第3話 旅の終わりはいい湯から
ホットサンドもスープも、あっという間にお腹におさまってしまった。マリーがお腹をさすっていると、ララはふと窓の外に目をやる。マリーもつられて外を見やった。
「日、暮れちゃったね」
マリーの言葉に、ララもうなずく。
「そろそろ、お風呂にしましょうか」
「おふろ?」
マリーは改めて車内を見回した。
この車は非常にコンパクトながら、キッチンやベッドといった生活に必要な設備がうまいこと整えられている。だが、浴槽などの入浴スペースがあるようには見えなかった。
「もしかして、外の川で、とか……」
「ふふ。まさか」
含み笑いをもらしてララが立ち上がる。
「きれいな泉や温泉があるときは、それもいいですけど。お風呂はちゃんとありますよ」
半信半疑なマリーを立ち上がらせて、「ちょっとその辺にいてください」と言い置く。そして今まで使っていたテーブルを脇の棚下に滑らせるようにして収納し、ソファもずらして広い空間をつくった。
テーブルがなくなって初めて、床に小さなでっぱりがあるのにマリーは気がついた。そこにララが手をかけ、ひょいと持ち上げる。床板は簡単に開いた。その下に、つるりとした真四角の浴槽が姿を現した。
「そ、そんなところに?」
唖然とするマリーを見上げ、ララはまたしてもドヤっと眉を上げる。
「お風呂は、大切な休息ですから。妥協はしません」
「すごい……すごい」マリーは床に膝をつき、空っぽの浴槽をしげしげと眺める。
「でも、お湯は? どこから持ってくるの?」
「お湯はここからです」とシンクまで歩み寄り、蛇口をつかんで引っ張った。よく見れば蛇口の先はゴムに似た素材でできており、引っ張ればにゅうっと伸びて、ホースのように長くなる。
「それ、なに」
「蛇口ですか? これはモンスターの角からつくられたもので」
「角? ――こんな、びよーんって伸びるのに?」
「はい。レゾトモラという、そうですね……見た目はミミズに近くて、細い脚と粘液を持つモンスターがいるんですけど」
「ひえっ」
マリーは反射的にあとずさる。「そんなやつの、角……」
「はい。普段は土中で生活しているそうで、伸縮自在の角で縦横無尽に進めるんだとか……最近になって、角の加工技術が進んだそうですよ。もうすぐしたら、一般家庭にも広く普及するかもしれませんね」
「しなくていい、しなくていいっ」
首を勢いよくぶんぶん振る。
「と、とにかくそのホースをつかって、お水をひくのね」
「はい。魔導石で生み出した水を、火の魔導石で温めて流すんですよ」
説明しながらバルブを回す。レゼトモラのホースから湯が勢いよくあふれ出し、しばらくすると浴槽いっぱいにほかほかと湯気がたちのぼり始めた。
「すごい……そっか……井戸とかなくても入れるんだ。うちはね、むらの水場からひいて……ロカソウチっていうのできれいにしてつかうんだよ。お水とお湯のせんがあってね、温度がむずかしくて。あつすぎたり、つめたすぎたりするんだもん」
「わかります。わたしの以前の住み家も井戸水を使っていて、やはり調節のきかないタイプのお風呂でした。水の魔導石の水道がほしいなってずっと思ってたんです。今こうして使ってますけど、やっぱり便利ですよ。高級品ですし、メンテナンス面倒くさいですけど」
「お金、たくさんためたんだね」
「はい」
ふたたびドヤっと胸を張る。「頑張ったんですよ」
それからふたりは、床の上に座り込み、湯がたまるのを待っていた。
「はやくたまらないかなあ」
待つこと数分。湯がなみなみと注がれたので、ララは栓を閉めた。
「よし。さあ、入りましょう」
「うんっ」
ふたりはその場で衣服を脱ぎ、足先からそっと湯につかっていった。
「あれ」足先から胸まで一気につかり、マリーはきょとんとする。「ちょっと、ぬるくない……?」
「わたしはいつもこの温度です」
ララがのんびりと返す。首から下を湯に沈めて、顔だけだして目を閉じている。
