少女ララは自作の魔動車でのんびり車中泊ライフ(したかった)〜正体不明のもふもふ鳥もどきを拾ってしまいました〜

シュリ

第1話 旅立ちはホットプレスとともに

 若い男の店員はペンを握ったまま、ふと手を止めた。帳簿から目を上げ、耳をすます。薄暗い店の奥で、トン、トン、と靴音の跳ねるような振動が床に響いている。そういえば、少し前にお客が入ってきていた。確か、小さい女の子だったような気がする。


 若者はカウンターから身を乗り出した。

 トン、トン……確かに、奥で人が跳ねている。帳簿を置き、カウンターを抜け出て陳列棚の間を歩いていった。


「やあ」


 声をかけると、少女は振り向いた。今まさに、小さな腕を懸命に伸ばし、精いっぱいに背伸びして革靴をぷるぷる震わせているところだった。若者は伸ばした手の先を見上げ、「あ、なるほど」とつぶやいた。携帯式の調理器具がずらりと並んだ棚の中に、黒くて四角い二枚合わせのプレートがかけられている。


「ホットプレスかな?」


 少女は両足をぷるぷるさせたまま、こくりとうなずいた。薄暗いのでわかりづらいが、腰まである薄桃色の髪を毛先近くでふたつに結び、瞳は深い青色をしている。白と赤を基調としたベレー帽に、おそろいのワンピース……出で立ちはなかなかかわいらしい。


「ええと、これ? それともグリップが赤いほう?」

「赤いほうです」


 声色は柔らかいが、見た目ほど幼くない。どちらかというとしっかりしている。

「おっけー。よっと……はい、どうぞ」


 少女は安堵したような顔で、ようやく踵を床につけた。背伸びをやめるとますます小さい。歳はせいぜい十歳、かろうじて十一歳といったところだろうか。


 黒いプレートを受け取ると、少女はぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございます」

「いえいえ。てか、お嬢ちゃん、どこか旅でもするの?」


 ホットプレスは、四角い鉄板に食材を挟んで焼く、旅には欠かせない定番の調理器具だ。主に冒険者ギルドの連中からの注文が多い。

 少女は少し考えて、「はい」とうなずいた。「へえ」と若者は驚く。


「じゃ、他にも見てってよ。いろいろ入荷したところでさ。お父さんやお母さんのおつかいでしょ? あ、それとも、どっかの商業ギルドのおつかいとか? 最近は君くらいの子でも、そういうアルバイトするもんね」


 少女の眉がほんの少し寄った。若者の質問には答えず、「これ、いくらですか」と訊く。


「銅貨三枚ってとこかな。でも、それは一年前の型だし、ちょっとまけて二枚にしてあげるよ」


 少女は、手の中のホットプレスをじっと見つめた。裏返し、内側を開いて、すみずみまで眺めてから首を横に振る。

 どことなく、むっとした顔をしている。……ように見える。


「けっこうです」


と言って、ポケットから革袋を取り出して銅貨を並べた。


「きっちり三枚。別にいいのになあ。まけてあげるって言ってるのに」

「これ、すごくいいものです」少女は表情を変えないまま返す。「勝手に価値を下げないでください」

「なんだいそりゃ。じゃ、大手の最新モデル買う? 十枚になるけど。魔導石の欠片が埋め込んであって、絶対焦げつかないし錆びつかない優れものだよ。この町でいち早く入荷してるのはたぶんここだけだし」

「いえ、これでじゅうぶんです」


 少女はまたぺこりと頭を下げ、「ありがとうございました」と店を出ていった。


「変な子だなあ」


 そうつぶやく若者の目の前を、今度は別の小さな影がとてとてと通りすぎていった。

「……んん?」


 瞬きした時には、からんからんと鈴が鳴り、開いた扉が閉まりかけていた。


 ――だれか、他に店にいただろうか? いちいち覚えていないなあ。

 


 ベレー帽の少女――ララは、買ったばかりのホットプレスを麻袋に入れ、両手に丁重に抱えて歩いていた。町の大通りにはところ狭しと店が並び、見ているだけでもおもしろい。

しばらく歩いたところでふと足を止め、つと看板を見上げる。


「『モンスタースイーツ』……」


 少女の口から声が漏れる。サックスピンクに塗られた看板の下、店のカウンターの前にはまさに人だかりができていた。


「ピンクドリームマフィンひとつ!」

「レッドスイートベリーサンドください!」


 次々と押し寄せる客の波。若い女性も男性も小さな子供も――獣人らしきふさふさの耳や尻尾を持つ者、あれは旅行客だろうか――の中で、店員が波に巻き込まれた小魚のように翻弄されている。ララはその場に佇んで、看板横のメニュー表を見上げていた。が、はっと我に返ったようにぶんぶん首を振った。


