第9話 宿泊先にはチップをはずめ

 自分のお腹までバーを下ろし、レバーを引く。ドゥルルルルルル、と凄まじい爆音とともにエンジンがかかり、ララはハンドルを握りしめた。


 はじめて魔動車を見たときは、なんて画期的な乗り物なんだろうと心が躍った。今ではまさに、自分の一部になっている。乗り心地の悪さと後ろの部屋の快適さのアンバランスな、世界で一つだけの乗り物。

 これを動かすときは、さあ旅を続けようと思い立つときだ。だが、今はちがう。


 あの黒い鳥をここから逃がすために。


 つま先をのばしてペダルを踏む。たちまち重心が後ろにひっぱられ、車が発進した。



 その様子を、陰からじっと見ていた者がいる。

 彼は木立の間から顔を覗かせ、少女が部屋から出てきて御者台に乗り込み、車を発進させるまでの一部始終を見ていた。


「なるほど、すごい魔動車だ……」

「おーい、ヘスス!」


 後ろから能天気な声がする。


「鳥は見つかったかあ?」


 ローマンが金棒をかついで手を振っている。ヘススは苦笑気味に首をふった。


「いや。そっちは?」

「ぜんぜんだな。羽根の痕跡ひとつ、ありゃしねえよ。こっちの方向は完全に失敗だ」

「そうか。僕の方もだ」

「となると、あとはベガだけかあ」


「なによ、あんたたちも見つかってないの?」


 顔を上げれば、森の左手方向から魔導士ベガが歩いてくる。頭や服の裾に枯葉や土の跡がついており、なにやらずいぶん汚れた様子だ。


「こっちはもう、散々だったのよ。得体のしれない爬虫類みたいのに追いかけられるし、モンスターもいたし……ほんっと、森ってロクなことないわ。王宮はとっとと全部更地にしてくれればいいのにっ」


「お、ベガ、頭になんかついてるぞ」ローマンがふいに指さした。「なんか黒っぽいのが……」


「えっ」


 ベガの顔色が一気に真っ青になり、だんだんと白く血の気が失せていく。


「なにかって、なに……」

「さあ、草むら歩いてんだし、虫じゃ――」

「ローマン!」


 ヘススが慌てて口をふさいだが、遅かった。


「えっ、む、むし、虫? 虫なの!?」


 虫、という単語にベガが食らいつく。血の気を失った頬に、白く染まった指先を強く食い込ませて。


「い、いや、いやあああああああっ!」


「落ち着くんだベガ! じっとして、僕が取るから、大丈夫だから」

「いやああああ、いやあああああああああ!」


 帽子を跳ね飛ばし、半狂乱で髪をかき乱す。


「どこ、どこなのおおおおおおおお!!」

「もう取れてるぞ、取れてるっつってんだろ! 落ち着けって、おいベガ!」


 暴れるベガの手のひらから、バチバチと光が爆ぜる。


「ちょ、待てって、こんなとこで魔力暴発させんじゃねえよ!」

「いやあああああ虫、いやああああああ!」

「だめだローマン、いったん離れよう」


 ヘススもローマンも、急いで茂みに身を伏せた。

 直後、ベガの周囲に閃光が降り注ぐ。

 それは小さいが、紛れもなく強烈ないかづちであった。周囲の草木を根こそぎふっとばし、容赦なく焼き尽くす。


「……ローマン、ベガの虫嫌いは君も重々わかっているはずだろう!」

「いや、まあ、そうだけどよ。教えてやんねえと、自分で気づいちまったら余計にパニくるだろ」

「そういうときは、今度から僕に言ってくれないか。さりげなく取るから」

「けっ。わーったよ。めんどくせえなあ」


 ぷすぷすと黒煙の上がる大地の真ん中で、ベガはひとり、息も絶え絶えに立ち尽くしていた。あれだけの雷を操ったのだ、魔力を消耗しつくしたのだろう。そのうち、焦げついた地面に膝をつき、糸が切れたように倒れてしまった。

