第176話 燃える屋敷の戦い 後-1

 パニックルームとオルガン部屋の煙が混ざり合う。


「どこに逃げるの?」


「どこでもいい。でもここにいたら煙に巻かれて死んじゃう。この屋敷にいてもやっぱりギルダー・グライドに殺される」


「またギルダー・グライドと言ったな」


 グザヴィエはクロスボウを構えている。クリスタルはグザヴィエの背中に隠れていた。


「あの男がここにいるのか……なら私が話そう。きっと大丈夫だ」


「ダメ! すぐに出るの。ついてきて!」


「黙れ!」


 グザヴィエがエリザベートを怒鳴りつける。エリザベートの筋肉は萎縮して、一瞬にして体が動かなくなった。ここまで感じてきた命に対するものとはまた別の恐怖心が、またぞろエリザベートの内側を這いまわる。


 それでもエリザベートは、言わなければならなかった。


「ギルダー・グライドは私たちを殺しに来たんだよ……」


「そんな筈はない」グザヴィエはクロスボウを振り回して言った。「なにかの間違いだ。私が話せばすぐ奴らはここから出て行くはずだ」


「お父さまに任せましょう」


 クリスタルが言う。エリザベートは苛々している。眩暈と耳鳴りがして、意識と感覚が離れて行こうとする。父親を相手にしているとき、エリザベートはいつもそうやって自分の抱くコンプレックスをなるべく刺激しないようにする。


 でも今日は、それだけじゃない。言った通り苛立ってもいる。これは新しい感覚だった。その苛立ちは今までなら自分に向けられたもので、それが今は外側でエリザベートを覆って、不定形ななにかに向けられていた。


「フェリックス王は、私に言ったの。お父さまを今回の首謀者に仕立て上げるつもりだって。チャンスは、一つだけ。ここから私と出ることなの」


「馬鹿な」グザヴィエが鼻で笑う。その音には震えがある。「。お前は何者だ? エリザベート。何者でもない。お前がそんな重要なことを知っているなど。有り得ない! この私を差し置いて」


 グザヴィエは続ける。


「そうだ……私を誰だと思っている? ”王の指”だぞ。あの聖人気取りの! やわな男にずっと仕えてきたんだ。そうだ……論理的に考えてみろ。私を嵌めたりするわけがない。私はこの国に必要だ。お前なんかより、ずっとだ」


 グザヴィエがクロスボウを振り回す。


 エリザベートはグザヴィエが言葉を紡ぐたび、父親の姿がどんどん小さくなるような気がしてきていた。不思議なことにその感覚は恐怖や苛立ちと同居していて、まだ完全にエリザベートからそれらを取り去ることはできない。


 グザヴィエはクロスボウを持っている。

 エリザベートは悟った。


 グザヴィエがクロスボウを持っているのは、相手を殺そうという覚悟からでも家族を守るという精神からでもない。単に持っていないと不安でしかたないからなのだ。だからその武器は――というより武器の持つ概念は、自分を守ることにしか使われない。


 父親は恐れているのだ……。そして恐らく、自分を首謀者に仕立て上げることができるということに、内心で気付いてもいる。


 古代遺跡の管理に、カダルーバ人の護衛。王の施策に反対を唱える立場。確かに不利な要素は多い。でもそれを受け入れられないでいる。


「お父さま」エリザベートは静かに声を出した。「行くの。行かないといけないの」


 グザヴィエが落ち着かなげにクロスボウを弄る。クリスタルはグザヴィエの後ろに隠れたままで、ジュスティーヌは不安そうに父親と姉の両者を見比べていた。


「お父さま。お姉さまの言う通りだと思うわ。いえ――もし全部正しいわけじゃなかったとしても、外へ出るべきよ。そのうえで城に行くか考えるべきだと思うわ」


「黙れ」


「お父さま」

 

 エリザベートが一歩、グザヴィエのほうへ歩み寄る。


「黙れと言っているだろう!」


 グザヴィエが吼えた。そして、風切り音がした。ジュスティーヌが驚いてエリザベートの身体を支えようとする。クリスタルも呆気に取られている。グザヴィエの持っていたクロスボウから放たれた矢が、エリザベートの肩と鎖骨の間に突き刺さったのだ。


 グザヴィエは興奮して体を揺らしていたが、自分のやったことに気づくと、脱力してクロスボウを地面に取り落とした。


「お姉さま、大丈夫!?」


「エリザベート」


 ジュスティーヌとクリスタルがエリザベートに駆け寄った。

 クリスタルが傷口の様子を診て、血がクロスボウの矢でせき止められて、出血が少ないことを確認し、安堵の息を漏らす。太い血管などは傷ついていないようだ。


 グザヴィエは三人の回りをうろうろしていた。


「悪かった」だとか、「まさか矢が出て行くとは……これは事故だ。早くここを出よう」だとか、「治療のためならやはり外へ出るべきだ」などと色々口にしているが、自分も含めて誰もその言葉を聞いていない。


 エリザベートも撃たれた衝撃と痛みに気を取られ、ジュスティーヌの問いかけに応えるのが精いっぱいだった。傷口をおさえ、大丈夫だと応える……そしてもう一度、今度こそ父親を説得しようと立ち上がる。


 そして困惑に眉を曲げた。


「お父さまは?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る