 今日は、旅に必要な物資の補充にこの町を訪れたのだ。甘いものに目を奪われている場合じゃない。


 ホットプレスを収めた袋の他に、ララの背中にはぱんぱんに膨れ上がった麻袋がひとつ、腰に下げた小袋が三つある。最後のホットプレスで買い物は終わりだ。まだお金に余裕はあるが、無駄遣いはいけない。


 帰ろう。


 ララは再び、歩いていく。その背中はどう見ても十歳すぎの幼い少女に見えるが、実際、彼女は十四の歳になっていた。あと三年で成人するのだ。

 

 町のゲートをくぐりかけたとき、門兵がこちらを見下ろして「おや」と口を開いた。


「お嬢ちゃん、確か数刻前に通った子だね」

「はい」

「お買い物は終わったのかい?」


 鎧のひさしで見えないが、いかにも親切そうな中年の男の声だ。


「ひとりで大丈夫かい? 外に、だれかいるのかな」

「だいじょうぶです」

「そうかい。なら、いいんだけど……気をつけていくんだよ」


 声が涙ぐむように揺れている。


「私にもお嬢ちゃんくらいの娘がいてね、まだ十歳になったばかりなんだが、なかなか会えなくて――」

「また始まったよ。おーい旦那」


 もうひとりの若い門兵が耐えかねたように割り込んだ。


「商業ギルド証見たでしょ。彼女十四歳ですよ。ほらもう、困ってるって」


 彼はやれやれと肩をすくめてララに向き直る。


「ごめんよ。けど本当、気をつけてな」

「はい。ありがとうございます」


 ララはぺこりと頭を下げ、森の方へ歩いていった。


「おまえ、非情な奴だな」


 男はぐしぐしと涙を拭きながらぼやく。


「確かに見た目よりしっかりしているかもしれないが、あんな小さな女の子だぞ。森にはモンスターもうろついてるってのに……」

「どうせすぐそこに護衛の冒険者を待たせてるんでしょ。ていうか、俺の知り合いだってあの歳で冒険者やってましたし、今ではそんなもんですって」

「そうだろうか……」


 若者の慰めがどこまで通じたのか、男はまだ、少女の消えた森の方をグスグスと見つめていた。



 森はモンスターの巣窟と言われている。だが、人間の住まう「明国ルーメ・グランデ」領の三分の一ほどを森が占めているので、国内を行き来するのに避けては通れなかった。そのため、冒険者を雇って同行させるのが一般的な旅のルールになっている。

 しかしララは今、ひとり堂々と、森の中をざくざく歩いていた。


 暗い木々が鬱蒼と生い茂っているが、往来する人々のために敷石でぽつぽつと舗装されているし、昼間は頭上から木漏れ日が差して、見通しも悪くない。どこかから平和な小鳥のさえずりまで聞こえてくるので、買い物袋を抱えて歩きながら、ふんふんと鼻歌まで歌ってしまう。


