第5話 旅の涙は流し捨て
外が真っ暗になる前に、ふたりで周囲を少し探索した。草木が豊かで、きれいな小川が流れている。木々に囲まれているので森のなかかと思いきや、ララによれば川の周囲だから自然が豊かなだけで、すぐ外には草原が広がっているという。
「遠くに麦畑も見えましたよ。ここなら、子リスの食べ物もたくさんあります」
ということで、ふたりは子リスの食べられそうな木の実をさがしているのだ。
「あっキノコがある」
マリーが声をあげたので、ララは「どれですか」とやってくる。しかし一目見た途端、「あ、それダメです!」と取り上げて、ぽいっと放り投げてしまった。
「えっなんで――」
「あれは猛毒ですよ。最近の毒キノコは、いかにも毒もってますって見た目を捨てて、人畜無害そうな地味な姿に変わっているんです。騙されて死んだ人が年中たくさんいるんですから」
「そうなんだ……」
じわじわと顔が青ざめる。家ではたくさんキノコ料理が出ていたのに……
「まあ、まだまだ一部のキノコだけですから、気をつければだいじょうぶ。食べられる野草や木の実はいくつか確保しておきましたよ」
と、ララは手にした籠を持ち上げてみせた。さすがと言おうか、仕事がはやい。
「今夜のごはんは?」
「シチューにします」
「やったあ! シチューだって、シチュー!」
ポケットに向かって喜びを報告すると、子リスは「ピッ」と小さく鳴いた。
干し肉や野菜をじっくり煮込んで、ミルクやバター、ソースを加える。付け合わせには野草のサラダ。今夜はごちそうだ。
マリーはサラダづくりを手伝わせてもらった。洗って切って盛り付けるだけだけど、車の中の小さな台所で料理をするのは、なんだか楽しい。
「あっこらこら、だめだめ」
ポケットから飛び出そうとする子リスをたしなめる。
「つまみ食いしたら、お姉ちゃんの虫かごの刑だよ」
「む、虫かごの刑……」
閉じ込めるぞという意味合いだろうが、ちょっと人聞きが悪い。子リスもなんだかおとなしくなった。解せないララである。
シチューを食卓に並べ、その横に木の実を盛り付けた小皿を用意する。子リスはマリーのポケットからひゅっと飛び出して、小皿の前にちょんと立った。
「あはは、おなかすいてたのかな」
「でも、わたしたちを待っているみたいですね。ほら、手をつけずにじっとしていますよ」
「ほんとだ、えらいねえ」
よしよしと、指先で頭をなでてやる。子リスはくすぐったそうに身をよじった。
「じゃあ、いただきましょう」
「いただきまーす!」
シチューと木の実のごちそうは、例によってあっという間に胃袋へおさまってしまう。だけど、車のなかはいつまでもあたたかな匂いに包まれていた。バターの濃厚な香り。ミルクとソースのコクのある甘い香り。嗅ぐだけでもう一度幸せな気分になれる。
ふたりで床下をあけてホースを伸ばす。その場で服をぽいぽい脱いで、たっぷり溜めた湯に浸かって、ハッチの開いたガラス窓を見上げた。
ぷかぷかと、小さなコップが水面をたゆたっている。その中で、子リスが背中を丸めて目を細めていた。湯には浸かれないが、コップの底からじんわりと温まれているようだ。
「なんか、しあわせ」
無意識のうちに、マリーの口から言葉が漏れる。
「こんなにたのしいことがあるなんて、あたし知らなかった。村にいたときは、学校と、畑のてつだいだけで一日がすぎていって……」
ぶんぶん、と首を振る。思い出しかけた両親の顔の影を振り払う。
「家をでたときは、ちょっと心ぼそかったんだ……馬車からつまみだされたときは、もうどうしようかと……だから、お姉ちゃんがいてよかった。であえてよかった」
ちゃぷん。ゆらゆら。水面がゆれる。
「ありがとうね、お姉ちゃん」
「……いえ、わたしはなんにも」
「ううん。あたし、いろいろわかっちゃったんだ。たった二日だけだけど、はじめて旅をしてみて……あたし、ほんとになにも、わかってなかったんだって」
目の前をただよってきた子リスのコップをちょんと押す。子リスはとぷんとぷん揺られて遠ざかる。
「ぜんぶ、お姉ちゃんがいなかったら、なんにもならなかった。……ほんと、しあわせになりたくて家をでたのに、死にかけるなんて……ばかみたい」
