第146話 なにかが道に落ちている 中-2 (やや流血あり)
カーゴの扉が閉じた。エリザベートの馬車に同行したのは、マリアより一回り大きな男の騎士だった。例によって兜で表情は見えないが、景気のいい顔はしていないだろう。
馬車のなかは、マリアと大男が並び、正面にエリザベートとコンスタンスが並んで座っている。いつも乗っている馬車よりも座る場所がごつごつしていて、十分も座っていればすぐ尻が痛くなりそうだ。
馬車には窓がなかった。
車輪が石段を跳ね、がたがたと五月蠅い。
外と繋がっているのは、入口に当たる扉と、騎士の背後にある開閉式の小窓だけだった。
「死地に赴く者はみなそうです」
エリザベートの落ち着かない様子に気づいたのか、マリアが笑ってそう言った。物騒な物言いにどきりとする。
「失礼、半分は冗談ですよ。ただまあ、彼らは軍部所属ですから。馬車も普通ではないんです。前に乗ったことがありますよ。こういうものに」
「ああ、そう、なの……」
エリザベートはこの馬車の中の違和感を肌身に感じている。コンスタンスはふんふんと軽い感じで今の話を聞いていたが、エリザベートは不安で仕方ない。
「これ、どこに行くんだったかしら」
エリザベートが大男に尋ねる。大男は膝のうえに手をのせたまま、微動だにしない。
「ねえちょっと、聞いてる?」
「城の中までお連れ致します。その後は混乱が収まるまで、そちらへ居ていただきます」
「外の状況はどうだ? みな精強か?」
大男はマリアの軽口に反応し、彼女のほうをちらりと見て、すぐ元の微動だにしない状態に戻った。それがその男の最後の感情表現だった。
馬車はがたがたと揺れていたが、今どこにいるかがわからない。エリザベートは手を強く拳の形にして、爪を手のひらへ食い込ませた。そうすることで不安を紛らわし、思考を円滑にしようとしていた。
「フラれてしまったようですね」
マリアがふざけたように笑う。それでエリザベートは、この場所が異様なほど鋭いナイフのような空気を纏っていることに気づいた。
「城にいれば安全ですか?」
コンスタンスがエリザベートにそう話しかけた。エリザベートはコンスタンスを見下ろした。この子はなにも気づいていない。……いや、待てよ。エリザベートは思い直した。もしかしたら自分の気のせいだろうか? 不安なのは馬車のなかのことでなく、外のこと? クーデターがまだ起こっているのに、ここにいることだろうか。
「でももう、私にやれることが残されているようには思えないけれど……」
クーデターが起っているのはもう仕方がない。メアリー・レストが言っていたエリザベートが絶対にやるべきことは、シャルル王子にアドニス・ケインズの名前を伝えることだけで、他は彼女の希望として、できるだけアイリーンを安全なところへ留めておいてほしいということ。
これもあのホールにいれば達成できていると言っていいだろう。”予言の民”を含めて敵兵は、学院の騎士たちにほとんど撃退されていた。状況に余裕がなければシャルル王子も騎士たちを貸したりしないだろう。
……そういえば、自分たちはどういう状態で運ばれているのだろう? 階段を降りたときは馬車が数台並んでいたけれど、今は一台で走っているような気がする。それこそ気のせいか? 自分は馬車の専門家なんかじゃない。ただの平凡な……そこまで考えて、エリザベートは自分の奥底から反論がやってくるのを感じた。”他の馬車の音が全然していない”。
エリザベートはマリアを見た。彼女はずっとにこやかな態度だったが、どこかおかしかった。
どこがおかしいのかは、見てすぐにわかった。マリアは今、ほとんどエリザベートに気をまわしていないのだ。
馬車が止まる。マリアがその場に座りなおす。”ねえ”。そう声をかけようと身を乗り出したそのとき、マリアが立ち上がり、振り返ってなにかを蹴り飛ばした。
その何かは、エリザベートの場所からはよく見えた。槍がマリアの座っていた場所に飛び出しているのだ。向こう側にいる人間が馬車から槍を引っこ抜こうとがたがたと動かしているが、蹴りによってひしゃげてしまったのか、うまくいっていない。
「外した!」
大男が叫び、狭い馬車のなかでナイフを抜き、マリアに襲い掛かる。コンスタンスは怯えた猫のように椅子のうえで飛び跳ね、エリザベートも馬車のなかで出来る限り仰け反って被害から逃れようとした。
マリアはナイフの切っ先を避け、大男の懐に滑り込むと、いつの間にか持っていた小ぶりな刃物で黒い布の上から喉元を貫いた。
男がかっと目を見開く。全身を激しく動かし、マリアをどけようとするが、懐にいられては上手く行かない。喉の中で刃物の柄が捻られると、その間からぼたぼたと血が零れ落ちる。さらに奥へ押し込むと、太い血管を傷つけたのか血が布の外へ飛び出し、マリアの着ている鎧に降りかかった。
「マリア」コンスタンスが泣きそうな声で彼女を呼んだ。
男が痙攣し、手足が静かになるまで彼女はナイフを離さなかった。その死を確認すると、彼女は手甲を振って血を飛ばし、腰に差していた彼女の愛用する武器――戦闘ピッケルの片割れを抜き、扉をじっと見た。
「マリア」エリザベートがコンスタンスを宥めつつ、声をかける。「どうなってるか、わかる? 外が」
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