第五十一話 ザルクヘイム大迷宮郡蒼天無窮カテドラル
覆い茂る木が作った上り坂のトンネルを抜けた先に広がっていたのは、やはり木だった。天井のように覆い尽くす木の葉が風に揺られ、擦れた音が降り注ぐ。巨木から出来たダンジョンだけあって地面も木だが、日光に透かされた木の葉の色に染まり、一面が黄緑色の世界だ。
この日光だが、実際は太陽の光ではないらしい。なんでも、
ミルルさんが所属する聖天教は神世樹を信仰し、降り注ぐ木漏れ日の如く多くの人を救おうとしている。
シエルが暮らしていたザルクヘイム王国は神世樹に飲み込まれ、滅んだ。そうして全てを奪い去り、ダンジョンとなった。
僕はこの巨大な木に何を思っているのか。それは此処を攻略した時に分かるのだろうか。
目に優しそうな風景を進む。アスラに言われた奇襲に気を付けながら進んでいるが、今のところは襲撃一つない。聞こえてくるのは葉擦れの音だけ。平和そのものだった。
っていう油断からの襲撃を恐れているので、一切気が抜けない。カテドラルに侵入してまだ1時間程ではあるが、この精神状態は確実に疲労へと繋がっていた。
「カタコンベはぶっちゃけ前方と後方に気を配れば最低限の襲撃は防げたからいいけど、此処は全方位だからきついわね……」
「それもカテドラルの難しさなんだよね。結局私は此処を攻略出来なかった」
シエルですら諦めたカテドラル。果たして僕達に攻略出来るのだろうか。
「結局、人海戦術が一番簡単なんだよねぇ……」
「軍隊とから楽だろうけれど、流石にきついか」
「ザルクヘイム周辺は、まぁ昔は色んな国があったけれど、今は神世樹があるから不可侵だし。行軍もタダじゃないからね~」
確かに、ザルクヘイムからグラスタに来るまでの間、国はおろか建物すらなかった。荒野だった。あれも神世樹の影響だ。張り巡らせた根で周辺の栄養を全部吸収してしまうから、草木も生えない荒野となってしまう。つまり、ザルクヘイムを放置していたらグラスタまで伸びた根の影響で町も荒れ果ててしまうということだ。地下に伸びた程度の根では影響は出ないが、放置していれば荒野になるのは時間の問題だ。
だから此処でカテドラルを攻略、支配し、神世樹の成長を阻害しなければならない。
「……待って、音がした」
「音?」
「風とは違う葉擦れの音……彼処よ!」
エレーナが指差した場所は真後ろの天井付近だった。まったく気が付かなかったが、ちょうど何者かが顔を覗かせている瞬間だった。バレないと思ったのだろう。見つかった瞬間、びっくりして引きつった顔にシエルが無詠唱で放った雷の弾丸が炸裂した。
「ギッ!!」
短い断末魔と共にドサリと受け身も取らずに床に落ちたのは天使だった。ただ、僕が想像していた天使とは似て非なる生物だ。全身から薄汚れた白い体毛が生えていた。顔まで白い毛に覆われた姿は獣のようにも見える。鋭い爪ではあるが器用に動かせるのか、手には弓が握られている。腰の結われた矢筒の下から伸びているのは尻尾だ。これだけ異形さを持ちながら天使と呼ばれていたのはやはりこの背中から生えている翼の所為だろう。
「どういう生き物なんだ?」
「天使って呼ばれてはいるけれど、獣人の成れの果てとも言われているね。さっき会ったアスラ君だっけ? 彼の先祖の近縁種という説もあるくらいだよ」
「近縁種? これが……?」
獣のようとは思ったが、これが自分の先祖と近しい生き物だと言われると腹が立つ。
「だからという訳ではないけれど、獣人達は天使を嫌悪してるね。滅ぼさないといけないっていう共通認識があるみたい」
「気持ち、分かるわね……私だったらこんなのが居たら嫌悪感でどうにかなってしまいそう」
エレーナの言葉を聞きながら改めて天使の顔を見る。落ちた衝撃で開いた口からは乱杭歯が覗いている。見開いた目は真っ赤に血走っていた。
「此奴等にも生活はあるのかもしれないけれど、慮る理由はない。襲ってくるのであれば、出会ったら殺す。それだけだ」
「だね。さぁ、先は長い。さっさと行こう」
とりあえず弓と矢だけは指輪に収納しておく。もしかしたら何かに使えるかもしれないし、触れてみると意外としっかりした作りなのが分かった。やはり手先は器用らしい。
□ □ □ □
カテドラルを登り始めて数時間が経過した。驚いた事に、この空間の中にも夕暮れはやってくるらしい。日の光も入らないほどの密度の木々に囲まれた場所に差す木漏れ日は神世樹が自ら放つ成長の為の疑似日光だ。であれば永遠に日中が続くものだと思っていたのだが、段々と時間が経つにつれ、白い光は赤くなっていった。植物も人と同じで夜は休むらしい。
「だいぶ……暗くなってきましたね」
「この辺で休めるところってあるのかな?」
「安全な場所はないよ」
シエルの言葉に軽く眩暈を覚えた。
「カテドラルは此処からがきついんだよね。神世樹は休むけど天使達は休まない。だから私達も休めないの」
