第8話 モンスター……?

 ローマンたちがやってくる少し前。


 ララは三日前からこの地に滞在していて、今朝、水汲みを終えたらここを発つつもりつもりだった。炊事場の水は魔導石で生み出しているが、石は消耗品で、買い替えとなるとそれなりの値段がついてしまう。目の前に綺麗な水があるときは利用するべき――自分で決めた車中泊の掟のひとつだ。

 そうして桶を手に外へ出たララは、ふと視界の端で、何かが猛烈な速さで近づいてくるのに気がついた。はっと振り向き身構える。それは黒く小さくまんまるで、こちらへ向かって転がるように走ってくる。


 避けるべきか、受け止めるべきか――迷ううちにそれはあっという間にやってきて、ララの足にぼよん! とぶつかり跳ね飛んだ。


「あっ……!」


 慌てて両手を広げる。頭上にまで跳ねたそれは、ばさりと小さな翼を広げた。だが、左右で向きがばらばらだ。右の翼が不格好に折れ曲がっている。


「鳥……?」


 ララは鳥のようなものの下で両手を構え、慎重に受け止めた。ぼふん、と着地したそれは意外に重量があり、ララは少しよろめく。


「よかった……無事ですか?」


 それはララの方へ頭部を向け(羽毛で埋もれて眼も嘴も見えなかったが、たぶん頭だ)、おびえたようにもがきだした。ばたばたと暴れる脚も片方が傷ついており、痛々しく腫れあがっている。


「こ、こら、暴れたらだめですよ!」ララは夢中になって鳥を抱きかかえる。「羽根も、脚も、怪我してるじゃないですか! 痛いでしょう? すぐ応急手当しますから、動かないでください」


 ララの言葉が通じたのだろうか、それはしゅんとおとなしくなった。ほっと息をついたのもつかの間、それはふと首を巡らし、すん、と鼻をきかせるような仕草をとったとたん、また激しく暴れだした。


「もう、なんですか! ちょっと、あっ」


 黒い毛玉はララの腕をすぽんと抜け出し、あっという間に車の下へ転がり込んでしまう。


「いったいどうし――」

「おらおらおらあ!」


 突如、粗暴な男の声が森の静寂を打ち破く。荒々しい気配は怒涛の如く駆けてきて、ララの目の前に立ちふさがった。


 冒険者ローマンたちは、どうやらあの不思議な鳥を追っているらしい。ララは彼らの言葉からそれを察し、鳥の傷ついた体を思い起こした。

 あの子はなぜ、あんなに傷を負っていたのだろう。


「記憶になくて……」


 なんとなく不穏な予感がしたので、ララはそうはぐらかした。

 素直に信じた彼らは、鳥を探して思い思いの方向へ散らばっていく。


 残されたのは、手のなかのロザリオ。重みと輝きから、純銀製だろうことがうかがえる。質のいい品だ。彼らのなかの一人は、少なくともひとり旅するララの安否を気遣ってくれていた。なんだかもう、よくわからない。


 今はとにかく、目の前の生き物の怪我をなんとかしなくては。


「おいで」


 ララは車輪から一歩離れたところでしゃがみこみ、両手を差し出した。


「あのひとたちは、もういませんよ。一時間後にもう一度ここに集まるそうですけど……」


 そう告げると、黒い鳥はそろそろと陰から出てきて、ぎこちなく近づいてきた。あれほど猛スピードで突っ込んできたのが嘘みたいに、よろよろと痛々しく脚をひきずっている。さっきは相当な無茶をしていたのだろう。


「まずは応急手当をしましょうね」


 と、優しく腕に抱きかかえる。ふわふわととろけそうな羽毛の肌触りと、ほのかに感じる温もりに、ララは静かに息を呑んだ。

 これは紛れもなく、ひとつの命なのだと、なぜか今になって再認する。


 車のソファにタオルや綿を敷き、ひとまずそこに座らせる。鳥はおとなしくじっとしているが、薬を用意するララの動きを追って首を動かしている。ララはソファのそばの引き出しから包帯と緑色の缶を取り出し、テーブルに並べた。


