第五十四話 上級天使ギニュエル

 階層をぐるぐると歩き、フロアボスと呼ばれる普通とは違う天使をボコす日が日常になりつつある。フロアボスは様々なタイプが存在していて、素早かったり、素手だったり、姿が違ったり、でかかったり、時には複数で現れたりもした。少し前には大剣を持った天使も現れて、それを皮きりにレパートリーがどんどん増えてきた印象がある。まるで僕達みたいにレベルアップし、成長しているかのようだ。


 現在、僕達は25層を散策していた。此処まで来てシエルのハッキング能力も飛躍的に上がり、ダンジョンの情報も閲覧出来るまでになってた。其処で判明したのが、このカテドラルが全部で50層からなるダンジョンだったということだ。


「あと半分ねぇ」

「この調子なら1週間くらいで登れそうだな」

「もう3週間過ぎそうだけど、食料は大丈夫?」

「うん、支部長が張り切ってくれたお陰でまだまだ余裕があるよ」


 思っていた以上に用意してもらったのでかなりの量がまだまだ残っている。とはいえ、贅沢はできないが。

 この分ならあと3週間は探索出来るだろう。いざとなれば戻れば良いだけだし、無理はしたくない。


「そろそろボス部屋だよ」

「!」


 シエルの声に顔を上げる。通路の奥にはうっすらと大きな扉が見えていた。あの奥のボスを倒せばいよいと往復地点となる。シエルのハッキングも半分掌握できたことになる。サクッと倒して次に進むとしよう。


 鞘からアグレフィエルを抜き、眼前の扉を見上げる。神世樹の中の景色とは場違いな金属製の両開きの扉が佇んでいた。浸食するように伸びた蔓はまだ細く、開く妨げにはならないだろう。

 空いた手で押し開く。擦れるような金属音と共に蔓がブチブチと千切れていく。更に力を込めると扉は完全に押し開かれた。


 中には誰もいない。


「……?」

「何もいないじゃない……」

「……いや、いる。上!」


 バッと顔を上げると天井を覆う葉の間から垂れた蔓に誰か座っていた《・・・・・》。


「天使……じゃない……?」

「いや、私は天使ですよ。君達がそう呼ぶのだから」

「!?」


 座っていた其奴はニヤリと笑う。しかも人語を話した。白髪で片目を隠した其奴は、今までの天使と違って意思の疎通が取れている。こんなことは初めてだった。本当に天使なのかも怪しい。


 天使は蔓から降り立ち、音もなく着地する。改めて観察すると他の天使とは明らかに違うが、天使の特徴は残っていた。白い体毛や赤い目だ。しかし顔まで体毛に覆われていなかったり、四肢が人間に近い形をしていたり服を着て防具まで身に付けていたりと、まるで人間のようだった。


「獣人……?」

「違う、こんなのがアスラと一緒な訳がない!」


 言葉では言い表せない嫌悪感が湧きあがる。何故か認めたくないという気持ちが強かった。剣を握る力が強くなっていくのが分かる。あの赤い目を見ていると我を忘れそうな、そんな感情が……。


「『状態異常回復ディスペルシャワー』」

「……えっ」


 ミルルさんが突然放った魔法。それを浴びた途端、先程までの嫌悪感が嘘みたいになくなった。いや、逆に親近感が湧いてくるとかではないが、イラつきがない。敵を敵と冷静に判断できているような……そんな感覚だ。


「あの目を、ジッと見ては駄目です……挑発と混乱の魔法が放たれています」

「なるほど、そういうことですか」

「くふふふ……あぁ、バレてしまった」


 天使はくすくすと笑う。


「さて、挨拶がまだでした。私、神に仕えし天使、『ギニュエル』と申します。どうぞよろしく」

「モンスターに名前? 神に仕える? ふざけんじゃないわよ!」

「至って真面目ですよ、私は。さて……私、このフロアを防衛するよう神様に命令されまして。防衛させていただいてもよろしいでしょうか?」

「よろしい訳ないだろ。通させてもらう!」


 ギニュエルに向かって駈け出す。相対するギニュエルは腰の鞘から剣を抜く。今までの天使が使っていたような歪な剣ではなく、しっかりと研がれ、装飾が施されたちゃんとした剣だった。刃はまるで鏡のように僕達を映している。