「……」

 ふたりの男は盛大にため息をついて、ベガの体を引き上げた。


「とりあえず、捜索は打ち切りだな。仕切りなおすしかねえ」

「そうしよう。ギルドには僕が報告しておくから」

「頼んだぜ」


 ローマンがベガを背負って歩く。

 彼らに足となる乗りものなどない。馬車も馬もないので、歩くしかないのだ。


「あーあ、俺らにも魔動車がありゃあよお……」

「その場合、運転するのはベガになるけどね」

「なんでだよ」

「君も僕も、魔力なんかカケラもないからね」



 森の中を魔動車でびゅんびゅん突き進む。昼に近づくにつれ、頭上の木漏れ日が強く輝く一方で、なんだか周囲の霧が濃い。少し遠くへ目をこらしてもぼんやりと白く滲んでいて、景色が判別しがたいのだ。どうやら、森の奥まった方へ来てしまったらしい。


「おかしいですね、まっすぐ行けば抜けられるはずだったのですが……」


 ハンドル横にピン留めした地図に触れ、出発地点の湖から来た道を指でたどる。予定では、そろそろ森の出口が見えなければならないのだ。

 方向をまちがえてしまったのだろうか。


 そのとき、頭上高くから鋭く甲高い鳴き声が響き、黒い影が目にも止まらぬ速さで降下してきた。この驚くほど俊敏な動きは――


「あ、ごくろうさまです」


 ハヤブサ便である。彼らは南方、砂漠地方で発見された希少な種であり、今では計画的に繁殖させられ、厳しく訓練されて郵便のほとんどを担っているのだ。

 ララはハヤブサの足もとに結わえられた手紙を取り外し、敬意をこめて低頭した。


 ハヤブサが飛び立ってから、さっそく封書を開けた。外側も中身も薄青く、ララの所属する商業ギルドの印が押してある。なんてことはない、いつもの仕事の依頼だった。ララに作ってほしい魔導石の仕様が事細かに書かれている。そのとおりに作って提出すれば、後日、報酬が支払われるのだ。


「ふむふむ……ああ、また魔砲の……二週間で十個ですか……」


 できないことはないが、いつもぎりぎりだなあと思う。

 ララは胸元から、ほっそりとした銀の鎖を引っ張り出した。通常、ペンダントヘッドを取りつけるはずの金具があるが、何もついていない。ララはそこに意識を集中させた。しばらくすると、ポウ、と小さな淡い光がともる。無味乾燥で、優しい乳白色の光だ。


『貴殿の稀なる無属性の魔力で、再び魔砲の動力を担っていただきたい』――依頼文は、そう締めくくられている。


 魔砲とは、昔、人間が戦争を終わらせるために作った魔法兵器だ。人間、鳥人、獣人の三種族が争っていた戦争――単純な肉体の能力差で圧倒的に不利だった人間は、力の差を捻じ曲げるために、魔導石を組み込んだ兵器を開発した。

 戦争が終わった今でも、魔砲は冒険者や王国の騎士団の間で役に立っている。危険なので免許を持つ者にしか使用を許可されていないが、その凄まじい威力はモンスター狩りに重宝されているのだ。

 その爆発的な動力となるのが、無属性の魔導石であった。


 魔力の属性は人によって異なる上、持てる属性はひとつだけだ。火、水、雷、土、風、光、闇――たいていがこのうちのどれかに属するが、ごく稀に、どれにも当てはまらない者が存在する。ララもそのひとりだった。

 無属性の魔力は、属性の特色を持たない代わりに、爆発的なエネルギーを生み出すことができる。魔砲の威力は無属性の魔導石あってのものなのだ。


 ララは光りはじめたペンダントを胸元に戻し、運転を再開した。

 今日からまた、ここに魔力を溜め続ける仕事が始まる。こうしてハンドルを握る間も、食事をつくるときも、眠るときも、魂の魔力は吸われ続け、ここに蓄積されていく。苦ではないが、気力は奪われる。ゆっくり湯につかれるよう、はやく次の滞在場所を探さなければ。


