第2話 旅は道づれ

 たどり着いたのは丘陵を少し行った先の、見晴らしのいい丘の上だった。


「ここは、どこなの?」

「一時避難場所、です」


 ララの返答に女の子は目をぱちくりさせた。


「ひなんばしょ……? ここが?」

「はい。ここなら見晴らしもいいですし、危険があればすぐにわかりますから」


 ララは車を止め、レバーを戻す。車の振動はぴたりと収まり、けたたましいエンジン音が嘘のように静かになった。


「どうぞ、来てください」と、先に降りる。


 女の子はそろそろと足を伸ばし、緑の地に降り立つ。ララは後ろの小屋の扉を開け、中へ上がっていった。


「入っていいの?」

「どうぞ」


 女の子は荷台のステップを上がり、おそるおそる中を覗き込む。次の瞬間、今までにないほど目を見開き、口をあんぐり開けてしまった。


「え――」


 商人の幌馬車のような中身を想像していた。荷物が乱雑に積まれ、薄暗く足の踏み場のないほど散らかっている様を。だが、目の前に広がっているのは、部屋だ。木目調の床が敷かれた、あたたかそうな、人の住む部屋。


 入ってすぐ足元にかわいらしい小さな靴箱。目の前にはテーブルとソファ。すぐ横にコンパクトな炊事場があり、一番向こうにロフトベッドが備え付けられている。あらゆる隙間という隙間に戸棚が取り付けられ、収納になっているようだった。


「なに、これ……」

「ここ、わたしの家です」ララが告げる。口元に浮かんだ笑みは、ちょっと自慢げだ。

「わたし、ここで暮らしているんです。動く家なんですよ」

「そんな、そんなの、きいたことないよ」

「それはまあ、そうだと思います。こんなことしてるの、たぶん、世界でわたしだけでしょうから」


 女の子は改めて、ララの背格好を上から下までじろじろ見やった。やはりどう見ても同年代の子供にしか見えない。それがどうしてこんなへんてこな車に乗って生活しているというのだろう。食事は? お風呂は? 何をどうやって生活しているの? ――小さな疑問が噴水のように湧き出てくる。


 その心を見透かしたように、ララは優しく口を開いた。


「この車のことを知りたければ、まずわたしの質問に答えてください。あなたのお名前と、どこから来たのかと――どうしてたったひとりで、あの森にいたのかも」


 女の子はみるみる険しい顔になって、ぐっと唇を引き結ぶ。

 しばらく足もとを見下ろしていたが、やがて意を決したように顔を上げた。


「家出、したの」

「家出」ララが繰り返すと、女の子はうなずいた。

「あたしはマリー。お父さんとお母さんにすてられた。だから、出てきたの。ひとりで」

「すてられた……」


 改めて女の子の服装に注視する。色鮮やかな花柄の刺繍がほどこされた白いエプロンに、同じく花柄のあしらわれた赤いスカート。靴にも花のアップリケがある。これらを買ったのは、親だろうか。いや、よく見れば手作りらしい縫製のゆがみとほつれがある。

 ララの例があるので見た目より歳が上という可能性もないわけではないが、マリーの仕草や口調には特有の幼さが残っている。

 そんな彼女に、ここまで服の縫製ができるとは思えない。


「家は、どこだったんですか」

「えーと……」女の子は難しい顔になった。「えっと、なんていったっけ……」


 ララは頭の中でさっと地図を開いた。

 確かこの近く、馬車の足で二日ほどの距離に、川沿いの小さな村があったはずだ。ララもつい先日、通りかかって食料を補給させてもらった覚えがある。


川の村ファム・リオですか」

「そうそう、そこ」


 女の子がうなずいたので、ララは再び問いかける。


「そこからどうやって来たんですか? あんな森まで」


「あのね、どこかのしょうにんさんの馬車に、こっそり入ったの。からっぽの木ばこがあって、あたしの身体がぴったりだったから」

「えっ」

「だけど、しばらくしたらお腹がすいちゃって。すごい音がなったの。それでバレて、つまみ出されちゃって」

「お腹の音で、つまみ出されたんですか」

「ひどいでしょ。町のなかのお店のまえだった。あたし、おいてかれちゃって。でもめげなかったの。こっそり入りこむのがだめなら、ひとりで旅して、どこかに住むところを見つけなくちゃって思って。おこづかい、ぜんぶもって来たし、旅じたくってやつをしようと思って、町のなかをうろうろしてたら、あなたを見つけたの」


