第141話 真実の行方 前
エリザベートはゆっくりと目を開いた。青い廊下を抜け扉を開いた向こう側へ――足を踏み入れた瞬間、彼女の意識は正常な時間の流れを無視した地点の彼女と”同期”していた。記憶が混濁し、くらくらする。これがメアリーの言っていた遡行酔いというやつか。前回は確かに高熱のせいで感じ取れていなかったのだろう。
新たな時間軸を構築すべく現実へ降り立ったエリザベートは、自室の、自分の椅子に座っていた。意識がきちんとしてからすぐ、窓の方へ駆け寄り、状況を確認する。――すでに火の手が上がっている。メアリーが言うにはここはクーデターが始まってから20分後――王都全体に広がっているとまではまだ言っていないが、すでに襲われているとみていいだろう。
「言われた通りにやるとすれば……」エリザベートはメアリーに言われたことを思い返そうとする。すると自然に、手に握っていた手紙に意識が向いた。手紙を届ける。それは、メアリーに言われたやるべきことには入っていない。最後の頼みだが、はじめに思い出したのはそれだった。「そうだった。シャルル王子に、クーデターのことを言わないと……。信じてもらえるかどうかは……まあ、マリアがいるんだし、大丈夫でしょう。私が知っていちゃおかしいことを私はたくさん知っているのだし」
エリザベートは素早く身支度を整え、地下の旧水道へ降り立った。シャルル王子らはまだ旧水道に入ってからそれほど時間が経っていなかったのか、エリザベートの足音にすぐ気が付いた。
シャルル王子はエリザベートを見てすぐ、厄介ごとが増えたと考えたのか露骨におべっかを唱えてエリザベートを帰らせようとした。しかしエリザベートが外の様子を伝えると、すぐに真剣な表情に切り替わった。
「エリザ、それは冗談で済む言葉ではないよ」
「冗談なんかじゃないよ。外を見ればわかる」
シャルル王子の言葉へエリザベートがそう返す。その場にいた全員が驚いたような表情をした。どうしてだろうと一瞬考えたが、なるほどいつものエリザベートであればシャルル王子に対してあんな風な口の利き方はしない。ここへ来たのも守ってもらおうとしたのだと考えたはずだ。(もしそうだとすれば情報を漏らしたのはマリアということになるのだろうか。それはそれで条理に合わない)。エリザベート自身も気づいてから、驚いて自分の口に触れた。あまりにも自然にその言葉が出てきたからだ。もう少し、時間や慣れが必要になると考えていたのだが……。
面食らわせてしまったが、却ってそれがよかったらしい。マリアが”にやり”と笑って、エリザベートの側へ立った。
「いいですねお嬢さま。ようやく前の……かはわかりませんが、いい調子のときのお嬢さまって感じだ。王子様、私はこっちを協力することにします。ここの奥のことも気にならないでもありませんが、向いてることを優先したいタイプなので」
マリアが言う。エリザベートは、思わず熱い視線をマリアへ送ってしまう。彼女が生きている。生きている彼女と会ったのはそう昔のことではないが、エリザベートには遠く隔たったことに感ぜられた。事実、そうなのだ。生きていることと死んでいることにはそれぐらいの開きがある。エリザベートは涙を堪えつつ、マリアの身体を鎧の上から軽くたたいた。
シャルル王子はエリザベートの脇に立ってこちらを見るマリアに視線を向け、呻くような声を出した。
「マリア、君は……」
「シャルル様」エドマンドが言う。「確かに、少し振動が大きすぎる気がします」
主君の言葉を遮り、エドマンド・リーヴァーが天井へ顔を向ける。
アイリーンもエリザベートを見て頷いた。
「シャルル様、もし本当にクーデターが始まっているのであれば、上へ行くべきでしょう。黒幕の手がかりは残念ですが、上であなたの言葉を待っている人もいるはずです」
「一国の王子としては、確かに。君の言うことには、一理ある。僕には顔を見せ、騎士たちを纏める義務があるのかもしれない。しかし……この旧水道の奥で黒幕がわかるのなら、それはその義務よりももっと重要な可能性もある」
「黒幕ならわかっています」
エリザベートが言う。またも全員がエリザベートを見る。先ほどとは少し違う。今度は”クーデターが起っているのを見た”というのとも違って、完全に知っていては奇妙なことだったからだろうか、顔に怒気さえあるように感じた。
「エリザ、それは本当かい。もしかしてそれは……」シャルルが言い淀む。ちらり、とマリアとアイコンタクトを取ったが、マリアも決めかねているようだ。「君の父親の、グザヴィエ・デ・マルカイツ氏のことかい?」
またここでも父の名前が出た。メアリーからも疑問を呈されていなければ、動揺していたかもしれない。今ならあの時と同じ理屈で否定できる。なにより、本物の正体を知っていた。
「いいえ」エリザベートは自信を持って言う。「犯人は、アドニス・ケインズです。動機はわかりませんが……」
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