 しかし、いくら車を走らせても、霧は一向に晴れなかった。それどころか周囲の景色はますます濃く白みはじめ、見えていた景色が覆い隠されていく。


「……」


 車を止めた。御者台のポケットをまさぐり、巾着を取り出す。たくさんの魔道具が入った中に手を突っ込み、さぐり当てたものを握りしめ、前方にぽいっと放り投げた。

 それは「光玉」といって、霧や暗闇を一時的に晴らす力を持っていた。投げられた玉は宙を飛び、光を放つ――かと思いきやそのまま霧の向こうに消えてしまった。一瞬、光が見えた気がしたのだが、まるで霧に呑み込まれるようにして姿を消したのだ。


「……」


 いよいよ、ララの眉間にしわが寄る。目をつむってしばらく考え込み、やがてふと思いついたように、ぱっと瞼を開いた。


 御者台から降り、後ろの部屋への扉を開ける。


 ソファの上では、なぜか鳥がぐったりしていた。


「だいじょうぶですか?」


 返事がない。目を回しているようだ。鳥も、車に酔うのだろうか?

 酔い止めが鳥獣に効くのか定かではないが、あとで起こして飲ませるとして、まずは目の前の霧をなんとかしなければならない。


 ララはキッチンに立ち、踏み台をのぼって戸棚から食材を下ろしていった。芋や人参などの根菜類に、干し肉。干し肉に下味をつけて酢と酒に漬けておき、野菜の下ごしらえを始める。皮をむき、いらない部分を取り、包丁で切り分けていく。


 下ごしらえがすむと鍋を取り出し、携帯コンロの上に置く。内蔵された火の魔導石で鍋を温め、食糧庫からバターを取り出す。これは常温でも溶けないよう強固に固められている特別製なので、溶けるまで時間がかかってしまうのだが、その間に肉はどんどん柔らかくなっていくので問題ない。

 溶けたバターの上に、切り分けた肉を投入する。焼き色がつくまで木べらで繰っていると、塩気のあるこうばしい香りが車内に充満した。


 ――そうだ、この香りも使えるかもしれない。


 ララはキッチン側の窓も開き、肉を炒める香りと煙を外へ惜しみなく放出した。


 霧が少しうごめいた、気がした。


 肉に根菜類を加えて炒めてから、水とワインを投入する。本来ならばもっとじっくり煮込みたいところだが、今は時間がない。手早く済ませるため、コンロの魔導石に少しだけ気を加える。

 火の質が変わった。強火ではないが、色がゆらゆらと変化している。中の具材を効率よく加熱しながらも、焦がさない。そうして十五分ほど経過してから、ララは鍋の蓋を開いた。もわ、と湯気が鼻腔に絡み、煮込まれた具材の豊かな香りが立ち込める。

 いい感じに煮詰まっている。ララはソース缶の中身をあけた。なじませるように混ぜてから味見をする。おいしい。が、少し物足りない。戸棚からスパイスを取り出して少しずつ手を加えていく。……


 ようやく完成したのは、柔らかな肉と根菜の出汁がきいた特製ビーフシチューだった。


 ララは保管してあった小瓶をいくつか用意して、鍋の中身を移していった。町で調味料や食料を買った余りの瓶だ。何かに使えるかもしれないと取ってあったが、まさかこんなところで役に立つとは。

 籠に瓶を詰め、外へ出ていった。目と鼻の先にまで霧が迫っている。まるで真白の壁だ。そこへ向かって、ララは両手で籠を突き出した。


「どうぞ、みなさんで分けてください」


 一秒、二秒……籠を差し出したまま、ララは動かない。目の前の霧は、風もないのにゆらめいている。そして少しずつではあるが、霧のむこうに、ぽつぽつと色とりどりの光が灯りはじめた。

