第155話 ゼロ・トレランス 中-2

 エリザベートたちが通ってきた道は、通常、城で生活をしている者たちが通る道ではなく、従業員の通る道だった。調度品の類はなく、硬質な壁がずっと続いている。ここから中庭へは一旦外へ出る必要があり、庭師の用具などが置いてある小さな空間にこれまた控えめなゲートが置いてあった。

 ジョン・ミューラーは中庭のゲートの鎖を外し、鍵を開いた。扉の先は植え込みに隠れた道が続いており、その先に開けた場所がある。壁も仕切りもないうえ、大人数がざわざわと話をしている声がきこえてきていた。


「いったいなにがあったんでしょうか……この国は大丈夫なのですよね」


「家族の安全がまだわかっていません……誰か知っている人がいればよいのですが……」


 それらは大きな雑音となって辺りを覆いつくし、周りの人間の言葉を聞き取るには少し集中力が必要なぐらいだった。


 ミューラーがゲートの両側を掴み、後ろに引くと、この世の終わりのような金属音と共にゲートが開かれた。


「シャルル王子は私の知る限り、中庭に他の生徒たちと居ました。今もいるかはわかりませんが、探せばすぐに合流できるかと」


「助かりました。これが終わったらそのときはお礼を差し上げます」


「いえ、そんな。むしろこれ以上助けられないことをお詫びしなければならないぐらいですよ」


 ミューラーが言う。


 エリザベートが二人を引き連れ、ゲートを通った。最後尾を歩くマリアが通る瞬間、ジョン・ミューラーがマリアに声をかけた。


「馬はここと反対側のゲートに何頭かいる。うちの騎士団のものだ。使っていい」


「必要になりますか?」


「ならなくても馬の場所は知っておくべきだ。教えただろう?」


 マリアはにやりと笑って、「そうでしたね」と言った。「また今度、会うことがあればまた」そして前を歩く二人との距離を詰めた。


「ああ」


 三人がいなくなるとミューラーは再び世界の終わりを思わせる重い金属音を響かせ、ゲートを閉じた。


                 ▽


 エリザベートらは中庭をぐるりと見渡した。王城の中庭は一般開放もされている有名なスポットだ。円形状に切り抜かれた大きな渦になっていて、植物は芝生といくらかの木が生えているばかりである。


 避難している人々は、学院の生徒はもちろん、下級上級問わず貴族ばかりで、一般市民は見る限りかなり数が少ないようだ。パニックを治めるためか軽食が用意されているようだが、それには手をつけず、端のほうで集まって俯いている。まるで自分たちが存在しないかのように。護心騎士の態度を見る限り、この状況であっても城を積極的に開けてはいないらしい。王都に市民全員を入れることができない以上、市民は市民で場所を設けること自体は理解できるが、普段民衆に寄り添った政策をとっているフェリックス王からすれば、意外な状態であると言えた。王城に入ることができた数少ない市民たちは、避難してきたところをやむを得ず入れたか、それとも学院の生徒たちに着いてきでもしたのか。


 それが後者の理由であることがわかったのは、シャルル王子の姿が彼らの近くにあったからだった。シャルル王子は、固まっている一般市民たちの近くで、彼らの一人に話しかけているところだ。傍らにはアイリーンもいる。彼らの先導で入ることができたのだろう。やっと一息つけるかと思いきや、貴族たちから侮蔑に近い目をぶつけられて、参ってしまっているのだ。


「シャルル様!」


 エリザベートが背後から声をかける。シャルル王子は振り返って、少し驚いた後、にこやかに笑って三人を出迎えた。


「エリザ! どうしてここにいるんだい。確か騎士団の人たちに連れられて安全な場所へ向かったはずだろう」


 一方でアイリーンは、マリアの鎧についた血を見て、すぐなにかが起きたことを察したのか、「その血、どうしたの」と指摘する。


「どうもこうも、一戦交えてきたところです」


 エリザベートが真面目な顔でシャルル王子へ近寄る。


「シャルル様。お話がございます。お時間をいただけますか?」


 シャルル王子は戸惑った表情になった。エリザベートがなにを言うのか、まったくわからなかったのだ。マリアの言う一戦交えた、という言葉の意味するところを考えても、同じだった。こんなことは初めてだ。


 シャルル王子の記憶にある限りでは、エリザベートの行動は大抵、予想がつく。旧水道に現れてアドニス・ケインズの名前を出してきたときも戸惑ったものの、外で起こっていることを知って、エリザベートがそうした理由を理解できた。……そのつもりだった。けれどこの場所で、こんな風に登場してきたとき、シャルル王子にはそのバックグラウンドがわかったとしても、エリザベートのことをもう予想できないんじゃないかと考えていた。


 その気持ちを呑みこんで、シャルル王子は答えた。


「ああ。わかった」


 


 




 

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