「ぬるま湯に、ゆーっくり浸かるんです。一時間くらい入ってるときもありますよ」
「そんなに長く?」
「はい。癒されるんです。こう、ほへー、としていると」
目を閉じたまま、「ほへー」と繰り返す。マリーもおっかなびっくり首まで沈めて、目を閉じた。
「ほへー……」
半信半疑ではあったが、そのままぼんやりしていると、なんだか体の内側がぽかぽかしてくる気がする。家のお風呂よりぬるいのに、不思議だ。
そうしてしばらくゆったりとしていると、頭上でガポン、と何かが開く音がした。
はっと目を開ける。
「あれっ」
いつの間にか、天井にまるい穴が開いている。ハッチが開き、ガラス窓が現れたのだ。
「星、見えるんですよ」
見れば小さなガラスの円盤のなかに、空の星々がぎゅっと寄り集まってきらめている。
星なんて見慣れているのに。村では夜になるといつも頭上に星が輝いていた。たくさん見えた。それが当たり前だった。
それなのに、こんなにちいさな穴からほんの一部が見えるだけで、どうしてこうも特別なものに思えるのだろう。
「ハッチ、もともとは無かったんですけど。どうしても欲しくて」
ララも頭上を見上げながらつぶやいた。
「この魔動車を譲ってもらったあと、改造しちゃいました」
「かいぞう……」
「もともと、街の乗り合い用に使われていた魔動車でした。でも、御者がいなくなってしまって。廃棄されるところを見つけて、譲ってほしいとお願いしたんです」
「運転するひとがいなくなっただけで、すてられるの?」
「はい。魔動車は、自分で魔導石を生み出せて、それを正しくコントロールできる人じゃないと運転できませんから」
残念ながら魔動車は他の魔動製品と違って、動力となる魔導石のエネルギーをその場で制御しながら上手に動かさなければならない。技術はまだまだ未発達で、車ほどの動力となると、その魔導石を生み出した者しか安全に操れないのだ。だから運転者に合わせて車が作られる。
見た目は似通っていてもエンジンは唯一無二の仕様だ。エンジンだけを取り換えて再利用する手もあるのだが、ただでさえ高級品の魔動車である。中古のオーダーメイド品を欲しがる者などだれもいない。
だがララは違っていた。自分で改造すればそれはもうオーダーメイドだと考え、譲り受けたのだ。
「じゃあ、お姉ちゃんもまどうせき、つくれるの?」
「はい。この魔動車は、わたしの魔導石で動いてるんですよ」
「ええ! それってすごいことじゃないの?」
マリーが大げさに反応したので、湯の水面もちゃぷんと跳ねる。
「先生がいってたよ。まどうせきをつくれるひとは、魔力がたくさんあって、それをすこしずつすこしずつ取りだして形にできるひとだって。魔法つかいはたくさんいるけど、つくれるひとはすごく少ないって……」
「そうですね。確かにそうです」
なぜか、ララは少しもドヤっとしない。ガラス窓に広がる小さな星空をぼんやりと眺めたままだ。
「じゃあお姉ちゃんは、魔法つかいなの?」
マリーが身を乗り出す。瞳にきらきらと好奇心が宿っている。
「いえ、そういうわけでは」
「どうして? まどうせきまでつくれるのに?」
「わたしはモンスターを狩れませんから」
並みの人間より魔力が高く、その魔力を扱う素質に長けた、いわゆる「魔法使い」という存在はこの世に数多く存在する。だが現代において魔法を操る専門職は魔導士だけだ。魔導士とは、冒険者ギルドに所属する冒険者であり、日夜モンスターを相手に戦い続ける職業である。
「わたしも知らないはるか昔は、魔法使いの仕事は星の数ほどあったそうですけど。魔導石が普及した今となっては……」
「じゃあ今、お姉ちゃんはなんのおしごとをしているの?」
「商業ギルドに身分だけ登録して、注文があったときに魔導石をつくっています」
得意げに、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「お家にいながらいつでもできますから。いわゆるハウスワークというものです。業務委託ですよ」
