第4話 いい旅、キャンプ気分

 ぴぴぴ、チルチルチル……小鳥のさえずりがきこえる。マリーは目を閉じたまま、ごそごそと寝返りを打った。


 打ったところで、はたと目覚める。すぐ目の前に天井があった。ふかふかとぶ厚いマットレスに、肌ざわりのいい毛布。そうだ、自分は昨日、車で旅する不思議な少女に出会ったのだ。ご飯をたべて、お風呂に入って、生活や仕事について聞いた。ハウスワーク、ギョウムイタク……それから……そのあとは、ロフトベッドをかしてもらったんだっけ。


 ララは確か、「ソファベッドで寝ます」と言っていた。このソファは繋げるとベッドになるのだと自信満々に説明された。


 マリーは体の向きをごそりと変え、ソファとテーブルのあった方を向いた。しかしソファはすでに元の形に整えられており、テーブルも戻っている。毛先近くで二つに結われた、薄いピンクの髪が見えた。ララはこちらに背を向けて、何やら作業をしているようだ。すぐ横の小窓が開けられているのか、髪がそよそよと風にゆられている。


「できました」


 彼女はひとりつぶやき、白い封筒を窓に向かって差し出した。


「これを、お願いします」


 バサバサと羽音が響く。何かが飛びたつ気配がした。ハヤブサ郵便だ、とマリーはすぐにわかった。

 ララはハヤブサの姿が空のかなたに消えゆくのを見届けると、うーんと伸びをして立ち上がった。ふうと息をつき、つと顔を上げる。


「あ」


 ばっちり、目が合ってしまった。マリーはえへへと笑う。


「おはよう……お姉ちゃん」

「おはようございます」


 朝早くにララと顔を合わせるのは、なんだか少し変な気分だ。


「ベッドの寝心地、どうでした?」

「すっごくきもちよかったよ。すぐ寝ちゃったもん」

「それはよかった」

「さっきは、おてがみ書いてたの?」

「そうですよ。お仕事です」


 ララはキッチン下に踏み台を置き、上の戸棚を開けた。


「さあ、顔を洗ってください。ご飯を食べたら、車を走らせますよ」

「はーい」


 蛇口をひねれば水が出る。当たり前のことなのだが、こんな小さな車でもできるということが、もう不思議で、おもしろくて仕方がなかった。マリーはパシャパシャと水を浴び、タオルで拭きながら訊ねる。


「朝ごはんはなあに?」

「ベーグルサンドです。ホットココアつき」

「たのしみ!」


 ララがキッチンに立ち、煙と湯気がほんのり立ち上る。いい匂いとともに、朝食の準備が整った。


「お姉ちゃんはどこで料理をならったの?」

「え」


 ララは指先についたソースをなめ、うーんと考え込む。


「習ったというか……必要にせまられたというか……」

「ひとりぐらし、してたの?」

「ほとんど寮生活ですけど」

「りょう? 学校にすむっていう、あれ?」

「はい。食事は各自でということだったので、自分でやるしかありませんでした」

「へえー……」


 寮生活なんて、想像がつかない。田舎には学校がなかった。マリーの村では「教室」なる家があり、子どもたちはみんなそこで勉強をしていた。王都帰りの若者や、隠居した老人たちが文字や計算を教えてくれたのだ。


「なんでなの? おうちから遠かったの?」

「……そんなところです」


 目を伏せて、ララは皿やカップをテーブルに並べた。なんとなく、この話は終わりだという空気が伝わったので、マリーは口をつぐむ。


 ――なんだろう。きいてはいけないことだったのかな。


 朝食が終わると、ララは「それでは、運転再開しましょうか」と立ち上がる。

 マリーもすぐさま動いた。「お皿、あらうよ!」と、シンクへ先回りする。


「いいんですか?」

「うん。あたし、旅のおともでしょ」


 ララの真似して、ドヤっと胸を張ってみせる。

 ララはふふっと笑って皿を寄越してくれた。


「じゃあ、お願いしますね」


 その後はふたりで部屋から出て、御者台に移った。シートに座って、バーを手前に引っ張り固定する。

 ララがレバーをぐいと引くと、ドゥルルルル! と凄まじい音を立てて車が大きく震えだした。ララ自身の魔導石を、ララが操っているのだ。


「今日はどこまでいくの?」

「次の目的地までの道のりで、行けるところまでですね」


 ――次の目的地までは、どのくらいかかるの?


