置いて、シンクに向かう。正面に取り付けた小さな戸棚を開けると、食器洗い用の石鹸や歯みがき用の薬草の瓶が並ぶなかに、洗顔用石鹸が置かれている。それを手に取り泡立てれば、エメラルドローズの爽やかな甘い香りが広がった。これで顔を洗うのは毎朝の贅沢で、楽しみの一つだ。


 ふと、石鹸の隣にもう一つ、口の開封された石鹸の包みが目に留まった。――マリーに貸した分だ。あなたのですよ、と差し出すと、あどけない顔に心底嬉しそうな笑みが広がったのを思いだす。


 今頃、あの子はどうしているだろう。生まれたばかりの弟と仲良くやれているだろうか。優しい父と母……彼女を連れて帰った時、蒼白な顔で駆けつけたふたりの様子がぼんやりと思い起こされる。その光景が脳裏から徐々に薄れていき、やがて開けた戸棚の内側の鏡に焦点が合い……気づけばそこに、寂しげな笑みを浮かべた少女がいた。反射的に瞬きして、にっこり笑みを作る。


 古いタオルをランドリーバスケットへ放り込んで、新しいタオルを棚から出す。顔を拭き、タオルはタオルかけに。洗濯物は四日分たまっている。そろそろ、洗わなければならない。


 朝ごはん、朝ごはん……寝巻のまま、ぱたぱたとキッチンへ向かい、食糧庫を開ける。自分用に野菜やハムを用意して、昨日かごに入れていた木の実たちも取り出す。

 ララは試しに、木の実をそのまま皿にあけて鳥のところへ持って行った。


「食べますか?」


 食べられるか、食べたくないのか――昨日の疑問がついに明かされるのだ。鳥がのそりと顔を向ける。固唾を呑んで見守っていると、鳥はすんすんと匂いを嗅ぎ、それからちらっとララの後方を見やった。


「ケッケッ」


 翼の先で後ろを示す。おい、あっちのはなんだ、と言いたげな仕草に、ララは思わず「ええと、今からホットサンドを作ろうかと……」と説明しかけると、鳥は「ケケッケケッ」と鋭く鳴いた。


「やっぱり、あっちがいいんですか?」

「ケケッ」

「普段、ああいうのを食べていたわけではないんですね?」

「……ケッ……」


 なんとなく声が濁る。


「食べられないわけではないけれど、木の実でなくお料理がいい、ということですね?」


 口元が緩みかけるのをこらえきれずに問いかけると、鳥はやけくそになって翼をゆらした。


「ケーッ!ケケッ!」

「わかりました。ちょっと聞いてみただけですよ。ちゃんと同じのを用意しますから」


 昨晩のシチューといい、もう確定的だ。この鳥は人間の食事を好んで食べる。肉も根菜もパンも消化できるなんて、いったいどんな胃袋をしているんだろう。――いや、モンスターなら可能だ。ただの鳥なら毒であっても、モンスターは強靭な消化液を持つ個体が多い。この鳥もその一例かもしれない。


 二枚のパンにスクランブルエッグとチーズを挟む。それをホットプレスに挟み込んで熱して、ホットサンドの完成だ。付け合わせに葉物と野草のサラダも添えておく。ララは余分に用意した朝食をかごに入れると、扉を開けて車の外へ出ていった。


「わあ」


 緑の広がる森の空地。その一面に薄く霧が広がっていた。昨日ほどの濃い霧ではないが、緑の山々にぼんやりと溶け込み、より神秘的な光景に仕上がっている。しばらく息を呑んでその景色を眺めていたが、はっと気がついて、籠を手にしたままぺこりと頭を下げた。


