第157話 ゼロ・トレランス 後‐2
中庭を抜け、アーチ状に装飾された蔓植物の下をくぐり、迷路になっている背の高い庭園の脇を歩いた。遠いようで近い城は、小さな噴水のある広場の前に、重厚な木製の扉を構えていて、三人はそこから城へ入った。
三人というのは、シャルル、エリザベート、マリアの三人だ。コンスタンスはアイリーンの下へ残してきた。ついて来てもやれることはないし、むしろ邪魔になるかもわからない。
エリザベートが城の中に入るのは久しぶりだった。恐らく、シャルル王子と婚約して以来だろう。女性からはあまり男性のほうへ押しかけるようなことはできないし、会うときは外か、エリザベートの家だった。
なので記憶は定かではなかったが、シャルル王子と婚約した十年前から、城内がかなり変わっているように感じた。よく幼年期によくいった場所へ成長してから行ってみると、やけに小さく感じるというが、ここはむしろ大きく、得体のしれないものが広がっているような感覚だった。豪奢なカーペット、豪奢なドア、豪奢な調度品。小さい頃あんなにきらきらして見えたものが、今はどうしてこうなのか。廊下はいやに薄暗い。道が長すぎて奥が暗く見えるほどだ。
幼年期と今とを繋ぐものは、ノスタルジィと、二度と手に入らないイノセンスな感覚に対する寂寥感であろう。それは当然、向こうの変化が原因なのではなく、今の自分が変わってしまったのが原因だ。
それならば自分は、現時点でここにいる自分はどんなふうに変わってしまったのだろう? エリザベートはそう考えることを止められなかった。あれからどれだけ汚く変わってしまったか。エリザベートの場合それは自虐だったり傷つききらないためのものだったりするのだが、”イノセンスな自分”と比べれば汚れていない人間なんていないだろう。
けれどもエリザベートには、そこまで考え至るほどの余裕はなかったし、状況に関して言えばもっとそうだった。自分は悲観主義的だ、という閉じた考えだけが最後に残った。
正面から騎士の一団がやってきて、鎧をがしゃがしゃと言わせながらエリザベートたちの隣を通り過ぎていった。四人はショートカットのために使用人が使う螺旋階段を昇っていく。螺旋階段は目標の階の一つ下までだ。王宮の者たちが生活しているエリアには、セキュリティの観点から直接つながっていない。それは城の作戦指令室――この国ではそれを”円卓”と呼ぶ。
実際に卓があるわけではなく、遠い昔の王とその家臣がそうしていた名残りでそう呼んでいるだけだが。
目標の階には、数人の兵士が扉の前で待機していた。王室の親衛隊。エリート中のエリートだ。
彼らはシャルル王子たちの姿を見ると、いったん、階段の下で呼びかけて止めた。シャルル王子の姿を確認すると、「王は今、執務中です」と言った。
「わかっている。今、執務中でないことがあるか。僕もそうだ。通して欲しい」
「申し訳ありませんが、できかねます」
親衛隊がシャルル王子になるべく触れないようにしながらも、扉の前に立って通さない意思を見せる。シャルル王子が食い下がって親衛隊を説得しようとすると、なかにその騒ぎが伝わったのか、扉の向こうから低い声がした。
エリザベートには聞こえなかったが、どうやらそれは、フェリックス王のものだったらしい。そして彼は、シャルル王子の入室を認めたようだ。
「私もよろしいですか? シャルル様」
シャルル王子は一瞬、逡巡したような顔をする。今になってエリザベートをここまで連れてきたことが果たして正しかったのかどうか考えたようだ。だが、ここまで来て中に入れないというのも不自然である。それはきっとエリザベートもわかっていて、イエスと言ってくれると信じているのだろう。
「ああ」シャルルが言った。「大丈夫だろう。でも、マリア、君は一緒には入れない」
「勝手なことは……」親衛隊の一人が言いかける。
「勝手なことかもしれないが、彼女を見て考えて欲しい。彼女になにができる。スカートの下にクロスボウを隠し持っているとでも? それに彼女は僕の婚約者だ。信用できる。本当にいけないのかな」
「……いいでしょう」兵士の一人が言った。「しかし殿下。畏れながらあなたであっても、入室なさるのであれば武器の携帯はお控えください」
シャルル王子は黙って腰に提げた剣を兵士に渡した。エリザベートは自然と、マリアのほうへ手を伸ばしていた。彼女の手が触れる。冷たい。布地の上からだったが。指先は飛び出していた。
「外にいます」
安心させようとマリアが言った。
けれどもエリザベートが思ったのは、「そうよ。外にいるのよ」ということだった。どうにかして入らせられないかとも思ったが、不可能だ。
「父上! お話があります!」
シャルル王子が叫びながら作戦指令室の扉を開けた。
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