ララはしばらく口を開かなかった。開いたハッチの夜空を見上げながら、ようやくつぶやく。
「わたしだって、こうして旅をして生活していますけど、常に危険と隣り合わせですよ」
車中泊は気楽にやっているが、楽しい事ばかりではない。毎日安全な寝場所を確保しなければならないし、確保しても、いちいちモンスター忌避剤を撒き、周囲の景色に擬態する「
食糧が尽きてしまわないようにきちんと管理し、生活の
すべては、生きるためだ。どこで、どんなかたちであれ。
「人が集まって暮らしている村も町も、地方騎士団や冒険者たちのおかげで守られているだけで、それでもモンスターたちに昼夜狙われていることには変わりないんです。だからわたしたちは、常にその危機を自覚して、覚悟しながら、その日々に感謝するんです」
ララの深い青の瞳が、マリーをまっすぐに捉える。
「そしたら、毎日がいとおしくなりますよ」
――毎日が、いとおしく。
マリーは続く言葉が出なかった。子リスのコップがぷかぷかと揺れながら戻ってくるのを、黙って見つめる。
「お姉ちゃん」
今度はララの指先がコップをつついた。「はい」
「お姉ちゃんは、きょうだいっている? 弟とか、妹とか」
「きょうだい、ですか」
ララは唇をきゅっと締め、しばらく考え込んだ。
「――血のつながりはありませんけど。いましたよ」
「いたんだ。何人? 歳はどれくらいはなれてる?」
「ざっと五十人ほど」
「へ……?」
「上も下もいましたよ。一番はなれていた子は、生後3か月」
「それって……」
「わたしは、国営の孤児院で育ちました。ぜんぜん覚えてませんけど、生まれたばかりのときに、おくるみもないまま木箱に入れられて、孤児院の門前に置かれていたらしいです」
思わぬ話の深刻さに、マリーは真っ白な顔で絶句している。
「犯人はまもなく捕まりましたよ。無名の冒険者がパーティの勇者との間で身ごもってしまって、それを隠して冒険を続けるために、赤子をひっそり産み落とし、孤児院の前に置き去りにしたそうです」
この国で赤子を捨てることは、いかなる理由であっても極刑にあたいする。
母親は無名の魔術士だった。当時十七歳。悪い勇者につかまった哀れな女性だと同情する世間の声もあったそうだが、問答無用で処されてしまった。
「その、あいての、勇者は……?」
「不問です。あくまでも、子を捨てる判断をしたのは母親だと。勇者はそもそも赤子の存在すら知らなかったそうです。だから、わたしとその人は無関係です」
「でも……っ!」
マリーは納得のいかない様子で唇をかみしめる。
「そんなのってない……」
「……ごめんなさい、暗い話をしてしまって。どうしてこんな話になったんでしたっけ? あ、そう、つまり、わたしは孤児院出身なので兄弟は五十人――」
「そういうことじゃなくて!」
ドプン、と湯がおおきく跳ねた。コップの子リスが「キィ」と鳴いて飛び起きる。
「そんな……そんなこと……そんなことがあったのに、お姉ちゃんは寮にいってお勉強して、お仕事もして、こんな車で旅して……」
車を運転するララは、見た目に反して荒っぽいが、楽しそうに笑っていた。自慢の車を紹介するときは心底得意げにドヤ顔して、感心されれば幼い子どものような笑顔で喜んでいた。あたたかなご飯がつくれて、モンスター相手に臆せず追い払える勇気もあって、なにより、こんな自分をひろってくれる、優しい女の子なのだ。
――ララこそ、本当の意味で「親に捨てられて」いるのに。
「あたし……あたし……」
ララの指先がすっとすっと伸びて、マリーの目もとをぬぐった。
「わたしのことで泣かないでください。もったいないですよ」
「でも……」
すると、いつの間にか眼下にコップがたゆたっていて、黒い影がしゅっと肩に飛び乗った。小さな、ごま粒のような鼻先をすんすんさせて、子リスはマリーをじっと見つめている。
「さ、そろそろ体を洗いましょうか。あんまり浸かってるとお肌がしおしおになっちゃいますし」
かぽん、と栓が抜かれる。あたたかな湯がみるみる吸い込まれていく。
「背中、洗ってあげますね」
そう言うララの表情は、いつにも増して、やさしかった。
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