「ハウスワーク……ギョウムイタク……」
牛や羊、畑しか知らないマリーにとっては、聞きなれない言葉ばかりだ。
「それって、もうかるの?」
「うーん……需要はありすぎるくらいなんですけど、個人が一度につくれる量は決まっていますから。注文の規格によりますけど、ひどいときだと一個つくるのに一か月かかることもあります」
「一か月!?」またしても、ちゃぷんと水面が跳ねる。「それで、いくらくらいもらえるの? 一か月って……」
「その月は、その納品だけで銀貨二枚」
「あれ、おもったよりもらえる……?」
「でも、ギルドに納める上納金やら車の維持費やら食費やらもろもろ合わせるとあっという間に消えちゃいますから。ほんと、仕事は選ばなくちゃと痛感しました」
どこでもできるハウスワークも、割に合わない案件が多い。自分の魔力や体調と相談して見極めることが大切なのだと、ララはそのとき学習した。させられた。
「そうなんだ……」
いよいよマリーの頭がくらくらしはじめる。湯に当たったのではない。知らないことをたくさん知ったためだ。
「さあ、そろそろ身体を洗いましょう」
ララが栓を引き抜く。湯はあっという間に吸い込まれて消えていった。魔導のろ過装置を通って外に排水されるのだ。
ララは小さな袋を破って、中から薄緑色に染まった半透明の石鹸を取り出した。
「これがあなたの分ですよ」
「あたしの? いいの?」
「はい。専用です」
「……シャンプーとかリンスはないの?」
「全部、その石鹸です」
「ええっ」
もう驚くことはないだろうと思っていたのに、またまた不意を突かれてしまった。
「石鹸だけって……おじさんじゃないんだから」
「いっしょにしないでください。その石鹸はエメラルドローズの成分がぎゅっと詰まっていて、美肌成分たっぷりなんです。お肌も髪もなにもかも、それ一つで全部洗えちゃうんですから」
ぴっと人差し指を立てて続ける。
「車中泊の掟は、なるべく物を増やさないこと。役割がまとめられるものは積極的に一つにまとめるべきなんです」
「シャチュウハクの、おきて……」
「はい。マリーもこの旅でぜひ覚えていってください。物を減らすのは基本中の基本ですよ」
なんだかよくわからないが、この石鹸だけでじゅうぶんだと言いたいのは伝わった。マリーはおっかなびっくり石鹸を泡立て、髪につける。
「あれっ」
なんだか、思ったよりも泡立ちがいい。しかも、品のいい甘い香りがする。
「ぜんぜん、キシキシしないよ」
「もちろんです。なんといってもエメラルドローズですよ。遠い南方、鳥人の棲まう砂の
つらつらと雄弁に語りだすララ。どうやらこの石鹸の熱烈なファンであるようだ。話の半分もわからないが、この石鹸は家にある普通の石鹸とは違うのだとマリーは理解した。
お風呂にも、いろいろあるんだなあ。
「お姉ちゃんって物知りなんだね」
ララはホースで身体を流しながら、「そうでしょうか」と首をひねった。
「興味のあることしか勉強してませんよ」
「そうなの? それだけでそんなにものしりになれるの?」
「……さあ、風邪をひきますから、はやく体を拭いて」
戸棚からタオルを引っ張り出して、ぽふっと放る。
「ねえ、あがったら何するの?」
「寝ますよ」
「もう寝るの?」
マリーは不服そうに時計を見上げる。縦長に伸びた四角い文字盤にはいくつも横線が刻まれ、針は下方の「9」近くを差していた。
「まだ九時になってないよ」
「今日は疲れちゃいましたから。さあ、髪を乾かして」
開けた床の内側に風の吹き出し口があり、魔動の力で髪が乾かせるようになっている。ふたり並んで風に髪をふきあげられながら、どちらともなく、「あーー」と声を出していた。気づいた時には、思わず目を合わせて笑った。
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