「まずは脚からいきましょう」


 と、缶のふたを開ける。ふんわりと甘い、花独特の香りが鼻をかすめた。ララにはその程度に香ったのだが、鳥の方は露骨に体をそらそうとして、危うくソファからずり落ちかけた。


「嫌でした?」


 慌てて缶を遠ざけてやる。そこで、鳥は初めて「ケケッ」と呻いた。鳴き声だろうか。あの神官が言ったとおり、奇妙な声だ。


「うーん……探せば、あなたのような生き物にも合う薬があるかもしれませんが、今は持ち合わせていないので……ごめんなさい、がまんですよ」


 と、缶の中身を指先ですくい取る。薄い黄色に色づいたクリームだ。こっくりと濃い。それを手のひらで温めてやわらかくし、鳥の足に近づけた。


「ケケッケケーッ」


 たちまちばさばさと翼で抵抗されたので、ララはむっと唇をとがらせた。


「もう、怪我してるんですから、うごかさないで!」

「ケ……」


 声は小さくなる。しゅんとした様子の鳥に、今だと指先を近づける。真っ赤に晴れ上がった脚にそっと塗りつけた。そしてすかさず包帯を取り出し、素早く巻いていく。


「この包帯には、お薬の成分がしみこませてあるんですからね。とっちゃだめですよ」


 と念入りに言い聞かせる、次は翼だ。


 翼は難しい。飛ばずとも、動くときは翼の付け根の筋肉を使ってバランスを取るからだ。包帯で完全に固定してしまうのが手っ取り早いかもしれないが、鳥は苦しいだろう。下手するとストレスで症状を悪化させてしまいかねない。


「うーん……」


 とりあえず翼の折れた部分に薬を塗りつけたまではいいが、どう処置すればいいか判断に迷う。

 ララはそばの棚をのぞきこみ、本を漁った。取り出したのは、『鳥獣図鑑』と刻印された書籍だ。そこにはカラーイラストで主な鳥や獣の姿、名称、特徴などが書かれていて、病気や怪我の処置についても簡単に記載されている。

 目当ての鳥の姿は見当たらないが、普通の鳥の翼の処置ならあった。


「完全に折れていない場合は、手術はせず……テーピングと消炎剤……ふむふむ」


 ララは本をテーブルに置き、「ごめんね」と断って鳥の翼へ手を伸ばした。すぐさま「ケケッ」と抵抗の意思を示されたが、「傷をみせてもらうだけなんです」とお願いすると、鳥は再びおとなしくなった。


「ええと……」

 翼を慎重に、極力やさしい力でつまむ。そして撫でるようにうごかした。

「折れてる場合は、力が入らないから……」


 ぴくり、翼が動く。根元だけでなく、翼全体が動いた。完全に折れてはいないようだ。


「手術は必要なさそうですね。では、折れた部分だけテープで固定しますね。そのあとは、飲み薬ですよ」


 人間の場合しか知らないが、ララ自身、負傷を治してもらうときは、「次はここをこうしますね」と説明されると安心したものだ。だから鳥にも落ち着いてもらおうと、ララはいちいち声掛けを続けていた。