 戸惑うララをマリーは見つめる。


「あたしととしも変わらなそうなのに、たくさんお買いものしてて、よく見たら、旅じたく、してるっぽく見えたから。もしかしておなじなのかなって思ったの」

「同じ……」


 ララは改めてしょぼくれた顔をした。


「わたし、こう見えて十四歳なんですよ……」

「えっそうなの?」


 心底驚いた顔をされ、ますますしょげこむララ。


「そうなんですよ……」

「ごめんなさい。わかんなかったの」

「そ、そうですか……いえだいじょうぶです、慣れてますから」

「あ、えっと、うん……」マリーは気まずそうに頭を掻いてから、「そうそう、それでね」と話を戻す。


「だから、うまくいけばいっしょに旅ができるんじゃないかって思って、こっそりあとをつけたの」

「ぜんぜん、気がつきませんでした」


 それでは、町で買い物をしているあいだ、マリーにこっそりつけられていたのか。うきうき顔で旅道具を手に取り、品定めをして回っていたところを見られていたのだと思うと、なんだか恥ずかしい。


「では、どうして森のなかでモンスターに……」

「とちゅうではぐれたの。『モンスタースイーツ』のシトラスジュエルパフェが食べたくなっちゃって」

「シトラスジュエルパフェ?」ララがぱっと顔を上げる。「食べたんですか?」


 確か、看板の上部に大きく書かれていたメニューだ。期間限定、さわやかな香りと甘さで人気急上昇、と宣伝文句があった。一度は我慢したのに、思い出すと我慢したことを悔いてしまう。


