第173話 燃える屋敷の戦い 中-1

 中はめちゃくちゃになっていて、見える限り無事な場所はなかった。窓は全て割れ、絵画はくの字になって割れている。上階の通路の一部が崩壊し、瓦礫に潰された死体があった。なにかから逃げようとした騎士がカーテンを掴んだ状態で息絶え、そのなにかは、マルカイツ邸の玄関ホールの真ん中に斃れている。


 エリザベートが困惑に眉を曲げる。マリアはその間に、ホールと外にあった騎士の死体の数を暗唱する。


 見覚えのある生物だ。八本の脚、人型の胴体。鋭い手足から血が滴り落ちている。


「オクタコロン?」


「あの遺跡にいたやつですね。名前は確か……」


「マンティス。そうだ。オクタコロンのはずないか……」


 エリザベートは安堵と、まったく不安とごちゃまぜの複雑な感情になった。オクタコロンは”予言の民”で崇められている存在の姿を借りたのだ。同じ”予言の民”であるマンティスは、そのオクタコロンの姿を模しているに違いない。


 模す、だけではなく、前回遭遇した感触では、まったく人力の及ばないモンスターという印象が強かったが。ここで死んでいる騎士たちは、このマンティスを含めて全員を倒したというのだろうか。


 そうではない。


 そうではなかった。マリアがエリザベートの肩を叩き、廊下のほうへ指を差す。そちらを向くより前にエリザベートは桶をひっくり返すような音を聞く。


 数人の騎士が屋敷の壁や天井に油をかけていた。油と分かったのは、匂いがしたからだ。正確には、においがしているのに気が付いた、というところか。


「残っているのは多くて10人というところです。お嬢さま」


 マリアが言う。エリザベートは「それはよかった。そう言えって?」と思った。今まさに自宅が燃やされそうになっているというのに。


 苛立ちや焦りがじわじわとエリザベートの内側に溜まっていく。


「11人だ。11人、残っている」


 そこへ折悪いことにギルダー・グライドが二階の通路から二人へ声をかけた。


 左側の通路と、右側の通路。それから奥の方からも騎士が現れる。通路の上にも、ギルダー・グライドを除いた別の騎士が――驚くべきことに、それは女性だった――がクロスボウを構え、こちらを見下ろしているようだ。


「エリザベート・デ・マルカイツ」ギルダー・グライドが言う。「そしてマリア・ペロー。王の気まぐれにはいつも参る。それから無用なアクシデントなどは!」ギルダー・グライドが癇癪を起したように通路に転がった瓦礫を蹴り飛ばした。それはマンティスの身体に命中し、エリザベートの足元に転がった。「気に食わないな」


 エリザベートは深く息を吸い、ギルダー・グライドと対峙した。彼は今まで大量に人を殺し、自分の仕事ぶりに満足している自信家だ。自分よりも後ろ盾のある自尊心を持っている。そういう相手と対峙するのは、それだけで少し気力が要った。


 ギルダー・グライドはその細くて性格の悪そうな顔に少しも信用のない笑顔を張り付けた。バイザー越しだが、下からだと表情がわかる。笑っているようでまったく笑っていない。むしろ彼が自分で言った通り、怒って苛ついているのだ。


 エリザベートはその雰囲気に気圧されかけながらも、言いたいことをはっきりと声に出して言った。


「私の、家族は、どこ」


 ギルダー・グライドは手すりに体重をかけ、エリザベートに憐れみの視線を投げた。


「私の家族はどこ!」


 エリザベートは強く繰り返した。


「落ち着けよ」ギルダー・グライドが言う。バイザーを外し、灰色の髪を手で撫でつける。そして信じられないことに、鎧の隙間からナッツの袋を出し、食べ始めた。「家族ならまだ無事だ。殺してない」


「そんなの当然よ」


「そんなの当然よ? いや、そんなことはない。今回俺たちは”消極的な捕縛命令”を受けている。意味が解るか? ”消極的な””捕縛命令だ”。失礼」ギルダー・グライドはナッツをいくつかまるごと口に放り込んだ。「”消極的な捕縛命令”とはつまり消極的な捕縛命令ということだが、ようするに――つまるところ――」ギルダー・グライドが眉を曲げて言う。「えっと、つまりだな、捕まえるのが面倒だったら殺してもいいということだ。ちょうど今そうしようと考えていた。屋敷を燃やして」


「まだこの屋敷にいるんだな」


 マリアがエリザベートの代わりにそういった。


「いる。隠し通路を使っていなければ。使っていないだろう。使っていれば部下がわかったはずだ。ラッキーだったな。外はめちゃくちゃだったから。しかしどうも、屋敷にはいるが、わかりやすいところにはいないようだ。そこでだ――」


 グライドはナッツを一度に飲み込みすぎたのか、胸を鎧の上から何度か叩いた。


「話している最中だぞ」


「失礼。だがエネルギー補給は必要だ。そこにいる化け物――名前は知らないが、その化け物に仲間を半数以上殺されてしまったからな。エネルギーが枯渇している」


 グライドは呻き声をあげ、胸に残ったナッツのわだかまりを飲み込んだ。


「こいつを殺すとは。紙のゴーレムでも殺れなかった」


「殺せないものなんていない。なんの話だった? ああそうだ。恐らくいけすかない金持ち貴族だから、屋敷には隠し通路のほかにパニックルームなんてこじゃれたものを作っているはずだ。作って、そこに隠れているんだろう。そこでだ――エリザベート・デ・マルカイツ。お前がそこへ案内してくれるなら――殺し方を選ばせてやっても――」


「知るか。死ね」


 ギルダー・グライドが言い切る前に、エリザベートはそう吐き捨てた。不思議なことにこの男が喋れば喋るほど、さっきまでこの男の空気に中てられて萎みかけていた気力が復活してくるのを感じていた。


 もういい加減、誰かになにかを決められるのにはうんざりだ。


 ギルダー・グライドはエリザベートの無粋な言葉を受けて、気分を害したらしい。渋い顔になり、歯をぎしぎしと言わせた。


「そうか」ギルダー・グライドはナッツの袋を鎧の中に仕舞い、バイザーを被りなおすと去り際に腕を振って部下に命令した。「殺していいぞ」


 二人に敵が殺到する。


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