 と訊ねたいのを、マリーはぐっと呑み込んだ。

 知りたいようで、知りたくない。旅のおともでいられるのは、次の目的地までだ。それがいつになるかなんて、マリーはまだ知りたくなかった。


「では、しっかりつかまっていてくださいね」


 言うや否や、つま先でペダルをぐっと踏み込む。ぐい、と体が後ろへひっぱられる感覚がして、車が発進した。


 そもそも、魔動車に乗るなんてこと自体が、ものすごい体験だった。それをひしひしとかみしめたいところだが、今のマリーにその余裕はなかった。ララのハンドルさばきに合わせて、右へ左へ好き勝手に揺さぶられる。前方からは風が常にビシビシ吹きつけ、景色は後ろへびゅんびゅん通りすぎていく。


 乗り心地はまるでハリケーンだ。ハリケーンに見舞われたことなんてないのに、そうとしか言えなかった。しかしこれが、はたして魔動車全般に言えることなのか、ララのハンドルさばきのせいなのか、マリーにはわからなかった。


「風が心地いいですね」


 のんきに呟くララの横顔を、マリーは信じられないような面持ちで振りあおぐ。


 ――今、そんな感想出る?


「昨日に続いていいお天気です。運転びよりですね!」


 ぱりっと晴れ渡った青空も、ぽかりと浮かぶ白い雲も、びゅんびゅん流れて尾を引いていく。ガコンガコン、と車輪が何かに乗り上げるたび、マリーは自分のお腹を押さえているバーに真っ青な顔でしがみついた。

 

 ――おとうさん、あれ、なに?

 ――あれは魔動車だ。車のひとつだね。

 ――くるま? お馬さんも、牛さんもいないのに?

 ――魔導石で動いているからね。

 ――すごいね。うちも買おうよ! すごくかっこいいよ! 村でだれももってないもん!

 ――ははは。……あれはすっごく高いんだ。お金持ちの人しか持てないよ。それに、そもそもお父さんじゃ運転できないしね。どうしても乗りたいなら、将来うんとお金を貯めて、魔法のお勉強をするか運転できる人を雇うしかないなあ。

 ――え~っ! 