「妖精さん、おはようございます」


 霧がわずかにうねる。ララは籠を目の前の地面に置いた。


「朝ごはん、よかったら食べてください。ホットサンド、おいしいですよ」


 その声は、果たして彼らに届いているだろうか。白い霧のうねりはますます大きくなり、ララはもう少しだけその場にたたずんで、それから車内に戻った。


「ケッケッ」


 テーブルの上で鳥が翼を揺らす。


「……あ、待っていてくださったんですか」


 もしかしたら鳥は我慢できずに先に食べ散らかしているかもしれないな、と思っていたのだが、皿には朝食がきちんと盛られたままで、鳥もおとなしく鎮座していた。


「お待たせしちゃいましたね」ララはソファに座り、鳥に向かってにっこり笑いかけた。「いただきましょうか――」


 言い終わるか終わらないかのうちに、鳥は猛烈な勢いで皿につっぷし、パンの端にかぶりつく。


「ちょっと、もう」


 慌ててパンを抑えてやる。鳥は小さな口でパンをかじり、中の具材を口につめこみ、もぐもぐと咀嚼する。その一連の動作のめまぐるしいこと。


「ケッケケーッ」


 快活でご満悦な声があがる。パンにむしゃぶりつくさまは、「うまいうまい」と聞こえてくるようだった。


「よかった。こちらも、気に入ってもらえたみたいですね」


ひとまず安心したものの、やはり真っ黒な毛玉が人間の食事にがっつく様には違和感があった。しかも、人間の顔を持つ毛玉鳥……


「きいてもいいですか」


 口のまわりをパン屑まみれにした鳥の方へ、ララはわずかに身を乗り出す。


「あなたはどこから来て、今までどこにいたんです? あの冒険者たちに追われていましたよね。冒険者たちは、誰かに依頼されたそうです。そこから考えられるのは二つ……野にいたあなたを見た誰かがあなたを欲しがって、冒険者に捕獲を依頼した。もしくは、あなたは元々どこかに捕らえられていて、脱走したから追われている」


 後者を口にしたとき、もぐもぐと咀嚼していた鳥の口がぴたりと止まった。そのあからさまな変化を、ララはもちろん見逃さない。


「捕まっていたんですか?」


 鳥は露骨に顔をそらす。


「そして、脱走したんですね?」


 だらだらと冷や汗が伝うのが見えるようだった。鳥は顔をそらしたまま、うんともすんとも答えない。それがかえって正解を言い表しているようなものだった。


「いったい、誰なんです? あなたを捕まえたのは。いや、そもそもあなたはどこから来たんですか。モンスターだとしたら、……いや、それももはやわかりません。モンスターの群れは冒険者たちの協力もあって、今やそのほとんどが明かされ、データとしてギルドに保管され、世界中で共有されているんです。人の顔を持つ鳥獣種なんてその中にはありません。少なくとも、二年前までは……」


 ――二年前、自分が冒険者ギルドの関係者であったときまでは。


「ケケケッケケーーーーッ」

「うるさいうるさーい、ですか? でも、わたしだって知らなくては……あなたをこうして拾って保護している以上、知る義務があるはずですっ」


 拒むような甲高い声が車内に響き渡るが、ララも負けじと声を張り上げる。


「何も知らなくては、今後あなたを守れません! あなたの敵がどこにいて、わたしは最終的にあなたをどこへ逃がしてあげればいいのか、それがわからなければ永遠に逃避行を続けることになるんですよ」 


 ギルドの依頼の対象を連れて逃げ回るなんて、それは依頼主も依頼されたギルドも敵に回すことになるのだ。たださえリスクが大きいのに、それがいつまで続くかわからない。


「あなたの故郷がはっきりすれば、あなたをそこへ返してあげられます。幸い、わたしの家はこうして動きますし、どこへでも行けるんですから」


 さらに身を乗り出して、パン屑まみれの鳥へ顔を近づける。


「あなたはまだ小さい……きっと、親がいたはずでしょう。親がいなくても、群れが形成されていればコミュニティで守られていたはずです。それなのに、あなたは捕らえられた……つまり、誰かがそこに乗り込んであなたを捕まえたんです。誰も見たことのない新種のモンスターとあれば、希少種コレクターたちは喉から手が出るほど欲しいはずですし、お金をいくら積み上げてでも買おうとするはずです。あなたはきっと、そのために……ああでも、これらはただの憶測にすぎませんけど……」


 だが、考えうる限りでは一番可能性の高い話だ。

 鳥はうつむき、口元も顎も羽毛で完全に覆ってしまっている。


「……ごめんなさい。質問が急すぎました。あの、勘違いしないでくださいね。わたし、早くあなたを手放したいとか、そんなことは考えてないんですよ」


 むしろ、作った食事をおいしそうに食べる鳥の姿に、例えようもなく胸の内があたたかくなる心地さえするくらいだった。


「ただ、保護しているからにはわたしにだって責任がありますし、あなただって、いつまた危険にさらされるかわからない生活を続けるのは、つらいでしょう?」


 モンスターの寿命は人間よりはるかに長い。このまま一生逃避行を続けたとして、ララが死んだあと、鳥はどうなるのだろう。それほど長い間、野生を離れた鳥に、果たして自力で生きてコミュニティを探すことなどできるだろうか。

 考えれば考えるほど、はやく返してやらなければと思う。それが鳥のためにできる最大の助力だと。


「まあ、がむしゃらになったって仕方ありません。まずはあなたの怪我を治すことが最優先です。それから、あなたを返す具体的な方法を考えます」


 嗅覚、聴覚――この鳥がすぐれた五感を持っているならそれを頼る方法もあるし、鳥獣種は帰巣本能も優秀なので、鳥の思うままに車を走らせればたどりつくかもしれない。

 そう、方法がまったくないわけではないのだ。八方ふさがりでも四面楚歌でもない。


「ともかく、それで、いいですね?」


 鳥は脚を投げだし、うつむいたまま、もぞりと頭をうごかした。承知してくれたのだろうか。

 ララはようやく一息つくと、食べかけていたパンをかじった。パンはとっくに冷めていた。

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