第159話 フリュイドするサスペクト 中

 そういったときシャルル王子の頭にあったのは、実際にアドニス・ケインズが黒幕かどうかであるというより、一旦物事を外側から捉えるための方法論だった。父親の言っていることは確かに一理以上のものがある。シャルルもはじめはエリザベートの父親に疑いをかけていたし、その疑いは今も晴れているわけではない。父親を経由してエリザベートが虚偽の申告をするのも、なんらおかしいこととは言えない。


 しかし同時にこの瞬間、父親に対して拭えないものがあるのも事実だった。シャルルも父親は疑いたくない。けれど、彼の態度はあまりに普段とかけ離れていたし、露悪的ですらあった。シャルル王子にはこの場で真実や事実というものがなにか不当な扱いを受けているような気がしてならなかった。


 彼が挟み込んだ疑いは、自分が場の空気に飲み込まれる前にできる最後の手管だろう。フェリックス王は空気を支配する術に長けていた。いくつかあるパラドクスが気にならないほどに。


 アドニス・ケインズの名前を聞いても、フェリックス王は顔にわかりやすい感情を出さなかった。しかし自分がどういった立場でいたいかについて熟考している様子でもある。


 果たしてフェリックス王は、一人の騎士の名前を呼んだ。


「エドマンド!」


 エドマンド・リーヴァー。シャルルのお付きの騎士の名前である。その名が呼ばれると、作戦指令室の奥にある小さな扉が開き、中から見覚えのある巨躯が現れる。


「エドマンド?」


 シャルル王子は戸惑いを口に出す。


 エドマンドは扉から全身を出すと、シャルルとエリザベートには目もくれず、フェリックス王の前に跪いた。ますます状況は複雑になる――それと同時に、シンプルになっても来ている。


「アドニスの名前が一度でも出たことは?」とフェリックス王が問う。


 エドマンドはちらりとエリザベートを見た。そして、言った。


「そちらのエリザベート――エリザベート・デ・マルカイツが先ほど、言っていました。魔術師がどうのと」


「偶然か? グザヴィエがアドニスに眼をつけでもしたか? いやいや、そうではないだろうな。この答えは中々に興味深いぞ」


 フェリックス王が表情を壊し、笑い出す。といっても、顔に手を当て、三日月になっている口元を隠す品性は失っていないようだが。


「お前はその意味をきちんと理解して言っているわけではないな」


 フェリックス王はシャルル王子に言葉を向ける。


 シャルル王子は、自分が言ったことながら、それを否定せず、およそこの場に不釣り合いな笑い声をあげる父親を、ただ見ているしかない。


「わかった。わかったよ。教えてやろう。確かに、このクーデターの首謀者はアドニス・ケインズだ。そしてその計画を私は――半年以上前から知っていた」


「なぜ!」


「なぜ? なぜとはどういうことだ? シャルル。その”なぜ”には、なにが含まれている? 私のことかな。それともアドニス・ケインズか?」


「ケインズは……彼はあなたと同じ考えを持っていたのではないのですか。貴族ではない一般市民。それが王の指にまで抜擢された。クーデターを起こす動機などないはずです」


 フェリックス王がやや億劫そうに自分の首をたたく。


「動機か。まあ気にするのも無理はないが――そもそもお前はあの男を見誤っているんだよ。あれは清廉潔白でもなければ実直でもない。”一般市民から成りあがった男”などというのはな、外側から付けられたレッテルに過ぎないんだ。それ自体に大した意味はない。確かにあの男は貴族ではないものから見れば希望の星だろう。貴族から見れば旧時代の終わりを意味するのかもしれないな。だがアドニスにとってはどちらでもないんだ。ただ出世したというだけなんだよ」


「それは……わかりますが……」


「あの男は私の賛同者などではないよ。ただ自分のレッテルを最大限利用しようとしていただけだ。私がこのまま市民に政治に関わる機会を与えれば、第二第三の”アドニス・ケインズ”が生まれる。そうすれば相対的に自分の価値が下がる。まあこれはほとんどあの男の言葉を借りたものだが、噛み砕いて言えば、そういうことだ。ありきたりな野心をカダルーバの間諜に利用されたに過ぎない」


「そんな……」


 シャルル王子にとっては、今日二度目の裏切りとなる事実だった。それが本当だとしたら。けれどシャルルにはこの真実を疑う余力は残されていなかったし、単純な話、これは事実だった。


「でもまだわからないことがあります」疲れ切りながらも、シャルルは続ける。「口ぶりからすると、アドニス・ケインズは拘束されているはず。それなのにどうして、外ではまだ戦いが続いているのです」


「それはもちろん、私がその情報を漏らしていないからに決まっているだろう。彼らは一番上に誰がいるかよく知らない。用意された上役を黒幕だと思い込んでいる」


「ではそれを明らかにすれば――」


 フェリックス王は首を振った。


「残念だがシャルル、戦いは止まらないよ。止める気もない。転がり出した鉄球は、最後まで見るものだ。でないと結果は得られない」


「そんな。これはテーブルの上で行う実験ではないんですよ。外では実際に人が死んでいるというのに」


 シャルルが言う。その問いは、彼がもっとも聞きたくない事実に直接つながっている。フェリックス王はこのクーデターにおいて、どのような企てを持っているのか? という問いだ。その答えは半分以上出ているようなものだが、シャルル王子には最後の一歩を踏み出す勇気がなかった。


 シャルルはつばきを飲み込む。言わなければ、この先には進めない。


 エリザベートは、ようやくメアリーがなぜシャルル王子にアドニス・ケインズの名前を伝えるだけでいいと言ったのか理解できた。シャルル王子は王都の惨状を見れば絶対にフェリックス王へ直接質問へ向かう。そしてフェリックス王は、それに答える。


 それはフェリックス王がアドニス・ケインズについて話す態度からもわかる。本来彼はアドニス・ケインズの名前が出ようと、のらりくらりと質問を躱すことは出来たはずなのだ。けれどそうはしなかった。があるのか、それはわからないが、彼は自分の陰謀を隠すことに、なんの注意も払っていない。


 シャルル王子もそれがわかっているのだろう。答えを得られるからこそ、躊躇している。これは一種のパラダイムシフトなのだ。あまりに刺激的で、悪趣味な。


 それでもシャルル王子は質問する。それは彼の性だった。純粋で高潔でいたいから、影を暴くことしかできない。


「父上は……」シャルル王子は声を絞り出した。「なにをお考えですか」


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