「もしも痛かったり、苦しかったりしたら教えてくださいね」


 と、テープを巻いていく。鳥は、意外にも黙ったまま、おとなしく座っていた。だが、顔(と思われる部分)はじっとララの方に向けられている。

 きょとんとしている、ようにも見える。


「よし。だいじょうぶだと思いますよ」


 ララが手を放してやると、鳥はおそるおそる翼を動かした。根元は動くが、折れた個所はくっついたように動かない。痛がる様子はなさそうだ。


「本を参考にするなら……一週間ほどで治るみたいですね。とにかく安静にして、様子をみましょう。わたしがちゃんとお世話しますから、安心してくださいね」


 鳥の目線にしゃがみこもうとして、顔が埋もれて見えないのを思い出す。ほんとうに、脚と翼がなければただの毛玉にしか見えない。

 ララは引き出しの奥から消炎剤を取り出し、浅い小皿に適量垂らした。それを鳥の顔に近づける。


「これは、傷の炎症や悪化をおさえるお薬ですよ。苦くないですから、ぐっと飲んでください。ぐっと」


 と、皿をもって促す。鳥は首をかしげた。


「ケ……」

「えっと、ほんとうに、苦くないんですよ。あ、そうか、わたしにはわからないだけで、匂いがきつかったりするのかな……」


 ララは、どうにかして匂いを薄めようと引き出しを開けた。そのとき、鳥が動いた。わずかに首を動かし、前のめりの姿勢になる。


「あっだいじょうぶですか? お皿を――」


 急いで皿を顔まで持ち上げてやる。鳥は顔を近づけ、ぱかりと口を開いた。

 そう、のだ。


「えっ……」


 分厚い羽毛に隠れた頭部。眼や嘴があるはずの顔。

 だが、羽毛の下から覗き見えたのは、人間そっくりの小さな白い顎だったのだ。


 がたん、とソファが後ろへずれる。ララは無意識に後方へ下がり、身を固くしていた。


 ――モンスター!


 ヘススと名乗った神官は、モンスターではないと言った。

 それとも、彼らも知らなかったのだろうか。クエストには鳥としか書かれていなかっただけで、依頼主はモンスターを探させていたということなのだろうか。


 皿が遠ざけられ、鳥はきょとんと首をかしげた。口がぽかんとあいている。

 まるで赤子のように柔らかそうな顎だ。つるつると滑らかな肌に、小さな口がある。そこだけ見ると、人間の赤子が鳥の着ぐるみを被っているだけにさえ見える。


「ケケッケケッ」


 何をしているんだ、と言いたげに鳥がさわぐ。薬をよこすなら早くよこせ、と脚をばたつかせる。


 ララは険しい顔で身構えたまま、必死に頭をめぐらせていた。

 人間と鳥の異質同体キメラ……見た目は紛れもなくモンスターだ。

 だがモンスターだとして、負傷した幼子……もしかすると生まれたての赤子かもしれない。どんな力を持っているにせよ、今は弱りきっている状態だ。

 それに、冒険者たちに追われている……


「ケケッ……」


 鳥は不審に思ったのか、ララの方を見上げて力ない声をあげた。怖がっているのだ、と気づいたときには、鳥はソファからすべり落ち、ばたばたと車の出口の方へ転がっていく。


「あっ」


 反射的に、声を上げていた。


「ま、待って!」


 小皿が床に落ち、ぱりん、と割れた。だが構う暇などなかった。両手を伸ばし、鳥の向かう方へダイブする。完全に無意識の行動だった。頭のなかに渦巻いていた「モンスター」「危険」「どうする」というワードが、この時なぜか消し飛んでいた。