 走馬灯のようなものが頭に流れ出し、マリーの目頭が熱を帯びる。


 どうして今、こんなことを思い出すんだろう。

 きっと恐怖のせいだ。そうにちがいない。憧れていた魔動車の実態がえげつない乗り心地だったなんて、村のみんなに教えたらきっとびっくりされるだろうな……


 ――ああ、だめだ。もう村には帰れないのに。お父さんもお母さんも、自分を捨てたのに。もうどこにも居場所はなかったはずなのに。


 突如、体がぐんと前につんのめり、車が停車した。バーにお腹がめり込み、「ぐえっ」とカエルのような声をあげてしまう。


「おねえ、ちゃん……?」

「少し休憩しましょう」


 風でぐしゃぐしゃに乱れた薄桃色の髪をなでつけながら、ララが言う。


「酔ったんですか? ちょっと顔色がわるいですよ」


 マリーは慌てて目のあたりをこすった。


「ううん……だいじょうぶだよ。ちょっとゆられすぎちゃっただけ、かな」

「まあ、いい時間ですし」


 ララがハンドルあたりにはめ込まれた文字盤を指し示す。


「お昼ごはんにしませんか」

「やったあ!」


 車が停められたのは、周囲を木々に囲まれた林のなかだった。乗っている間は景色がめまぐるしく変わるせいで目が回っていたので、ようやく気分が落ち着いた。


「ここ、どこなの?」

「ふふ」


 ララは答えず、部屋の中へ入ってしまう。


「お昼ごはんはなあに?」


 マリーも後ろからついていく。ララはキッチン下の収納から折り畳みの小さな椅子と携帯コンロ、網を取り出した。


「さあ、これを外へ運んでください」

「外に?」

「たまには外で食べるのも、キャンプみたいで楽しいですよ」


 キャンプなんて、いつ以来だろう。

 マリーは言われたとおりに、椅子とコンロを並べる。コンロには三脚がついており、好きな高さに調節できるようになっていた。これも魔動なのだろうか。

 やがてララが盆を手に降りてくる。盆の上には、長い銀の櫛に刺さったソーセージと野菜がはみ出んばかりに載せられていた。


「うわあ! すごい」


 マリーが歓声をあげると、ララの眉が自信満々にきゅっと上がる。


「ふっふっふ」


 ララは皿を椅子に置くと、車体の上方へ向かって得意げに手を伸ばした。……が。


「ふっふ……あれ」


 ぷるぷるとつま先を伸ばしても目的のものに届かない。


 ララは気まずそうに手を下ろし、マリーに背を向けたまま部屋の中へひっこんだ。間もなく、長い棒を持って出てくる。車体の上部に取り付けられた筒のようなものに引っ掛け、ぐいと引っ張ると、薄いシート状の天井がするすると伸びていくではないか。


「すごいね、こんなこともできるんだ!」


 ララの小さな失態には触れないで、マリーは素直に感心する。

 ララも気を持ち直したのか、鼻歌を歌いながらコンロへ近づき、つまみをひねる。たちまちボッと火がついた。


「さあ、焼きますよ」


 網が温まったところで、串に刺さった具材を載せる。じゅううう、と食欲を刺激する音がして、マリーもララも思わずお腹をおさえる。


「いいにおい」


 なんとも言えないこうばしい匂いに、マリーは網の方へ鼻先を近づけた。


 その時、目の前にしゅんっと黒い影がよぎり、マリーはぎょっとのけぞった。


「わっ……」


 驚いた拍子に椅子がぐらりと傾く。


「マリー!」


 ララが手を伸ばしたが、伸ばしたその手に、黒い影がしゅっと飛び乗る。


「きゃっ……」


 マリーはかろうじて体勢を立て直し、ララの手の上を見た。――あっと声をあげそうになった。


 黒い影の正体は、一匹の小さなリスだったのだ。


 リスはララの手の上できょろきょろと辺りを見回し、今まさにこうばしい煙をあげている串焼きの方へ鼻をすんすんさせている。


「なるほど、匂いにつられてやってきたんですね」


 ララがリスの背をつまみ上げる。リスはキィキィと甲高い声をあげてじたばたもがいた。


「ほしいならちゃんと言わなきゃだめじゃないですか。急に乱入してきたら、わたしたちもびっくりするでしょう」

「お姉ちゃん、リスあいてに何おせっきょうしてるの」


 マリーが身を乗り出し、腕をさしのべた。


「あたしに触らせて」


 ララはリスの体をすみずみまで確認してから、そっとマリーの方へよこした。


「たぶん、モンスターではなくて普通のリスでしょう。毒爪もなさそうです」

「そういうのって、見たらわかるものなの?」

「車中泊の掟ですよ。ある程度は見分けられるようにならないと、命取りですからね」

「出た、シャチュウハクの掟!」

「いいですか、モンスターのなかには、よくいる小動物に似た外見をもっていて、人間を油断させて牙をむく、けしからんものたちがいるんですよ。かわいいからと油断せずに、特徴を見抜いてですね……」


「うふふ! こらくすぐったい!」


 ララの蘊蓄うんちくなど聞いちゃいない。マリーはリスに自分の腕や肩を走らせ、じゃれあっている。


「ねえお姉ちゃん、お昼ごはん、わけてあげようよ」

「リスはソーセージなんて食べられないと思いますけど……」

「焼きやさいなら、だいじょうぶじゃないかな? ねっねっ」


 あまりにも楽しそうにはしゃいでいるので、ララも「仕方ないですね」と焼き串を手に取った。携帯ツール箱からはさみを取り出して、パプリカやナスを小さく切ってやる。


「あげてみてください」


 ララに手渡された皿を受け取り、マリーは膝の上に置いた。


「さあ、おいで!」


 リスは猛スピードで肩を駆け下り、膝の上で急停止した。その動きはすばしっこく、黒い影しか見えない。細かく刻まれた野菜くずをすんすんと嗅ぎ、小さな手で掴んでかじりつく。

