第145話 なにかが道に落ちている 中-1
弛緩した空気を打ち破ったのは、ホールの入り口を乱暴に開ける音だった。全員がそちらへ注目する。中には外の賊が入ってきたのかと考えたものもいた。
実際に入ってきたのは、同じ鎧を着た騎士の一団だった。王国の軍部直属の騎士団だ。王城付きに次いで騎士階級では二番目に地位が高い騎士団で、有事には交戦権とともに逮捕権、捜査権を持つ憲兵隊の亜種でもある。
単に戦うだけが仕事ではないから、他の騎士団とも見た目が異なる。アーマーのプレートは他より薄く、制服の上に付属しているような形だ。目は兜で半分隠れてこちらからは見えない。口元は黒い布が巻き付いている。
そのなかで一番前に立っている騎士だけは、兜に控えめな装飾が施されている。ギルダー・グライド。騎士団のリーダー格だ。
どうして知っているのかと言えばこの男、聖ロマーニアスでは有名な騎士なのだ。いい意味でなく、悪い意味で。
拷問、脅迫、なんでもやるような奴で、噂では貴族から金を受け取って邪魔者を消したり、商会に賄賂をせびったりやりたい放題しているらしい。
以前――と言っても、これは遡行前の話で、時期とすれば今より後のことになるのだが、こういうことがあった。
あるとき、強盗事件があった。そこは一人の娼婦が住んでいた部屋だった。普通なら、こうした事件は憲兵隊が解決する。いや、実情を考えれば”解決しない”と言った方が正しいのかもしれない。市井の事件のなかで、こうした事件が解決されることは稀だ。憲兵隊は貴族相手の事件を除けば、治安紊乱など現場で直接介入できる事件以外に役に立つことがあまりない。特に被害者が娼婦となればなおさらだ。
だが、何故かこのときギルダー・グライドは自ら騎士団のメンバーを集めて捜査に乗り出し、強盗の一人を捕らえ、その背後にいた強盗団をも根絶やしにした。つまり全員が死んだということだ。はじめに捕まった強盗も含めて。
公式では自害だったということになっているが、本当だと信じている者は少ない。後から聞いた話では、その娼婦はギルダー・グライドの情報屋で、賄賂などを記録した裏帳簿を持っていたということだ。この部分はエリザベートの父がそう言っていたのを聞いた話なので、恐らく間違いないだろう。
ギルダー・グライド自身が賄賂を貰っているだとか、殺し屋まがいのことをやっているだとか、そういうのは噂に過ぎないが、この部分は本当のことである。
グライドが職務に対して法を超越した責任感を持っているのか、単に悪いやつなのかはわからない。でもいずれにせよ、遡行前から関わりたくない相手の一人である。
今も物々しい態度で、救援に来たという風情でもない。それどころかじろじろと、兜の下からこちらを観察しているようですらある。
ギルダー・グライドは直下の騎士たちを自分の後ろへ並べると、兜を脱いで脇に抱えると、ホールに声を響き渡らせた。
「指揮官はどこだ!」
近くにいたこちら側の騎士がグライドに現在の状況を説明する。指揮をとれる人物がホールの奥にいることを伝えたようで、それを聞くと黙って数人の部下を引き連れ、間に誰がいるのも構わず、突き進んでいく。
ホール奥の廊下が騒がしくなり、扉が開いてシャルル王子他、数人の騎士が顔を出した。
「一体何の騒ぎですか?」
王子が応対すると、グライドは兜を脇に抱えたまま、軽くお辞儀をした。
「殿下。ここは今、あなたの指揮下にあるのでしょうか。でしたら2、3、お願いがございます」
「正式にはそうじゃない。私も纏めるために力をかしているが、決定は独断ではない」
「それでも構いません。外の状況をご存じでしょうか」
外の状況、という言葉をきいたとき、エリザベートの近くにいたアイリーンがぴくり、と反応した。平静な素振りだが、やはり家のことは気になるのだろう。それはエリザベートも同じである。まあ、中心からは遠いうえ護衛の兵士もいるから、大丈夫だとは思うが……。
「大規模な暴動が起きていること以外にか」
「いいえ、お王子。それだけで十分です。加えて戦況は、少しばかり膠着しています。外にたむろしている連中は対処できていますが、この都市の主要な建物に立てこもっている者が少々厄介でして……できればここの騎士をお借りしたい」
シャルル王子が近くの騎士となにやらひそひそと話し合う。
ギルダー・グライドがその間に話を続ける。
「それからもう一つ。この場にいる要人方のご子息を保護させていただきたい。城へ送り届けます」
「保護? この場にいる全員ではなく?」
「ええ。特に重要な方々を何人か移動させたいのです。例えばそこの……エリザベート・デ・マルカイツなど。これは国王直属の命令です。あなたもご自分の婚約者をもっと安全な場所へ避難させたいのではないですか?」
シャルル王子はグライドのもう一つの提案も加えて、周りの騎士たちと相談した。ちらりとエリザベートへ視線を投げる。しかしなにを言うこともなく、再び相談の輪に戻ると、ものの数分で結論を出した。
「わかった。ここの騎士を連れて行ってくれて構わない。こちらは持ちこたえられるだろう。だが、早めに救援を頼む。非戦闘員も多いんだ。幸いけが人は少ないが、精神的なショックを受けているものは多い」
「ええ。もちろんですとも。保護の件もよろしいですかな?」
「ああ。かまわない。彼らを――」シャルル王子は言葉を切ってホール中の貴族の子供たちを見た。「彼らのうち何人かでも、早く安全なところへ連れて行ってくれ」
「助かります。よかった。あなたが柔軟なお人で」
グライドが振り返り、腕をまわして部下に指示を送る。騎士たちの何人かがホールに散らばり、何人かの生徒を移動させ始めた。
エリザベートのところにも三人の屈強な騎士が訪れた。彼らはエリザベートに手を差し出したが、エリザベートはその手を取らなかった。
マリアが騎士たちの前に立ちはだかった。
「お嬢さまは一人で歩ける。先に行け。ついていくから」
「まことに申し訳ありませんが、あなたはここに留まっていただきたい。ここはまだ戦闘地帯です。兵士は一人でも多い方がいい」
「断る。私はお付きの騎士だぞ」
「そんなことは知らない。ここに留まれと言っているんだ」
「お前は私の上司じゃないだろう」
口論になりそうになるところを、エリザベートがまた割って入り、仲裁をする。
「マリアは私の騎士よ。連れて行く」
「しかし……」
「なに? 侯爵家の令嬢に口答えをするわけ?」
騎士たちは黙って、マリアの同行を了承した。ついでに、コンスタンスの同行もだ。これ以上一人で行動するのは御免だった。
騎士たちがホールから引き揚げていく。生徒たちの追い縋ろうとする腕を振り払い、数人の生徒を連れて出て行った。
建物の下に馬車がとまっていた。重装の馬車だ。エリザベートとマリア、コンスタンスは一つのカーゴに一名の騎士とともに押し込められた。
そして、出発しようとしたその時、一人の女生徒が馬車の前まで駆け下りてきた。アイリーンだ。
アイリーンはエリザベートの手を握ると、こう言って見送った。
「私の言ったこと、よく考えてね。それじゃあ、気を付けて」
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