第175話 燃える屋敷の戦い 中-3

 エリザベートは熱風を背に受けながら階段を駆けあがり、そのまま二階の端にまで走った。マリアが言った通り、エリザベートはパニックルームの場所を知っている。運よくギルダー・グライドは屋敷の反対側にいる。


 エリザベートは壁に手をつき壁を辿って、以前マリアと連弾に誘われて訪れたオルガン部屋を目指す。一階から立ち上った煙がぶわぶわと廊下に立ち込めている。エリザベートはハンカチを口に当て、姿勢を低くしながらにじり寄るように歩く。


 オルガン部屋は、三つ目の応接室だ。一つ目の応接室も二つ目の応接室も使えない時の冗長として用意されている。今やもう使わなくなったオルガンを置いた部屋だが、この部屋の最も重要な用途はそのどちらでもなく、そこにあるということである。


 パニックルームは、家の端の、図面上はなにもない場所につくられていた。


 エリザベートはオルガン部屋に入ると、部屋の端に座り込んだ。煙をいくらか吸ったせいかひどい息苦しさを感じ、咳き込みながらもカーペットをずらして床板に手をかける。窓を開けたかったが、この部屋の窓は鍵がないと開かないようになっている。それに窓を開けたらすぐこの部屋だとバレてしまうかもしれない。


「ごほっ。ゴホッ、くそ……」


 よく見るとその床板と壁の間には、小さな穴が開いている。床板を外すための道具を挿入するための穴だが、ここにはもうない。中へ入るときに持ち込んでしまったのだろう。


 エリザベートは床板を拳で何度もたたいたが、床板は微動だにしなかった。額から汗が零れる。このままここが開かなければマズい。パニックルームの通気は屋敷と同じなうえに、他の部屋と違って外界とは通気口をとおしてしか繋がっていない。煙が入ってくれば逃がすところがない。


 煙はどんどん濃くなってきていた。


 エリザベートはオルガンを床板の上に持っていった。そしてオルガンの下に滑り込み、蹴って足の一つを歪ませ、より床板に乗った足へ力がかかるようにした。


「これでいい。後は……」


 エリザベートは地面にくっついて出来る限り煙の少ない空気を肺に溜め、息を止めた。窓枠をよじ登って天井の近くで首を曲げ、オルガンを見下ろす。


 思い出のあるオルガンだった。そしてこの行為にも、思い出がある。昔――それも五、六歳のころで、昔と言うにしても記憶があいまいな時期のことだが、自分はよくこうやって色んなところに昇っていたのだ。


 エリザベートはオルガンに向けて飛び降りた。足の一本を接地面から外されたオルガンはエリザベートの思惑通り、床板を破壊し、下の装置を露出させた。


 オルガンから落ちて地面に倒れたエリザベートは、動いたときに、腕に切り傷を造ったことに気づいた。彼女は這って破壊した床板のところまで移動すると、破片を出来上がった穴から取り出し、装置のレバーを引っ張った。


 壁の一部がこちらへ飛び出してくる。エリザベートがその壁を引っ張っると、今度は金属製の扉が現れた。


 エリザベートはダイヤル錠を廻し、扉につけられた窓を開いた。


 パニックルームの中が見えた。いくつかの調度品と、暖炉が一つ。それから椅子と本棚。中は薄くだが煙がかっていて、三つの人影のうち一つが通気口から入って来る煙をどうにかしようと動いていて、残り二つが、こちらを見ていた。


「ジュスティーヌ! 私よ。ここを開けて」


 人影が動く。


「お姉さま? そこにいるの?」


 ジュスティーヌが煙の中から出ようとすると、父の声がそれを引き留める。


「開けるなジュスティーヌ! お前の姉は敵を連れてきているかもわからないんだぞ!」


「もう火が来てる! こうやって声を上げていたらギルダー・グライドだって来るかもしれない! 早くここを開けて! 逃げるの!」


 エリザベートが懇願するように声を上げる。


「ダメだ。開けるな。ジュスティーヌ」


「ジュスティーヌ、開けないで!」


 グザヴィエとクリスタル――二人の両親が口々に言うが、ジュスティーヌはエリザベートの前まで歩いてきた。


「待ってて。今開けるから」


 ジュスティーヌが錠を外す。そして、パニックルームの扉が開かれる。

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