「うん。すっごくおいしかった。だけどそれで見うしなっちゃって。もう外に出ちゃったのかなっておもって、かべの穴をぬけて森に入ったの」

「事情は、わかりました」


 ララは荷物をテーブルに置いた。


「あなたは……マリーは、わたしと旅がしたかったんですね」

「だめ?」

「……」


 正直に答えを告げるなら、彼女の願いを否定することになる。だが、事情はともかくとして、家出するほど傷心した少女の想いを無下にすることなどできなかった。


「わたしの旅は、一人旅なんです」


 ララが静かに口にする。たちまち女の子の顔に絶望が広がりかけたところで、「ですが」と制する。


「次の目的地までなら、ついてきてくださってもいいですよ」

「ほんとうっ?」


 ぱっと笑顔が花ひらく。子どもらしい、無邪気な笑みだ。


「はい。次の目的地で、あなたが新しい生活をはじめられるようにお手伝いもします。どうですか?」

「あたらしい、生活……」


 うれしいような、不安なような、複雑な笑みを浮かべるマリーに、ララは諭すように続ける。


「お家がいやで、出てきたんでしょう? それなら、どこかで新しい生活をはじめないと」


 そうでしょう、と問いかけると、マリーはきゅっと表情をひきしめ、ゆっくりとうなずいた。


 ――よし。


「そうと決まれば、次は腹ごしらえをしましょう。水道場で手を洗ってください。ご飯の用意をします」

「ごはん!?」マリーの瞳がきらりと輝く。「あたしも手伝う!」と、勇んで腕まくりをする。


「あたし、こう見えていろいろできるんだよ。赤ちゃんのお世話もしてたんだから――」


 言いながら、すうっと声がしぼんでいった。――その表情の変化をララは見逃さなかった。


「たのもしいですね」


 気づかないふりをして、ララは袋から買ったばかりのホットプレスを取り出した。


「でも、今夜はだいじょうぶです。新しいホットプレス、試したかったんですよ」


 赤いグリップがおしゃれなプレスを水でさっと洗う。次にララは、踏み台にのぼってキッチン上の戸棚を開いた。


「ほっとぷれす……?」

「旅には必須の道具ですよ」


 ララは戸棚から食材を下ろすと、プレスを手に取って内側をぱかっと開いて見せた。


「ここに挟めば、なんでも焼いて調理できちゃうんです。パンでもお肉でもお野菜でも」

「すごい! ほんとになんでも? ソーセージも、チーズも、クッキーも?」

「クッキーはちょっと。でもソーセージやチーズはできます」


 ちょっとドヤっとした顔でララは語る。


「手早くおいしい料理ができるので、旅に欠かせないものですよ」

「あたし、やってみたい。やらせて!」

「だめです。今夜はわたしが触るんですっ」


 断固として首を振り、ララはソファを指し示した。


「どうぞ座って待っててください。すぐにできますから」

「え~」


 マリーは仕方なさそうにソファに座る。そして、脇に備え付けらえた棚の下を覗き込み、本が並んでいるのを見つけた。


「ここにあるの、読んでもいい?」

「いいですよ」


 さっそく手を伸ばす。だが、どの本も分厚く、わけのわからないことが書かれていた。『魔導石生成、結晶の小型化の追求』『魔動研究と技術革新』といった小難しいタイトルばかりだが、よく見れば薄い冊子もある。取り出してみると、『旅のおともにこれ一冊~腹ごしらえから就寝まで~』やら『旅とも★春号~冒険者必見・モンスター対策特集! あのギルドが実践している〇〇とは?』やら、旅に関するものが多い。中身は冒険者たちへのインタビューや、冒険者が利用している旅支度のお店の特集でいっぱいだった。何もかも初めて見るものばかりだ。


 そのうち、こうばしい香りが漂ってきたので顔を上げると、ララの立つキッチンからほんのり煙が上がっていた。ふんふんとご機嫌な鼻歌も聞こえる。


「できました」

「ほんと?」


 反射的に立ち上がる。ララは盆を手にテーブルまでやってきた。


「どうぞ、食べてください」


 見れば大皿いっぱいのホットサンドに、スープとサラダまでついている。サンドの中身は甘辛いたれにつけられた干し肉だ。


「わあ……」

「あったかいうちにどうぞ」


 目を輝かせるマリーの方へ、皿を優しく押しやる。


 小さな手がおずおずと伸びて、ホットサンドを掴む。ほかほかと温かいパン生地に戸惑いながらも、思いきりかぶりついた。


「うわあ! おいしい!」


 干し肉なんておいしくない。お肉はそのまま火を通すのが一番だ。だがどこのお家も、普段の食卓には干し肉が並ぶ。ぱさついていて好きじゃない。――そう、思っていたのに。

 焼き目のついたふかふかのパンとソースが合わされば、こんなにおいしくなるなんて。昔お父さんとお母さんと一緒に行ったピクニックで食べた、手作りのサンドイッチを思い出す……


「あれっ……」

 いつの間にか視界がひどく滲んでいた。目頭がじんわり熱くて、口の中に塩気が混じる。

「なんで……」


 ララが何も言わずにタオルを取り、目の前に置いてくれた。たったそれだけのことで、マリーの目にはさらに熱いものがこみあげる。


 ララは、ぽろぽろと涙をこぼす少女を視界の端に捉えながら、スープを啜り、窓の外を眺めていた。


 捨てられた、とマリーは言った。

 事実はどうあれ、彼女の心は確かに傷を負っているようだ。それなら、自分のやるべきことはひとつだけ。


「旅は、たのしいんですよ」


 マリーの様子が落ち着いてくると、ララはようやく口を開いた。


「次の町まで、よろしくお願いしますね」


 マリーは小さく鼻をすすると、ゆっくり、こくりとうなずいた。

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