 指先が、黒い羽毛に触れる。


「待ってください!」


 床に伸びた両手のなかに、柔らかくてあたたかな感触がある。


「ごめんなさい、つい、取り乱してしまって」


 鳥は「ケケケケッ!」とけたたましい声をあげて暴れたが、包帯とテープで固定された脚や翼が思うように動かせない。それでもララの手から抜け出そうと必死にもがく。


「あなたのこと、手当するって言ったのに、放棄しようとして、ごめんなさい!」


 床に体を突っ伏したまま、顔だけは鳥の方を向ける。鳥は、静かにこちらを振り返った。

 羽毛の下から、人間そっくりの顎が見える。親指の爪ほどの小さな口を、すねたように尖らせて。


「びっくりしてしまったんです。モンスターかもしれないって思って……でも、それでも、あなたは怪我をしていて……追われていて……だから……」


 自分でも何が言いたいのか、全然まとまらない。でも確かなのは、目の前の傷ついた鳥を、きちんと手当してやりたいという気持ちだった。


「お薬、もういちど用意しますから……のんでくださいませんか。そのあとで、もし出ていきたいのであれば、それでも……」


 鳥は尖らせていた唇を緩め、ララの方へ身体の向きを変えた。


「ケ」


 小さく声をあげる。了承の声だろうか。

 ララはようやく身を起こし、鳥を再びソファの上へ乗せた。床に散らばる小皿の破片を集めて破棄し、新しい小皿と薬を用意する。


「そうだ」


 人間そっくりの口元を見て、ふと思い立ち、ララはキッチンから木のスプーンを持ってきた。その先端に薬をのせ、鳥の方へ近づける。


「どうぞ」


 鳥は、スプーンの先に載せられた緑色のペースト状の塊をじっと眺め、すんすんと匂いを嗅いだ。ぺろりと舌を出す。――薬はあっというまに口の中へ収まってしまった。


「ね、……苦く、ないでしょう」


 そう訊ねると、鳥はこくりとうなずいた。


「よかった。傷口の炎症がおさまるまで、飲みながら様子をみましょうね」

「ケケッ」


 鳥の声は、どこか満足そうに聞こえる。


 小皿とスプーンを洗おうとシンクに立つと、後ろからばさばさと羽音がした。


「あ、だめですよ」


 鳥はソファから降りようと必死になっている。あとをついて来ようというのか。ララは慌てて鳥を抱き、タオルの上に座りなおさせた。


「わたし、どこへも行きません。ちょっと食器を洗うだけですから」


 鳥はちょんと首をかしげる。これまでの様子からして言葉は通じているはずだが、ちゃんと呑み込んでくれているのか不安になる。


 ――言葉が通じている? ほんとうに?

 はっとする。鳥もモンスターも、基本的に人語を解さない。特別な訓練を受けたハヤブサならいざしらず、この子はどう見ても幼い雛だ。そんなことがあり得るだろうか。


 そもそもどこで生まれて、どこで育ったのだろう。野生なのか、囚われていたのか。それすらもわからない。希少な生き物を追い求めるコレクターは少なくないので、あの冒険者たちがその類の者に雇われていても不思議はないのだが。


「……あなたは、どこからやってきたんですか?」


 しゃがみこみ、目線を合わせて訊ねる。目は相変わらず羽毛に覆われているが、きっと合っているという確信があった。


「どうして追われていたんでしょう……」


 このまま、この鳥の手当てを済ませたとして。

 冒険者ギルドに発注されたクエスト対象と知りながら匿い続けるというのは、決していいことではない。下手をすれば、依頼主やギルドを敵に回すことになる。

 だが、このまま引き渡していいものなのだろうか。


 鳥は、自分を見つめるロイヤルブルーの瞳から目をそらすように、ふいと顔をそむけた。ふっくらしたほっぺたが、なんだかほんのり赤らんで見える。


「もうすぐ、一時間になりますね」


 ララはちらりと壁時計を見上げる。縦長の四角い文字盤の針が、もうじき横長の目盛りに到達してしまう。


「あなたは、元の場所に帰りたいですか?」


 ララが尋ねると、鳥はぴくりと体を震わせた。「ケ……」と力なく呻き、ふるふると頭を振る。本気で何かにおびえているようだ。

 窓から差す陽に照らされて、神官ヘススにもらったロザリオがきらりと光る。


 彼らは、「悪者」ではなさそうだった。しかし、この鳥が負傷してまで逃げてきた理由がわからない以上、やすやすと引き渡す気にもなれない。


「ひとまず、ここから離れましょうか」


 ララは、鳥のからだをタオルでそっと包み込んだ。


「鳥籠は、ないんですけど……箱でベッドをつくりますから、そこでおとなしくしていてくれますか」


 鳥は、はたして理解してくれただろうか。

 車の振動で怪我をしないよう、タオルや綿を敷き詰めた空き箱に鳥を座らせ、荷物用のゴムベルトでソファに固定する。


「今から、このお部屋ごと車で移動しますから。ちょっと揺れますけど、我慢していてくださいね」


 鳥を安心させようと微笑んで、部屋を出ていった。あとに残された鳥は、箱のなかでちんまりと座ったまま、「ケッ?」と首を傾げている。

 

 しばらくして、けたたましい音とともに車が動き出し、鳥の体が前方にぐいとつんのめった。敷き詰められたタオルの中に、顔がぼふんと着地する。


「ケケッ⁉ ケケケケッ⁉」


 前へ、右へ左へ――車体はぐいんぐいん向きを変え、大きく傾き、鳥の体を揺さぶり続けた。


「ケケケケケーーーー――!!!!!」


 鳥の絶叫が車内に響き渡る。だが、外の御者台には届かなかった。

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