 黄、緑、淡い青……光は徐々にこちらへ近づいてくる。おそるおそる、迷うような軌跡を描いて。根気強く待っていると、やがて霧をやぶって光が顔を覗かせた。


 光の正体は手のひらほどの大きさの、人型をした生き物だった。一見すると幼児の遊ぶおもちゃの人形にも見まごうが、きらきら瞬く翅をもち、美しい髪と豊かな体つきをしている。彼女たちはララを見ると瞬きし、差し出された瓶を見つめた。瓶の周囲を旋回しながら、じっくりと眺めまわす。目を閉じて香りを味わい、満足したのか、彼女らはララに向かってうなずいた。


 そうか、やはりこれでよかったのだ。


 ララは籠を地面に置く。霧がもうもうと立ち上り、さらに濃く厚くララの周囲を覆った。もう背後の車さえ見えない……しかしそれは一瞬だった。やがて霧の壁はすうっと薄れていく。瞬きの間に、残されたのはララの車と、草花の生え広がる緑の広場、そして、眼前に伸びる美しい川であった。


「この川は……」


 ララは御者台の地図を確認する。やはり、方向はまちがっていなかった。地図上に確かに存在する川だ。しかし、周囲に見える地形は地図のどこにも見当たらない。花と川に囲まれた森の広場など。

 地図が古いのだろうか? ――いや、おそらくちがう。

 ここは、妖精の棲みかなのだ。普通なら人間が足を踏み入れるはずのない空間。


 ララも実際に見るのはこれが初めてだった。所説あるが、妖精という存在は実在していて、人の棲まないあらゆる場所に「居る」のだと言われていた。旅をしていると偶然出くわし、気まぐれに惑わされたり、怒りを買えば追い出され、気に入られれば恩恵を受けることもあるのだという。


 ララも、一歩間違えれば惑わされたまま、永遠に霧のなかに閉じ込められるところだったかもしれない。昔、学校の図書館で読んだ本を咄嗟に思い出したことで、窮地を脱したのだ。


『妖精たちは、人とのかかわりを持たない。しかし人は旅をし、開拓する生き物だ。生きるために妖精たちの棲家へ侵出してしまう。妖精たちへの心遣いを常に持ち合わせていなければならない』


 文献を目にしたときは半信半疑であったが――妖精はほんとうにいたのだ!


「ありがとうございます、みなさん。ここへ入れてくださって」


 その場に立ったまま、どこへともなく声をあげた。胸に手を当て、真剣に語りかける。


「あの、実は、わたしの車に怪我をした鳥が乗っているんです。次の宿泊地まで、と運転してきましたが、これ以上旅を続けると怪我を悪化させてしまうかもしれません。どうかしばらく、ここへ泊めてもらえませんか」


 霧の晴れた森の空地は、静謐そのものだった。葉を揺らす風も、遠く小鳥のさえずりも、獣の息づく気配さえもが静かで、囁くようだった。目の前を流れる川のせせらぎが、いやに騒がしく聞こえてくる。さきほどまで濃密な妖精の霧に包まれていたのが嘘のように。

 それでもララは、何もない空間へ向かってぺこりと頭をさげた。


「滞在するあいだ、お食事をお裾分けさせていただきます。どうか、お願いします」


 そのままの姿勢でしばし待つ。すると前方か、頭上か、後方か……風にのって、微かに鈴の鳴るような音がした。車に鈴など取りつけていない。咄嗟に鈴だと思ったが、よく聴けばさざめく声のようにも聞こえる。これはきっと、もしかして……


 相変わらず、森は静まりかえっている。だが、周囲の空気はなんとなく柔らかく、あたたかい。そんな感じがした。

 ララは確かめるように頭を上げた。心地よい風が頬を撫でる。ララはもう一度ぺこりと頭を下げると、車のなかに戻っていった。

 

 鳥は、起きているだろうか。今日からきちんと療養させなければ。

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