「サンダーバレット!」


 僕を迎え撃とうと剣を振り上げたところでタイミング良くエレーナの雷弾がギニュエルの剣を弾く。勢いに振られ、よろけたところへ僕は斬り込んだ。


「ハァッ!」

「おっとっと」


 しかしギニュエルはブリッジするように背中を逸らして剣を避ける。その流れのままバク転しながら蹴りを放つが、《神眼”鑑定リアリゼーション”》はそれを見抜いていた。


 難無く避け、追撃を入れようとするがギニュエルは読んでいたように更に距離を開けて手の平を僕へと向ける。


「くっ……!」

「フロストエッジ」


 神眼で読み取り、追撃の為に踏み込んだ足はそのまま、前景姿勢だった上半身の体重を無理矢理後ろに移動させて後方へとジャンプして下がる。手の平から伸びた氷の刃がのたうち回りながら僕へと伸びる。


「フレイムエッジ!」


 僕に触れるギリギリでエレーナの対魔法がフロストエッジを叩き落とす。直後、ぶつかった衝撃波で吹っ飛ばされたが転がることでダメージを分散させた。


「くふふふふ……」

「……ッ、何がそんなにおかしい!」

「いえ、以前見た光景だなぁ、と」

「なんだって……?」


 言われて脳裏を過ったのはカタコンベでのエルダーリッチー戦だ。今のエッジ系の魔法を初めて見たのはその時だったが、確かに今みたいにフレイムエッジとフロストエッジがぶつかり合って大きな爆発を起こした。


「何故お前が知ってる?」

「見ていたので」

「は?」

「聞こえませんでしたか? 見ていたのですよ、あの戦いを。皆さんが頑張って戦う様は本当に素晴らしかった……」


 あの時、あの場所には僕達以外には誰もいなかったはずだ。探索者すら誰も来なかった。


「主の命令でね、下界に降りて見ていたのです。勿論、ちゃんと隠蔽魔法を使って。手に汗握る魔法のぶつかり合い。貴方の最後の一撃も、とても素晴らしかった」

「だったら、何だっていうんだ」

「本当に素晴らしかったのです。ほら、此処。貴方は私に消えない傷を残してくれたのです」


 ギニュエルはそう言って、片目を覆っていた前髪を掻き上げた。


 其処にあったのは赤い目ではなく、抉れて、そして焼けて塞がった大きな傷だった。


「貴方が放った最後の一撃……無限に伸びた光の刃は私の左目を貫きました。勿論、その奥の頭蓋骨も、脳も、全て! ……でも恨んではいません。直後、保険の為に掛けておいた転送魔法で私はカテドラルの頂上まで避難しました。死んでいないのが奇跡のような状態でしたが、なんと主は私を治療してくださったのです! 嗚呼、それからです。中級天使程度だった私の知能は以前とは比べ物にならないくらに飛躍し、主の直属の部下へと任命され、そして名を与えてもらいました」

「それで?」

「感謝しているのですよ。貴方には。だから、私は貴方を愛したい。私にはない貴方の目が欲しい。貴方を、殺して、喰い散らかしたい」

「狂ってる……」

「いいえ……いいえいいえ。狂ってないですよ。天使の愛とは即ち、食べることなのですから」 


 ギニュエルの口角は歪に曲がる。笑っているのだろうか。心の底から、気持ちが悪い。


 共食いが天使の愛し方なのだろうか。そうやって互いに喰い合って進化したのがギニュエル? いや、僕のあのブラヴァドの一撃がギニュエルの脳を焼いたというのなら……それを神とやらが回復したというのなら、此奴は突然変異とも言える。中級天使以上とも言っていたが、上級天使かは判断出来ない。それ以上の存在かもしれない。


 だが今はそんな事はどうでもいい。今は此奴を殺すことが最優先だった。

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