 だが、目的の場所まであともう少しというところで、突如、静かな森の中に甲高い叫び声が上がった。


 はっと足を止め、緊張の面持ちでじっと耳をすませる。

 声の余韻はまだ森の中に残っている。だが、耳をすましてもどこからのものかわからない。


「キャアアアアアアーーーーー!」


 再び、絶叫。ララは今度こそ走り出した。買い物袋を小脇に抱えながら、もう一方の手で腰に下げた袋をまさぐる。そうして中のものを掴み、茂みの向こうへ素早く躍り出た。


 見れば、草地の真ん中で幼い女の子がしりもちをついている。その目の前には、ぐるぐると涎を垂らす薄汚れた獣が二匹。

 獣が首をもたげ、ララの方をギロリと見据える。その瞬間、ララは手の中のものを力いっぱい放り投げた。


 刹那、稲光りに似た強烈な閃光が視界を焼きつける。空気まで振動し、びりびりと耳鳴りがする中をララは走った。目をぎゅっと閉じて縮こまっている女の子の腕をつかむ。


「はやく、こっちへ!」


 女の子は蒼白な表情ながらも薄目を開け、ララに縋りつくように立ち上がる。ふたりは茂みを超えて逃げ出した。

 いつ獣がこちらに追いつくかわからない。ララはホットプレスの入った袋を首にかけて、腰の袋に手をつっこむ。


「ま、まっ……て」女の子は息も絶え絶えだ。「追って、きて、ない?」

「わかりません」ララも息をあげている。「もうすこしで、わたしの家に着きます! それまでがんばってください」


 はあはあと息を荒げてふたりは走る。ようやく視界が開け、舗装された道に出た。ララは道からはずれてさらに奥へ急ぐ。


 やがて視界の向こうに、薄水色に塗られた小屋のようなものが見えた。


「あれです!」


 ララが告げる。小屋のようなものは、近づいてみると車輪がついていた。形状は幌馬車に似ているが、荷台は通常より大きいし、馬はいないし、側面に出入りできる扉がついているし、全体が爽やかなベビーブルーに塗られている。奇妙な車の出現に、女の子は目をぱちくりとさせた。


 ララは御者台に乗り込み、女の子に手を差し伸べた。


「さあ!」


 すぐ後ろでギャワワンと吠えたてるけたたましい声がする。女の子の顔がひきつった。ララは差し伸べた手をしっかりと伸ばして、


「だいじょうぶですから!」


 と叫ぶやいなや、空いた手で再び結晶を放り投げた。たちまち光が暴発し、空気がびりびりと引き裂かれるように振動する。


 女の子が隣に乗り込むのを確認すると、ララはレバーを思いきり引きこんだ。ドゥルルルル、と地響きのような音をたてて車体が震える。


「お腹までしっかりバーをおろして! いきますよ!」


 掛け声とともにペダルを踏みこむ。車は怒涛のごとく走りだした。森の木々をなぎ倒す勢いで突き進み、風がふたりの頬を打つ。女の子は驚きと衝撃のあまり声も出なかった。

 御者台には船の舵を水平に横倒しにしたようなハンドルが取り付けられており、ララはそれをぐるぐると操作している。唇を引き結び、小難しい顔であるが、果たして彼女の運転の腕はいかほどなのだろうか。女の子の身体は右へ左へゆさぶられ、椅子の上でおしりがバウンドする。目もぐるぐる回りそうになっていた。


 いったいどれほど走ったのか――突然視界がひらけ、車は森を抜け出した。カッと燃える真っ赤な空が眼前に広がり、オレンジに染まる丘陵がさわさわと風の音を立てている。


「たぶんもう、だいじょうぶですよ」


 ララの声に、女の子ははっと我に返った。


「あ……」

「道じゃない道を走ったので、ひどい揺れでしたけど……気分、わるくないですか?」


 こちらを覗き込む深い青の瞳。焼けつくようなオレンジ色が入り混じって、息を呑むほど綺麗だった。


「あ、あの、……たすけてくれて、ありがとう……」

「いえ、わたしも帰り道で、たまたま悲鳴をきいただけで」

「あの、それで、あなた、だれなの?」


 当然の疑問だろう。ララは唐突な問いに「そうでした」と頭を掻き、答えた。


「ごめんなさい。急に知らないひとの車に乗せられたら、びっくりしますよね。わたしはララといいます。この車で旅をして暮らしています」

「車で、たび?」


 女の子は困惑のまなこを向ける。


「しょうにんの人、とか……?」

「いえ、とくに商売はしていませんけど」


 女の子はますます訳がわからないという顔をしている。それもそのはず、目の前で車を操っているのは自分と背格好の変わらない小さな女の子で、旅をするにしても、冒険者も傭兵も雇っていないのだから。


「じゃあ、どうして……」

「それより、あなたはどうしてあんなところでモンスターに襲われていたのですか?」


 ララがまじめな顔で問う。「ギルド証のない人は、ひとりで町の外へ出ることもできないはずですけど……」


「……それは」


 たちまち、女の子はバツの悪い顔で目をそらした。なんだか訳ありのにおいがする。


「誰かと一緒ではなかったんですか? 保護者の方は……」

「そんなの、いるわけないでしょ!」


 女の子の剣幕に、ララは肩をぴくりと揺らす。


「いない? ……あなたは、本当にひとりだったんですか?」

「そうだよ」

「では、どこから来たんですか? どうしてあんな場所に」

「あ、あなたがなにものか教えてくれないと、こっちも教えられないよっ」


 女の子はてこでも突っぱねる。

 ララは困ったように「うぅ」と呻いて、周囲の様子を確かめた。それから深いため息をつく。


「……仕方ないですね。ちょっとだけ、場所を変えます」


 言うなり、再びペダルを踏んで車を移動させる。よく見れば足のつま先だけがぎりぎりペダルに届いている状態である。ますます、女の子は眉根を寄せた。


 ――ほんとにこのひと、何者なんだろう。

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