第174話 燃える屋敷の戦い 中-2

 マリア・ペローは誰よりも早かった。左右から殺到する敵の歩幅まで数えられるほど、彼女の意識は洗練されていた。まずエリザベートの襟首を掴み、壁に向かって投げると、二階の射手が撃ったクロスボウの矢と、右側、左の先頭に立っていた騎士よりも少し早い攻撃を、同時に盾で受け流した。


 剣は盾に突き刺さったクロスボウの矢を割り、カーペットに突き刺さる。体勢を崩した敵に当身を喰らわせ、転ばせると、今度は転ばされた男の背後から突き出された剣を避けつつ、剣のブレードを掴み、これを辿って柄を握る腕を引っ張り、こちらも体勢を崩したところで首に腕を回し、ヘッドロックした状態で左側の敵を威嚇して近づけないようにする。


 右側には四人、左側には三人の敵がいた。敵が持っている武器はどれもオーソドックスな武器ばかりだ。全身鎧を着た騎士との戦いを想定した装備ではない。つまりつけいる隙はある。


 向こうもそれがわかっているのか、マリアを直接剣で殺そうというより、彼女を押し倒すか、エリザベートを捕まえてどうにかしようとしているようだ。


 マリアはエリザベートのほうを見下ろした。彼女は正面の、マンティスの死体があるほうを一心に見ていたが、見られていることに気づくとマリアのほうへ視線を切り替えた。


 マリアはヘッドロックをかけている騎士が自分の鎧の隙間へ短剣を突き立てる前に、持っていた剣で首を切り裂いた。出来るだけ残虐なやり方で。そして怒って突貫してきたところを、指に掬い取った血液を目元に向かって投げた。


 そして案の定、彼らはマリアにタックルをかけた。左と右、両方でマリアの身体を持ち上げ、倒そうとしたが、視界を塞がれた左側の勢いが少し弱かった。


 それでも男二人の突進を簡単に押し返せるような怪力はマリアにはないし、岩のようにそこへ留まるには、彼女のアーマーは軽量過ぎる。押し倒されないよう、壁に後退するのが精いっぱいだった。


 エリザベートは左側にいた。そして左側のタックルは、勢いが弱く、目標からも少し外れていた。


 前に回ってきた騎士がエリザベートの頭に剣を叩きつけようとする。そしてこれは、完全には避けようがない。剣の一撃が、バイザーで守られたマリアの頭を揺さぶった。――軽量の鎧だが、まだ割れて体を切りつけられるほどには損傷していない。だが鍛えた人間に鉄の棒で殴られれば、鎧の上からだろうと衝撃はある。


 二度目が来る。三度目がまたバイザーを叩く前に、考えないといけない。


 マリアは剣を捨て、自分の胸の下にしがみつく騎士の喉元へ、”雷槍”――バトルピッケルの頭につけられた小さな突起を突き刺した。殺すには至らなかったが、悲鳴をあげてマリアから離れる。そしてマリアは、右側から自分を抑えつけようとする敵の顎を膝で蹴り抜き、前に転がした。


「こっちに来い!」


 左側にいる騎士は二名。そのうち一人がエリザベートを捕まえようとしている。


 エリザベートの腕を引っ張る騎士のバイザーを掴んで体ごと持ち上げ、ピッケルを持った手で殴り抜く。そしてエリザベートの身体を強く前に押した。


 殺したのは一人。残っているのは7人。7人? マリアは戦いながら嫌な予感を持つ。七人も無事に倒せるとは到底思えない。だが通路にいる敵は前に一人、後ろに六人。残り一人を殺すか自分とエリザベートから見て一方方向に置くことができれば、多少は楽になる。


「お嬢さま! 走って!」


 左側の通路にいた最後の一人は、近くで転びそうになりながらも懸命に走ろうとするエリザベートに眼を奪われている。迷っているのだ。エリザベートとマリアで。マリアはその隙をついて、ピッケルで鎖骨のあたりを叩こうと振り上げ――次の瞬間、左腿に焼けるような痛みを感じ、その場で膝をついた。


「マリア!」


 エリザベートがこちらを見ている。顎を殴られ、仰向けに昏倒すると、二階の通路から冷徹な視線を送る射手と眼があった。


 マリアはもちろん、彼女のことを忘れてなどいない。むしろずっと警戒していたのだ。はじめの矢を受けたあとも、彼女は二発の矢を撃って来ていた。それらはすんでのところで命中していなかったが、今回は違う。運が尽きたのだ。


 エリザベートを捕まえようとする騎士の足首に、雷槍のブレードを突き刺した。射手が矢をつがえている間に、射線から出る。左腿を庇いながらも立ち上がり、ギルダー・グライドの騎士たちの前に立ちはだかる。


「お嬢さま!」マリアが言う。「もし場所がお分かりでしたら、そちらへ!」


「あなたはどうするの!」


 エリザベートが言う。


 マリアがバイザーを外し、不敵に笑って見せた。


「考えがありますので」


 エリザベートはほんの一瞬だけ、躊躇する。マリアはまた死ぬ覚悟でやっていて、しかも死に瀕している。だがエリザベートは、このままマリアに死んでほしくはない。


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけエリザベートは、全てを諦めてここから去るべきだと、彼女に声をかけそうになった。けれどそんなのは、刹那、この世のなににも影響を与えないほどの時間でしかない。


 ここで諦めることなんて自分もマリアも望んでいないのだ。


 エリザベートはそう決断すると、奥の階段を駆けあがり、マリアと七人の騎士の前から姿を消した。


「お前、殺されるぞ」


 マリアに踏みつけにされている状態の騎士が、マリアを嘲笑った。前からは残りの騎士たちのうち、何人かが迫って来る。負傷したマリアに全員は必要ないという考えか、残った騎士のうち二人が、屋敷を燃やす作業に戻っているようだ。


「考えなんてないんだろ」


「さあ、それはどうだろう」


 マリアが言う。その手には、小さな石が握られている。騎士が驚いたように自分の腰に手をやった。それは古代の技術を応用した、小型の発火装置だった。


 マリアは止められる前に彼らがやろうとしたように、屋敷へ自分ごと火を放った。火は瞬く間にカーペットを舐めとり、油の線に沿って屋敷の一階を覆いつくした。

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