第143話 なにかが道に落ちている 前
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「聞いた話では、ここはもう大丈夫らしい」
「大丈夫?」
エリザベートは素っ頓狂な声を上げた。騎士に避難場所としてあのホールを指定され、五人で移動している最中のことだった。
「ああ。学院にはあまり人数が割かれていないようだ。要人の息子や娘もいるから、もっと激しい戦闘が起っていてもおかしくないと思ったんだけどな……。あの攻城兵器にむこうは注力しているらしい。何方向かから一点突破で城を落とすことだけ考えているようだ」
「まあ確かに、ここを落とすのはそんなに簡単じゃないかもしれないな。一兵卒よりもずっと練度の高い騎士ばかりだ。見た目よりもずっと戦力がある。この狭い敷地にあの蛮族みたいな装備じゃ囲んで圧迫することもできない。盾と槍を持った兵士が必要になる」
マリアが軽い調子で返した。
「なら向こうはどうする?」エドマンドが言う。声にやや険があるのは、マリアの口調のせいだろうか。
「大本に注力してるし、こっちにはこれ以上来ないだろうな。ただホールには戦えない奴が集まってる。ここに少人数で侵入されたら面倒なことになるかもしれない。正面よりサイドを見るべきだな。後は、立てこもらないことだ。こっちから殲滅戦を仕掛けてもいい。向こうに逃げ遅れた人質がいるかもしれない」
「向こうに人質がいるなら攻勢に転じるのは危険なのでは?」
「戦闘が止んだら交渉を持ちかけられるかもしれないだろう。交渉のテーブルなんかについてみろ、勝てる相手にどこまで譲歩することになるか。交渉を持ちかけられるまえに向こうをせん滅すれば、煩わしいことを考えずに済む。上手く行けば人質も取り返せる」
マリアが言う。戦争の経験者だからか、かなり強硬な姿勢だった。シャルル王子がやんわりと反論し、軽い議論になっているようだ。
エリザベートはそのころ、頭の中で”大丈夫”という言葉を繰り返し、この状況について考えていた。
(”前”と違いすぎる……。メアリーの言っていたのはこういうこと……? でもこのままじゃ、黒幕の名前を言った意味もなくなってしまうんじゃ……)
「ねえ」
知恵熱で頭が痛くなってきていたところを、三人の議論の輪から外れてきたアイリーンが話しかけてくる。
「なによ」
「そういえば、結局誰から話を聞いたの?」
「魔術師だって言ったでしょう? 信じないの?」
「ううん、信じるよ」
エリザベートは振り返ってアイリーンの顔を見た。彼女はこんな状況でも冷静だった。クーデターについて語る彼らとは別の視点で物事を見ている。
それよりなにより、アイリーンがエリザベートに”信じる”などという単語を使ってくることのほうに、衝撃を受けていたのだが。
シャルル王子だって信じてはくれなかった。マリアは信じる信じない以前に、エリザベートの味方でいる。信じていなくてもついて来てくれる。アイリーンが信じると言えば、それはそれ以外の意味を持っていない。
「どうして?」
おそるおそる尋ねると、アイリーンは自分の頬を撫でて言葉を探した。
「そんな嘘をつくタイプには見えない、とかどうかな。あんまりしっくりこないけどね。でも、そう思うよ。あなたは確かに友好的な人ではないけど、なんでも自分でやりたがる人だから。信用してるんだ。そういうところ。それはそれとして、騙されてる可能性は、あるのかもしれないけど。そこのところはどう?」
「私が騙されている可能性?」エリザベートはメアリー・レストのことを思い返した。思ったよりも直情的だし、不器用なやつだった。人を騙すにしても、悪辣なやり方ができるとはおもえない。「それはないと思う」
「ふうん……信用してるんだね。その人のこと」
「信用? 別にそんなんじゃない」
「そう? だってそうでしょう。あなただって、アドニス・ケインズのことは知っているよね。彼がクーデターの黒幕だっていう話、けっこうアクロバティックだと思うんだ。さっきもシャルル様が言っていたけれど、全面的に王様を支持してる人だしね」
「あんた、信じるの? 信じないの?」
「そこが難しいところだよね……」
アイリーンが顎に手を当てる。それがポーズでなく、本当に悩んでいることは、長く彼女と敵対していたエリザベートにはよくわかる。それが意外だった。
「というか、さっきからよく話しかけられるわね。仲良しなんかじゃないでしょうに」
「それはそれかな。別に凄く気を許してるんじゃないよ。ただまあ、あなたのことを全部投げ捨ててしまうのは、もったいないと思うから」
なんじゃそりゃ……とエリザベートは零す。そして、少し前に言われたことを思い返して、そこを突っ込んでみようと思う。
「そういえばさっき、私に自暴自棄になってないかとか言ったわよね。あれはなんだったの?」
え? とアイリーンが言う。今また質問されるとは思ってもなかったらしい。先ほどまでよりもさらに難しい顔になり、首を曲げて考えているようだ。
五人の歩く先にホールが見えてきた。明かりがついている。遡行前には激戦が繰り広げられていた場所だが、今は歩哨がバリケードの前に立っているほど、落ち着いているようだ。
そういえば、クレアやコンスタンスはどうしているだろう。こっちではちゃんと避難できているとよいのだが……彼らのことを考えると、胸が痛んだ。
そこへ、考えをまとめたアイリーンの声が入って来る。
「なにか、諦めてる気がしたんだよね」
アイリーンの言葉が棘のようにエリザベートの心臓をくすぐる。
「諦めてる?」
「うん。なにか悟ったような顔でいたから。だから、なにか諦めてしまったのかと思って」
「それって悪いことなの?」
「あなたにとっては、多分」
それは――と言おうとした。その時にはホールに着いていて、話はまた尻切れトンボで終わってしまう。けれどもアイリーンはシャルル王子とは違って、まだオチをつけようとはしていた。ホールの階段を昇る前にエリザベートへ耳打ちしたのだ。
「思ったけど、あなたはまだ見てないものがあるんだと思うな。偉そうな言い方だけど、やっと扉が開いたのに、そこから景色を見ているような」
アドニス・ケインズのこととは別にね、と言い残し、アイリーンは前を向いて階段を昇って行った。
「なんの話をしてたんです?」
シャルル王子との議論を終えていたマリアが隣に並び立ち、質問した。
「わかんないわよ。そんなの」
エリザベートは死にそうな声でそう言った。
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