 ぴいぴい、嬉しそうな声をあげる。みるみる間に野菜は消えていき、すべてリスの腹の中におさまってしまった。


「うそ、もう食べちゃった」

「大きさ的に、たぶん子リスですね。きっと今がいちばん食欲旺盛ですよ」

「そうなんだ」


 マリーははさみを手に取り、自分の串の野菜も刻んでやる。


「たくさん食べてね」


 まるで母親のようにかいがいしく、マリーは世話を焼いている。


「あの、あんまり懐かせすぎたらだめですよ、ついてきちゃいますから」


 ララが心配してそう言ったが、はたして、昼休憩が終わってからも、子リスはマリーの肩から離れようとしなかった。


「こらこら、あなたもお家があるでしょう」


 そうたしなめるララから、ぷいと顔をそむける。


「おうち、かえらないの?」


 マリーが問うと、子リスは肩からひゅっひゅっと飛び降りて、あっという間にスカートのポケットのなかにもぐりこんでしまった。


「あっちょっと……」


 ポケットの穴から、小さな目と鼻が覗く。ここが家だと言わんばかりに居座っている。


「もしかして」


 マリーはポケットの上から、子リスをそっと撫でてやった。


「おうち、ないのかな」

「……」


 ララは複雑な顔で空をあおぐ。


 無力な小動物たちにとって、モンスターの徘徊する地での生活は常に危険と隣り合わせだ。いや、紙一重と言えるかもしれない。獰猛な肉食獣であっても、モンスターの持つ硬い皮膚や毒牙、魔力による強力な異能には勝てないのだ。見つかったら最後、体のいい餌にされてしまう。


 大昔は人間のようにのんびり子育てをしていた哺乳類たちも、今ではとにかくたくさん産んで少しでも種を残そうとするようになったと、生物学者たちは言う。胎が大きく発達し、次々と身ごもり産み落とすのだと。


「お姉ちゃん、つれていこうよ」


 家がない、という境遇にマリーは深く同情しているようだ。


「いいでしょ?」

「……ええ、いいですよ」


 あっさりとララがうなずいたので、マリーは目をぱちくりさせる。


「いいの……?」

「きっとその子は籠も必要なさそうですし。その代わり、責任をもって飼うんですよ」


 具体的には、車のなかで暴れないよう見張ること、特に食糧棚を食い荒らしたり、寝床をひっかきまわしたりしないよう気をつけることだ。マリーはそのすべてを、「あたしがちゃんと見張る!」とはっきり請け合った。


「それなら、だいじょうぶです。旅のおともに加えましょう」


 普段入る籠は必要ないが、車を走らせるときは別だ。ポケットに入れたままでは振り落とされかねないので、ララは小さな丸い虫かごを取り出し、子リスを中に入れた。そしてハンドル横の時計に吊るして固定する。


「だいじょうぶかな、きもち悪くならないかな……」

「え、なんですか?」

「な、なんでもないよ」


 言いながら、心中では「あたしがしっかりしなくっちゃ」とつぶやいていた。子リスが目を回してしまわないよう、常に気をつけてあげなければ。


 車が発進し、ララのハンドルさばきが炸裂する。バーにしがみつき、前後左右にからだを振り回されながらも、マリーは子リスの籠に懸命に目をやっていた。だが、子リスは四肢でまっすぐ籠をつかみ、気持ちよさそうに目を細めている。激しくゆさぶられても平気そうだ。


 ――あれ、もしかして、この子、強い……?


 日が暮れるまで、車は林や森、川沿いをつきすすんでいった。ようやく止まった時には、マリーは使い古された布巾のようにくたびれていた。


「だいじょうぶですか? 酔い止め、いりますか」


 ララがのんきに薬瓶を差し出してくる。マリーは力なく首を振った。


「だいじょうぶ……」

「無理しないでくださいね。魔動車は乗り心地が安定しないのが難点ですから」


 安定しないどころじゃないよ、とつっこむ気力も失せていた。子リスはあれだけ激しく揺られたにもかかわらず、籠の中ですやすや眠っている。強靭な精神メンタルの持ち主だ。ここまでくると、自分だけがおかしいのだろうかという気にすらなる。

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