「とはいえこのまま進むのは身体的にも精神的にも苦しいぞ」
「とりあえず、見張りを立てて休むしかないね」
溜息を飲み込み、すぐに野営の準備を始める。料理の用意をして薪に火を灯す。エレーナやミルルさん達は仮眠用のテントの組み立てをしてもらっている。シエルは周囲の警戒をしながら、少しでも安全に過ごせるようにこのエリア周辺区域のハッキングをお願いした。
「神世樹の魔力とカテドラルの本拠地っていうアウェーの中でのハッキングだから期待し過ぎないでね」
とのことだった。それでもシエルなら……そう思い、頼り過ぎなことに気付き、1人反省しながら料理を進めた。
満腹になり過ぎない程度に腹を満たし、僕は最初の見張りを名乗り出た。3人にはテントで休んでもらう。この場で一番弱いのは僕だ。であれば、3人には万全の態勢でいてもらうことが一番重要だった。
焚火を火ばさみで突きながら、すっかり夜のようになった天井を見上げる。
「そうか……これも神世樹が、カテドラルが僕達人間を捕食する為のシステムなんだ」
朝、昼、夜を演出することで睡魔を誘うのだ。光の調節をすることで人間なのでどうしても眠気が発生してしまう。そうして油断を生ませたところを、天使たちが奇襲を掛けてくる。
「よく出来たダンジョンだな、まったく……」
まるで人間を理解し尽くしたかのような、嫌らしいダンジョンだ。これのお陰でこれまで攻略が難航していたのだと、今更ながらに納得できた。作り自体は延々上り坂が続くだけだ。多少の分かれ道はあるが、それ程複雑でもなかった。この先はどうなってるかは分からないが……。
ガサリ。
「ん……」
上から音がした。腐毒剣インサナティーを抜き、警戒する。それから自分が愚かだったことに気付く。焚火をしていた所為で暗い天井付近が見えにくい。
「クソ……ッ、いや、こういう時の為のズルだろ……!」
ジッと目を凝らすことで発動する《神眼”鑑定(リアリゼーション)”》が情報を表示する。
『神世樹の葉』『神世樹の葉』『神世樹の葉』『神世樹の葉』『天使』『神世樹の葉』『神世樹の葉』
「其処だ!!」
手にしていた腐毒剣を投げる。こういう時の為の遠距離攻撃も習得済だ。
「ギィ!」
「あっ」
ギリギリのところを通り抜けていってしまった。すぐに左手を伸ばし、収納指輪の効果で投げた短剣を収納し、呼び出す。肩が生きている限り、僕は永遠に投擲できる。
「おらっ! 食らいやがれ!」
「ギッ、ギィ……ギャッ!」
何回か投げた結果、なんとか天使の肩に突き刺さった。向こうも負けじと矢を放っていたが、僕が短剣を投げる所為で上手く射れなかったようでお陰様で無傷だった。
天井から落ちてきた天使が床に叩き付けられる。まだ息はある。肩に刺さったインサナティーを引き抜くと、其処からドロリと赤黒い血が流れてくる。腐毒はすぐに全身に回り、死に至るだろう。
「ハギャ……ガ、アッ…………」
小さく鳴き、そのまま天使は動かなくなった。
油断せず周囲を警戒するが、もう天使は現れることはなかった。どうやら偵察程度の奇襲だったようだ。音が鳴ってしまったせいで戦うことになってしまったのだろう。間抜けめ。
天使の体毛に刃を擦り付けて血を拭い取り、鞘に仕舞う。
その後はシエルと交代するまで天使の奇襲はなかった。
□ □ □ □
翌朝、テントから這い出た僕はフロアの隅に積まれた天使の死骸を見て奇襲があったことを知った。それに気付かない程にぐっすり眠ってたのかと頭を抱えた。
「すまん、全然気付かなかった……! あんなに来たとは……」
「あれで2回くらいよ。あんた以外は魔法が使えるから余裕だったわね。すぐ終わったからあんたが起きる暇もなかったわよ」
「そうスか……」
僕だって、僕だって攻撃魔法が使えれば……あっ、そうだ!
「ミルルさん、その神世樹の木剣って僕でも使えますか?」
「あ……これは、聖女か聖女代理でないと使えないように制限されてるんです……。ナナヲ様が使うのは、難しいかと……」
「そうスか……」
魔法陣を刻印された木剣があれば僕も攻撃ができると思ったのだが、世の中そんなに甘くはないようだ。
天使から弓矢を回収してはいるが、僕は弓も矢も持ったこともない。じゃあ今から天使を射れと言われても持ち方すら儘ならない。矢を握って突貫した方がまだましな結果を出せるだろう。
「ブラヴァドを伸ばして突けば遠距離攻撃か……? いや、それはちょっとプライドが……うーん……あっ、《勇者戦術》なら或いは……」
「ブツブツ言ってないで、ほらさっさと収納して!」
「わ、悪い……」
綺麗に拭いて積まれた食器類や畳まれたテントをまとめて収納指輪に仕舞いこむ。今夜こそ、今夜こそは……いやその前に昼間だ。今日こそ頑張らねば。
僕だけが気合いを入れ直し、その場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます